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九鬼方から挨拶に来てもいいと連絡が来たので参上する。他の古参に別の拠点の様子見に行けと話す。九鬼側から津と伊勢の港の口利きしてもよいとの返事を引き出す

ほどなくして、九鬼方からも返事が来た。

「年末の挨拶、来てよいとのことです」

 使いに出していた古参が、少し誇らしげに戻ってきた。

「調理場も、横丁の方で支度しておけばよいとのことでした」

「よし」

 博之はすぐに頷いた。

「ほな、こっちは九鬼様の支度や」

 その一方で、博之は別の古参を呼んだ。

「お前は侍さんを連れて、松坂と津の間の拠点を見てきてくれ」

「津の間の拠点ですか」

「そうや。あの一万文渡したところや」

 博之は包みを一つ差し出した。

「近くのお寺さん周りにに五千文持っていけ。もし、あいつらが近所のお寺さんにも神社にも挨拶せず、

千文すら寄進せず、周りに飯も配らず、銭を抱え込んどるようなら、頭こついてこい」

 古参は思わず苦笑した。

「そこまでですか」

「そこまでや」

 博之は真顔だった。

「あの銭は、ため込むための銭ちゃう。拠点作りは、店をこしらえて飯を作るだけやない。

 ご近所さんへの挨拶回りから始まるんや」

 寺に顔を出す。

 神社に頭を下げる。

 近くの者に飯を配る。

 困っている者を見つける。

 地元の話を聞く。

 そういうことをしなければ、横丁はただのよそ者の店になる。

「俺が率先してやってるのは、用心深いからかもしれん」

 博之は言った。

「でも、敵を作らんってことが大事や。これを古参の連中に身に染みて覚えさせなあかん」

 ヨイチが横で腕を組んでいた。

「旦那は抜けてるようで、そこら辺は抜けてないんですよね」

「無一文からの立ち上げやからな」

 博之は苦笑した。

「生半可な道やなかった気がする」

「いや、旦那の場合、飯作るのがうまくて、だいたい売れてるから、だいぶ外れ値ですけどね」

「そうか?」

「売れ残り、あんまりないやないですか」

「……確かに」

 周りの古参たちも笑った。

「普通は売れ残って捨てたりしますからね」

「旦那、その辺の読みが神がかってるんですわ」

「飯だけやろ」

「飯だけでここまで来たんです」

 そんなやり取りをしながらも、皆は自分たちが何を受け継ぐべきか、分かってきていた。

 飯を作る。

 銭を稼ぐ。

 だが、それだけでは駄目だ。

 周りに挨拶する。寺社に顔を立てる。食えない者に少し飯を出す。評判を作る。恨みを減らす。

 それが伊勢松坂屋のやり方だった。

 やがて、九鬼方への挨拶の日になった。

 博之は紋付き袴を着て、侍と古参を連れ、松坂港へ向かった。

 飯の準備は、すでに港横丁の者たちに進めさせていた。あら汁の出汁は取ってある。

 すり身は練ってある。親子丼用の鶏と卵も用意してある。あとは温め、揚げ、盛りつけるだけだった。

 九鬼方の館に通されると、博之は深く頭を下げた。

「本年は、港筋で商いをさせていただき、まことにありがとうございました」

 そして年末の挨拶として、包みを差し出した。

「おかげさまで、横丁もなんとか形になってまいりました。本日は、うちで新しく作った飯も

お持ちしました」

「おう、聞いとるぞ」

 九鬼方の家臣は機嫌よく笑った。

「この前の炊き出しでも、何やら変わった魚の団子を出したそうやな」

「はい。本当は年明けの目玉としてお出ししたかったのですが、少し早くお披露目してしまいました」

 博之は笑いながら、料理を並べさせた。

 まず親子丼。

 次に、あら大根と小魚のあら汁。

 そして、浜すり身串。

 さらに、平たく揚げたすり身天。生姜入り、ごぼう入り、大葉入り。醤油を少し添えた。

「これは、アジやイワシをすり身にして、塩で練り、小麦粉を少しつなぎにして揚げたものです」

「小魚をか」

「はい。値のつきにくい魚や、端の身を使います。内臓や血の臭いところを取り、

 すり鉢ですって、揚げます」

 家臣は浜すり身串を一本取り、かじった。

「……食いやすいな」

「ありがとうございます」

「魚をこんなふうに食うとはな」

 別の者も、平たいすり身天を醤油につけて食べる。

「これは飯が欲しくなる」

