博之44才12月3週目。年末、松阪城で三百文勝負。全部考えてやれ。人足や予算は任せた。
十二月三週目の終わり。
博之は、これまでの審査で特に評判の良かった師範代を数人、本店へ呼び集めた。
呼ばれた側は、いよいよ師範昇格の話かと緊張した顔で座っている。
「まあ、だいたい察してると思うけど」
博之は一人ずつ顔を見た。
「お前ら、今んところ師範に一番近い」
空気が変わった。
「ありがとうございます」
「ただし、まだ師範にはせえへん」
「……はい」
「年末に最後のお披露目会やるから」
「お披露目会?」
「松坂城で」
数人が同時に顔を上げた。
「城ですか?」
「北畠のお殿様のところ」
「聞いてませんけど」
「今言うたからな」
「いつですか」
「来週」
一瞬、誰も喋らなかった。
「……来週?」
「うん」
「もう一週間ないじゃないですか!」
「せやで」
博之は何でもないことのように頷いた。
「師範代御膳は普段二百文やろ。今回は三百文取る」
「三百文……」
「城でやる。お殿様の料理番もおる。客もそれなりに入れる。だから三百文払って、
来てよかったと思わせる膳を全部自分らで考えてくれ」
「全部?」
「献立から仕入れまで全部」
師範候補の一人が頭を抱えた。
「旦那様、せめて二週間前に言ってくださいよ」
「二週間あったら誰でも準備できるやん」
「そういう問題じゃないでしょう」
「いや、こういう短い期間で合わせられるかも、日頃の鍛錬が出るところやと思うで」
「無茶苦茶や……」
横で聞いていたヨイチまで苦笑した。
「旦那様、また無茶振りしておりますね」
「でも師範やぞ」
博之は少し真面目な顔になった。
「師範になったら、松坂だけで飯炊くわけちゃう。京都へ行くかもしれん。堺へ行くかもしれん。
尾張で突然、信長公に飯出せ言われる可能性すらある」
「それは嫌です」
「嫌でもあるかもしれん」
尾張へ行ったことのある古参が、後ろからぼそりと言った。
「信長公相手より、北畠様の方がまだ気楽やで」
「全然安心できません」
笑いが起こった。
その日のうちに、博之は松阪のお殿様へ文を送った。
年末に伊勢松坂屋の師範候補を連れていきたい。
三百文の特別膳を出し、城の料理番とも混ぜて腕を見たい。
場所を一日ほど貸してほしい。
返事は意外なほど早かった。
「年末の忙しい時に何を始めるつもりじゃ」
という呆れた書き出しの後に、
「面白そうなので、場所は貸す」
とあった。
「ほら。殿様も喜んでるやろ」
「喜んでるんですか、これ」
「面白そう言うてるから喜んでる」
「旦那様の解釈ですよね」
ともあれ、松坂城での開催は決まった。
博之は師範候補たちをもう一度集める。
「三百文やからな」
「何回言うんですか」
「大事やからや。二百文の膳をちょっと豪華にしました、ではあかん」
「では、高い魚を使えば」
「それも違う」
博之は首を振った。
「高い材料を買えば三百文になるんやったら、商人が料理人できる」
「……」
「仕入れも腕や。年末で何が手に入りやすい。何が高騰してる。松坂で食わせるなら何が喜ばれる。
城の料理番と並べた時、何を出したら自分の色が出る。全部考えろ」
一人が腕を組む。
「六品ですか」
「そこも自分らで決めたらええ。五品で三百文納得させられるなら五品でもええ。
七品にして中途半端になるなら意味ない」
「自由なのが一番困りますね」
「それが師範や」
博之は笑った。
「決まったものをうまく作るだけなら、任せや師範代でもできる。師範は、
その場で何を出すか決めて、下の者動かして、仕入れして、客に説明して、最後まで形にせなあかん」
師範候補たちの顔から、少しずつ冗談の色が消えていった。
「給金や必要な銭は出す」
博之は続ける。
「試作代もケチらん。必要な人足も言え。ただし、考えるのはお前らや」
「失敗したら?」
「また師範代で頑張れ」
「軽いなあ」
「命取られるわけちゃうやん」
「心は死にますよ」
それでも、その日の夕方には候補たちは動き出した。
「魚は何が入る」
「年末やから鯛は高いぞ」
「じゃあ鰤は?」
「脂が強すぎる。六品全部とのつながり考えろ」
「最初に薄い汁を置いて、最後を味噌で締めるか」
「いや、この前客に並べ方まで言われたやろ。食う順番まで考えよう」
市場へ走る者。
仕入れ帳を見る者。
城の料理について古参へ聞きに行く者。
試作用の鍋を囲む者。
夜になっても、師範候補たちは唸り続けた。
「これ、三百文取れるか?」
「味だけならいける」
「味だけじゃあかん言われたやろ」
「器どうする」
「城の器借りられるんか?」
「そこから確認か……」
苦しい。
時間もない。
それでも、不思議と顔は生き生きしていた。
師範になれば、伊勢松坂屋の各地の拠点で顔を張ることになる。
自分の飯だけではなく、店そのものを背負う。
そのための最後の試験だと思えば、逃げるわけにもいかない。
遠くからその様子を聞いた博之は、満足そうに葛湯をすすった。
「ええ感じに苦しんでるらしいな」
お花が呆れた顔をする。
「旦那様、楽しんでません?」
「育ててるんです」
「半分ぐらい楽しんでますよね」
「まあ、ちょっとだけ」
年末まで、あとわずか。
松阪城の三百文膳を前に、師範候補たちは初めて、自分が料理人ではなく「伊勢松坂屋の顔」
になる重さを味わい始めていた。




