博之44才12月1週目。比叡山坂本の話がまとまらないからさらに50万文周辺で年末御礼の炊き出しをして比叡山のケツをけりに行く。ようやく話がまとまる。
十二月一週目も、中盤から後半へ入った頃。
比叡山坂本周辺の伊勢松坂屋の拠点へ、松坂本店から次々と文が届いた。
最初の文は、予想通りだった。
「十二月二週目までに、帰りたい者を家へ帰せる大枠を決めること」
現地のまとめ役は、それを読みながら苦笑した。
「また旦那様、急かしてきたな」
隣にいた料理人が笑う。
「大旦那、松坂で動けへん分、文だけめちゃくちゃ飛んできますからね」
「まあ、気持ちは分かるけどな」
坂本から逃れてきた者たちは、まだ伊勢松坂屋の飯場や、堅田、京都郊外などに
分かれて暮らしている。
仕事もある。
飯もある。
だが、本来の家や畑が坂本に残っている者も多い。
年を越すなら、できれば自分の家で。
それが博之の希望だった。
そして、二通目の文を開いたところで、まとめ役は眉を上げた。
「五十万文?」
「何です?」
「年末の炊き出しに使え、と」
「またですか」
「京都郊外、大津、堅田、坂本。薄く広くでええから、一年お世話になりました、
騒がせてすみませんでした、いうて飯を出したれ、と」
料理人たちは顔を見合わせた。
「五十万文あったら、結構できますよ」
「旦那様、相変わらず銭の使い方がおかしいな」
「採算は?」
「今回は多少赤でもええ、って書いてある」
「ほな、やりましょうか」
「やるか」
途端に料理人たちの目が輝いた。
年末の炊き出し。
しかも大旦那公認で、多少の持ち出しも許されている。
料理人たちにとっては、師範昇格を控えた絶好の野良試合でもあった。
京都郊外では混ぜ飯と温かい汁。
大津では焼き魚と味噌汁。
堅田では船乗り向けに腹持ちのよい飯。
坂本では子どもや年寄りでも食べられる柔らかい炊き込み飯。
各地で少しずつ趣向を変えながら、年末の炊き出しが始まった。
「今年はいろいろございましたが、ありがとうございました」
「来年もよろしゅうお願いします」
伊勢松坂屋の者たちは、そんな声をかけながら飯を配っていった。
しかし、比叡山坂本でその光景を見た寺の僧たちは、少し複雑な顔になった。
「ありがたいんですけどなあ」
一人の僧が、苦笑した。
「なんか、こう……当てつけみたいにも見えますわ」
伊勢松坂屋のまとめ役も苦笑する。
「いやいや、こっちも困ってるんです」
「困ってる?」
「旦那様が、めちゃくちゃ気にしてるんですよ」
「松阪で?」
「はい。早よ家へ帰してやれ。年末ぐらい温かい家で飯食わせたれ。ずっとそれです」
僧は、思わず笑った。
「首切られかけた相手の領民を、そこまで心配しますか」
「うちの旦那様、ああいう人なんです」
「えげつないことする割に」
「そこは否定しません」
二人は少し笑った。
まとめ役は続けた。
「しかも、十二月二週目までに役務や年貢の軽減を覚書にして、帰還の道筋を決めていただけたら、
比叡山側へ百万文ほど出す話までつけてます」
僧の顔が変わった。
「百万文?」
「はい。名目は寄進でも、帰還支援でも、寺の修繕でも、その辺は相談です。
ただし、ちゃんと話をまとめてくれたら、という条件つきです」
「そこまでしますか」
「時間を買う銭や、言うてました」
僧は、少し黙った。
目の前では、伊勢松坂屋の料理人が子どもへ汁をよそっている。
その横では、坂本の商人が以前受け取った補償の話をしていた。
「証文出したら、すぐ銭来たで」
「ほんま仕事早いな、あそこ」
そんな声まで聞こえてくる。
僧は小さくため息をついた。
「……格好悪いですな、うちら」
「そこまでは言いませんけど」
「言うてる顔ですやん」
「いやいや」
僧は遠く比叡山を見た。
「現場としては、もう返したらええと思ってます。役務を減らす。年貢を待つ。
それで家へ戻れるなら、それでええ」
「はい」
「ただ、上には上の面子がある。一介の商人に言われて決めた、と思われるのが嫌なんでしょうな」
「うち、一介の商人なんですかね」
「そこがまた難しいんですわ」
僧は笑った。
「もう一介ではない。でも、大名でも寺でもない。やから余計に扱いに困る」
「飯屋です」
「旦那様と同じこと言いますな」
そんな話をしている間にも、炊き出しの列は伸びていた。
そして、その様子は比叡山上層部にも伝わった。
坂本で伊勢松坂屋が年末の炊き出しをしている。
京都郊外、大津、堅田にも飯を出している。
商人への補償も済ませ始めている。
さらに、帰還条件をまとめれば百万文。
さすがに、いつまでも返答を引き延ばす状況ではなくなった。
「……もうよい」
上役の一人が、ついに言った。
「役務については、春の田植えが落ち着くまで大幅に軽減する」
「年貢は」
「今年残りについては半減。来年分は作柄を見て改めて決める」
「高利の取り立ては」
「春まで猶予じゃ」
「覚書にしますか」
「せよ」
場にいた僧たちが顔を見合わせた。
「帰還を希望する者は?」
「戻してよい。伊勢松坂屋とも立会いで確認する」
ようやく、大枠が決まった。
その日のうちに文が整えられ、早馬が坂本から走った。
行き先は松坂。
伊勢松坂屋のまとめ役は、それを見送りながら肩の力を抜いた。
「やっとですな」
隣の僧も、深く息を吐いた。
「結局、大旦那に尻を蹴られて、皆てんやわんやになりましたな」
「うちもですけどね」
「今年、比叡山は評判落としましたわ」
僧は少し寂しそうに笑った。
「住民に逃げられ、商人に不満持たれ、最後は伊勢松坂屋に飯を配ってもらって、
戻す条件まで考えてもろた」
「来年取り返したらええんちゃいますか」
「そうですな」
僧は、炊き出しの鍋から上がる湯気を見た。
「今年の年末と来年一年。じっくりやらなあきませんな。飯を出すだけでもええ。
役務を減らすだけでもええ。まず、住民に『ここで暮らしてもええ』と思ってもらわな」
「それが一番です」
「伊勢松坂屋さんみたいに、すぐにはできませんけどな」
「うちも最初からできたわけちゃいますよ」
二人は笑った。
比叡山坂本の冬空に、炊き出しの煙が上がっていた。
騒動そのものは、まだ完全に終わったわけではない。
だが、ようやく。
逃げた者が家へ戻り、温かい飯を食べながら年を越せる道が、本当に見え始めていた。