「こちらはごぼう入りです。食感を変えております」

「なるほど。これは面白い」

 家臣は笑った。

「お前、ただ同然で仕入れたものに値をつけて売ろうというわけやな」

「なかなかのお値段で売らせてもらっております」

「よう言うわ」

 場に笑いが起きた。

「でも、うまい」

 その一言で、博之は少し安堵した。

「これからも、こういう魚を買わせていただきたいと思っております。おそらく、

 海に戻されていたものや、捨てられていたものもあると思います。それをうちが買い、すり身にし、

 あらは大根や生姜、ねぎと炊く。そうすれば飯になります」

「鯛のあら大根も、なかなかやな」

「鯛は高い魚ですので、これは少し上等です。普段使いなら、イワシやアジのあら汁がよろしいかと」

「味噌がええのか、魚がええのか、よう分からんが、うまい」

「上手に召し上がっていただけて恐縮です」

 次に、家臣は親子丼を口にした。

「これもうまいな。これは松坂屋で考えたのか」

「はい。鶏と卵で親子丼と申します」

「卵をよく使うな」

「そこが問題でして、今うちでは養鶏場もやっております」

「お前、何屋なんや」

「飯に対して真摯に向き合っているだけでございます」

 家臣は大きく笑った。

「お前、うちの料理頭で雇われる気はないか」

 博之は慌てて手を振った。

「いやいや、とんでもございません。私は三月まで無一文で、松坂の普請でなんとか稼いだ銭を元手に、ボロ小屋から始めた者です。今は路頭に迷っていた者を拾いながら、二百人近い所帯でやっております。それを捨てるわけにはまいりません」

「欲がないのか、欲がでかすぎるのか分からんな」

「料理の作り方はお教えします。どうぞ作ってください」

「それを簡単に教えるのか」

「広まって、飯を食える者が増えた方がよろしいでしょう」

 家臣は少し黙り、それから満足げに笑った。

「そのやり方は気に入った」

 そして、声を少し落とした。

「お前、伊勢にも行こうとしておるな。津の方も見ておるやろう」

「はい」

「津や伊勢の港で店を出すくらいなら、少しは口を利いてやってもよい」

 博之は思わず顔を上げた。

「本当でございますか」

「その代わり、うまい飯を食わせろ」

「それはもちろんでございます」

「伊勢の港、津の港。うちの筋がまったくないわけではない。お前の飯が評判になるなら、

 こちらにも悪い話ではない」

 博之は深く頭を下げた。

「ありがとうございます」

「ただし、揉め事は起こすな。寺社や土地の者には顔を立てろ。これは言うまでもないな」

「心得ております」

「それと、三が日は飯はいらん。こちらはこちらで用意がある」

「はい」

「だが、挨拶くらいは来い」

「必ず参ります」

 家臣はさらに笑った。

「しかし、お前は隠さぬな。炊き出しも、採用で断った者に恨まれんためだと言うたそうやないか」

「はい。実際そうですので」

「普通は隠すぞ」

「隠しても、後で分かれば余計に怪しまれます」

「ふにゃふにゃしておるようで、芯は通っとる」

 その言葉に、博之はまた頭を下げた。

 帰り道、港の潮風を受けながら、侍が小さく笑った。

「旦那、すごいですな」

「何がや」

「伊勢と津の港への足がかり、できそうやないですか」

「できたらええな」

「本音が漏れてますよ」

「漏れてへん」

「漏れてます」

 博之は照れ隠しに咳払いした。

「すり身の有用性には、九鬼様も気づいたな」

「かなり食いついてました」

「手の内を隠しても、いずれ分かることや。なら、機嫌のええうちに聞いてもらった方がええ」

 侍は頷いた。

「それで口利きまで引き出した」

「飯のおかげや」

 博之はそう言いながらも、顔は少し緩んでいた。

 伊勢の港。

 津の港。

 そこへ続く道が、ほんの少し開いた。

 魚の端から作った浜すり身串が、思わぬところで海の道を広げようとしている。

「やっぱり飯やな」

 博之がぽつりと言うと、侍は笑った。

「旦那、そればっかりですな」

「それでええねん」

 年の瀬の松坂港に、冷たい風が吹いていた。

 だが、博之の胸の中には、すり身を揚げた油の熱のような、妙な高揚が残っていた。

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