博之44才12月2週目。比叡山坂本絡みがひと段落。料理人昇格試合するで。料理人だけでなく裏方にもご褒美あるよ(笑)
十二月二週目。
その数日後、ようやく比叡山坂本から正式な文が松阪へ届いた。
役務の軽減。年貢の猶予。帰還を希望する者については、順々に元の家へ戻すこと。
条件が守られなければ、再び伊勢松坂屋へ移ることも妨げない。
細かいところはまだ詰める必要がある。
だが、大枠は決まった。
博之は文を最後まで読み、深く息を吐いた。
「……よし」
ヨイチが顔を上げる。
「ようやくですね」
「これで腰据えて年末できるわ。ずっと坂本のことが頭に引っかかってたからな」
お花も少しほっとした顔をした。
「では、旦那様もようやく静かに療養を」
「よし。師範決めやな」
「なぜそうなるんですか」
お花の顔がすぐに戻った。
博之は気にせず、別の紙を広げた。
「前から言うてたやろ。年末に焼印の昇格会やるって」
伊勢松坂屋の料理人が持つ焼印は四つ。
見習い。
任せ。
師範代。
そして師範。
今回は、すでに焼印を持つ者たちが、一つ上の印を目指す。
見習いから任せ。
任せから師範代。
師範代から師範。
「三つに分けよう」
博之は指を立てた。
「見習いの勝負は八十文。任せは百二十文。師範代は二百文」
「客が払う値段ですね」
「そう。上へ行くほど高くする。二百文払って師範候補の飯を食うなら、客も遠慮せえへんやろ」
「むしろ厳しくなりそうですね」
「それでええ」
師範代から師範を目指す者については、さらに年末の本番を用意する。
博之は松阪のお殿様にも文を書いた。
「年末、一日ちょっと城下の場所と料理人を貸してください。松阪のお城の料理番も交えて、
最後の師範決めをしたいです、と」
「また殿様を巻き込むんですか」
「絶対来るやろ」
「来るでしょうね」
ヨイチも否定しなかった。
寺や神社にも場所を借りる話が飛び、各拠点へも募集の文が回った。
すると、料理人たちは一気にざわついた。
「今年、任せ印まで行きたい」
「わしは師範代を狙う」
「師範になったら京都へ行けるかもしれんぞ」
「堺の店もある」
「尾張もあるぞ」
各地から参加希望が届き始めた。
博之は、それを見ながら満足そうに頷いた。
「ええやん。盛り上がってる」
「料理人は、ですが」
ヨイチが言った。
「当日は料理を作らない者も大量に必要です」
「そこ大事やぞ」
博之は急に真面目な顔になった。
「むしろ今回、そこも見る」
「裏方を?」
「そう。八十文、百二十文、二百文で客を分ける。時間も分ける。入口で詰まったら終わりや。
木札の確認、席への案内、膳の回収、水、薪、器洗い、ゴミ、子どもや年寄りへの声かけ。全部いる」
料理人だけが主役ではない。
飯を作る者が百点でも、客が一刻待たされたら満足は落ちる。
器が足りなくなれば料理は出せない。
道が詰まれば事故になる。
「伊勢松坂屋は、これからこういう催しを定期的にやるんや。細かい仕事やからって手抜く奴には、
次の大きい仕事は任せられへん」
「なるほど」
「料理人の昇格会やけど、店全体の野良試合でもある」
その言葉が伝わると、裏方の者たちにも気合が入った。
「入口は二列に分けるぞ」
「二百文の組は時間をずらす」
「汁は先に椀だけ並べとく」
「帰りの客と次の客を同じ道に通すな」
料理を作らない者まで、勝手に作戦会議を始めていた。
そんな様子を聞いた博之は、さらに余計なことを思いついた。
「終わったら、くじ引きでもするか」
お花が嫌そうな顔をした。
「何ですか、それは」
「慰労会や。箱を一つ用意して、紙を百枚ぐらい細かく切る。番号を書いて、
くしゃくしゃにして入れる」
「それを引く?」
「そう。番号ごとに景品を用意する」
どこかの店の無料食事券。
湯浴み券。
甘味。
女衆が選んだ小物。
買い付け隊が見つけてきた珍しい品。
酒。
少し良い手拭い。
大当たりには、師範代御膳の券でも入れる。
「これ、ちゃんとしたお楽しみ会にならへん?」
女衆の一人が少し考えた。
「……それは楽しそうです」
「やろ?」
「でも、また仕事増やしましたね」
「こっちは暇すぎんねん」
博之は胸を張った。
「布団の上で暇やから、どうしたら皆が楽しいかずっと考えてる」
「どうしたらモテるか、ではなく?」
「それも考えてる」
「動機が不純すぎます」
「でも当たったら嬉しいやろ?」
「嬉しいですけど」
「ほら」
博之は満足そうに頷いた。
「料理人が主役なのは間違いない。でも、火を起こす奴も、皿を洗う奴も、客を案内する奴も、
最後に掃除する奴も、全員伊勢松坂屋の者や」
少しだけ声が真面目になる。
「そういう奴らにも、一年間ありがとうって言いたいやん」
お花が静かに微笑んだ。
「そこまでなら、とても良い話なんですけどね」
「せやろ。だから皆に、大旦那はちゃんと忘れてへんぞって伝わってほしい」
「はい」
「そして、わしのことをもっと好きになってほしい」
沈黙。
女衆の一人が顔をしかめた。
「旦那様、キモいです」
「なんでや!」
「せっかく良い話だったのに」
「最後まで黙っておけばよかったですね」
ヨイチまで冷静に言う。
「いやいや、感謝と好意はつながってるやろ」
「つながってません」
「若い子とか、ちょっとぐらい――」
「つながってません」
お花にまでぴしゃりと言われた。
博之はしゅんと座布団へ沈んだ。
だが、その頃にはすでに松阪のあちこちで火が起こされていた。
見習いは任せを。
任せは師範代を。
師範代は師範を。
裏方たちは、催しそのものを成功させるために。
年末の伊勢松坂屋は、料理人だけでなく、店全体が一つ上へ上がるための熱気に包まれ始めていた。




