博之44才12月1週目。帳面合わせ。64,000万文→67,300万文。比叡山の収束がまだなんでさらに50万文を周辺に撒いて炊き出しをさせる指示。旦那様は寝ててくださいwww
十二月一週目。
冬らしい冷え込みが、松坂にも入ってきた。
博之は朝から奥座敷で蜂蜜入りの葛湯を飲みながら、できれば何も考えずに
一日を過ごしたいと思っていた。
しかし、ヨイチが帳面を持ってきた。
「旦那様。十二月一週目でございますので、帳面を合わせます」
「もう嫌やなあ」
「先月も同じことをおっしゃっていました」
「どんぶりでええで」
「駄目です。旦那様がどんぶりで言ったものを、こちらで直します」
「ほな、それでええやん」
「確認はしてください」
ヨイチはため息をつき、帳面を開いた。
「十一月三週目時点で、おおよそ六億四千万文」
「うん。もう桁がよう分からん」
「分からないで済ませないでください」
「昔、飯食う銭もなかった人間が、六億言われても実感ないねん」
「それでも旦那様の銭です」
ヨイチは淡々と続けた。
「そこへ今回の収益として、おおよそ三千八百万文を加えます」
「ほい」
「一方、比叡山坂本の件がまだ完全には収束しておりません。商人への支払い、炊き出し、
物資、人足、避難民関係で、追加五百万文ほど見ておきます」
「ほな、六億七千三百万文ぐらいか」
「はい。細かい数字は後で合わせますが、大枠ではその程度です」
博之は帳面を眺めた。
「もうええやろ。六億七千万ぐらい持ってる。それで」
「雑です」
「三百万文ぐらい誤差や」
「普通の商人が聞いたら怒りますよ」
博之は笑ったが、すぐに顔をしかめた。
「で、比叡山からまだ返事来てへんの?」
「正式な返答は、まだです」
「まだ?」
博之の声が一段大きくなる。
「もう十二月やで」
「上で詰めているのでしょう」
「何をそんなに詰めてんねん。家へ帰りたい人を帰す。役務を軽くする。年貢も少し待つ。
それでええやん」
お花が横から言った。
「旦那様が早すぎるのです」
「またそれ?」
「延暦寺ほどの大きなところなら、色々と確認があるのでしょう」
「ほな、もう一通送っといて」
ヨイチが筆を持つ。
「催促ですね」
「催促や。十二月二週目までに、大枠だけでも決めてください、と」
「承知しました」
「細かい年貢の数字なんかは後でもええ。まず、年内に帰れる者は帰す。役務は当面免除。
そこだけ覚え書きにしてくれ、と」
「はい」
博之は少し考えて、さらに言った。
「あと、寒うなってきたやろ」
「はい」
「炊き出し増やそう」
ヨイチの筆が止まる。
「またですか」
「またや」
「先日、百五十万文ほど見てもよいという話をしておりましたが」
「百五十万全部を延暦寺に渡すいう話やないで。百万文は、向こうがきちんと
帰還の話をまとめた時の支援に使う」
「では残り五十万文は」
「近くの拠点から薄く広く出してやれ」
博之は指を折った。
「京都郊外。坂本。堅田。この辺やな。米、味噌、薪、葛湯でもええ。年末に
『今年もお世話になりました』『騒がせてすみませんでした』いうて炊き出ししたれ」
「延暦寺に睨まれませんか」
「睨まれへん程度にな」
「そこが難しいんですよ」
ヨイチは苦笑した。
「だから現場に任せる」
「便利な言葉ですね」
「うちは松阪でもやるんやろ。一年ありがとうございました、って」
「はい」
「こっちは暖かい飯食うて、向こうでは逃げてきた人らが寒い思いしてます、
いうのが頭に残るの嫌やねん」
博之は葛湯を一口飲んだ。
「気持ち悪いやろ」
お花が少し柔らかい顔になる。
「旦那様らしいですね」
「せやから、百五十万文ぐらいで寝つきが良くなるんやったら安いもんや」
ヨイチが眉を上げた。
「最近、寝つきが悪いのは単純にお年のせいではありませんか」
「そんなことない」
「四十を越えておられますし」
「違う。私は心に深い傷を負ってるんや」
博之は首元を指差した。
「見ろ、この首」
「見ています」
「比叡山で切られたんやぞ。普通もっと優しくされてもええんちゃう?」
「旦那様」
「何や」
「それぐらいで結構です」
お花は、まるで子どもをなだめるように言った。
「旦那様は、よう頑張っております」
「ほんま?」
「はい。比叡山へ行って、話をまとめて、帰ってきて、療養しながら銭と物資まで回しました」
「うん」
「ですから、寝てください」
「そこにつながるん?」
「つながります」
博之は不満そうに座布団へ沈んだ。
「誰も俺と遊んでくれへんな」
「皆、仕事しておりますので」
「若い子らとか暇ちゃうの?」
近くで福袋の中身を相談していた女衆が、すぐに振り向いた。
「暇じゃありません」
「ちょっとぐらい旦那様と遊ぼうとか思わん?」
「思いません」
「即答やん」
「福袋があります。年末の炊き出しがあります。紅葉の片付けがあります。正月の準備もあります」
「俺も混ぜて」
「旦那様は寝ていてください」
「みんな冷たない?」
別の女衆も言った。
「旦那様が寝てくれている方が、仕事が進みます」
「ひどい」
ヨイチが帳面を閉じながら笑った。
「では、六億七千三百万文前後。そこから年末の支援費については、実際に使った分だけ
次回落とします」
「うん」
「比叡山にはもう一度催促。十二月二週目までに帰還の大枠と役務軽減の覚え書きを求める」
「それでええ」
「京都郊外、坂本、堅田へは、五十万文を上限に年末の炊き出し支援」
「うん。うまいもん食わせたれ」
「そして旦那様は」
「寝る」
「よろしい」
博之は渋々、布団へ向かった。
「なあ、お花さん」
「何でしょう」
「ほんまに俺、よう頑張ってる?」
「頑張っております」
「ほな、ちょっと若い子一人ぐらい――」
「寝てください」
「はい」
襖が閉まった。
その向こうで、女衆たちの笑い声が聞こえる。
六億七千三百万文。
これだけ銭があっても、大旦那が一番欲しいものは、どうやら誰かに構ってもらう時間らしい。
しかし伊勢松坂屋の者たちは、そんな大旦那を放って、年末の準備へ忙しく走り回っていた。




