博之44歳11月3週目。年末年始の予定と福袋について考える博之。45文の袋に100文以上の伊勢松坂屋の券。1等賞はうなぎや師範代御前と昼寝と高級湯あみ
十一月の三週目。
紅葉弁当の催しも無事に終わり、伊勢松坂屋本店には、少しだけ落ち着いた空気が戻っていた。
博之が奥座敷で茶を飲んでいると、ヨイチが分厚い帳面を抱えてやってきた。
「旦那様。そろそろ十一月三週目までの帳面を締めないといけません」
「嫌や」
「まだ何も説明していません」
「帳面やろ。面倒くさい」
「比叡山の騒動で、どれだけ米と味噌を動かしたと思っているんですか。堅田、高島、京都郊外、
堺、それに尾張との料理交流。そろそろ一度、数字を合わせませんと」
「その前に、ちょっと面白いこと考えた」
博之がそう言った瞬間、お花が顔を上げた。
「また嫌な予感がします」
「まだ何も言うてへんやん」
「旦那様が帳面から逃げる時に思いつくことは、大抵、誰かの仕事を増やします」
「今回は楽しい話や」
「その言葉が一番怖いです」
ヨイチは帳面を置き、諦めたように座った。
「それで、今度は何ですか」
「年越しや」
「年越し」
「一年ありがとうございました、いうことで、各地で炊き出しをする。みんなで飯を食って、
ちょっとした宴会をして、気の合う者同士で年が明けたら寺や神社へ参る」
近くにいた女衆が、すぐに口を挟んだ。
「旦那様は来ないでくださいよ」
「なんでや」
「女の子たちが嫌がります」
「冷たすぎへん?」
「旦那様が来たら、誰と誰が一緒に歩いていたとか、誰が次の約束をしたとか、全部聞くでしょう」
「聞くだけやん」
「だから嫌なんです」
博之は少ししゅんとしたが、すぐに気を取り直した。
「まあ、それはええ。もっと大事なんは、年末年始に福袋を出そうと思うんや」
「福袋?」
ヨイチが眉を寄せた。
「なんですか、それは」
「袋の中に、何が入ってるか分からんようにして売るんや。四十五文で売って、
中には伊勢松坂屋で使える食事券を入れる」
「いくら分ですか」
「最低でも百文分」
ヨイチの顔が固まった。
「四十五文で売って、百文分入れる?」
「そうや。だいたい二食分やな。何が入ってても、買った者は損せえへん」
「うちが損をします」
「うちはもう、銭が貯まってるやろ」
「だからといって、無条件で配る理由にはなりません」
「銭はあの世へ持っていかれへん」
「旦那様には、敦賀まで道を伸ばす話も、船を増やす話もございます」
「全部吐き出すとは言うてへんやん。節目節目で、ちょっと町に返すんや」
博之は指を一本立てた。
「百袋作ったら、そのうち一袋は大当たりや」
「大当たり」
「うなぎ半日贅沢券」
女衆たちが一斉に顔を上げた。
「なんですか、それ」
「昼にうなぎを食って、湯浴みして、少し休んで。寝床もつける」
「それは欲しいです」
「私も買います」
「だから、店の者が先に買ったら不公平やろ」
博之は手で制した。
「まず町の者に一人ずつ聞く。何が入ってたら嬉しいか。それで中身を決める」
「一等は、うなぎですか」
「うなぎでもええし、師範代御膳と上等な湯浴み、それに一晩の寝床でもええ。
五百文ぐらいの価値になるやつを何枚か入れる」
ヨイチは、頭を抱えた。
「四十五文の袋に、五百文の券を入れるんですか」
「百袋に一つとか、五十袋に一つとかや。全部やない」
「十分ひどいです」
「それ以外は百文前後の食事券。混ぜ飯と汁、肉あん、焼き飯、魚の定食。袋ごとに少しずつ違う」
「結局、最低でも倍以上返すんですね」
「正月やからな」
博之は楽しそうだった。
「さらに、十人に一人ぐらい、ふくふく焼きを一つつける」
「まだ完成していませんよ」
「年末までには型が来るやろ。砂糖と小豆も堺から入る。福袋を買って、さらに福を焼いた
菓子が当たる。縁起ええやん」
お花が静かに言った。
「旦那様、また仕事を増やしましたね」
「楽しい仕事やろ」
「作るのは旦那様ではありません」
「考えるのは俺や」
「一番楽なところです」
女衆たちは、すでに中身の相談を始めていた。
「子ども向けなら、甘いものを増やした方がいいですね」
「家族で使える券も欲しいです」
「一人で使う券ばかりだと、年寄りが困るかもしれません」
「魚焼きの券も入れましょう」
「お酒は?」
「子どもが引くかもしれへんから、酒券は別にせなあかんな」
博之は嬉しそうに頷いた。
「そうそう。そうやって考えてくれよ」
ヨイチが、渋い顔のまま筆を取る。
「販売は松阪だけですか」
「最初は松阪だけ。うまくいったら、伊勢神宮や白子、鳥羽でもやる。さらに仕組みが固まったら、
京都郊外や堺でも、その土地の飯を入れてやればええ」
「拠点ごとに中身を変える?」
「そうや。港なら魚。京都なら湯豆腐や野菜。尾張なら味噌。堺なら砂糖菓子。
何が当たるか分からんけど、損はせえへん。それが楽しみになる」
お花が少し考えてから言った。
「ただ配るよりは、店へ来る理由になりますね」
「やろ」
「券を使いに、年が明けてからまた来る」
「そう。年末に銭を町へ返して、年明けに店へ戻ってきてもらう。そこでまた飯を食って、
知り合いと会って、次の催しの話をする」
ヨイチが顔を上げた。
「旦那様、思いつきの割には商いになっていますね」
「思いつきの割には、は余計や」
「ただし、帳面上は赤字です」
「赤字でもええやん。祭りみたいなもんや」
「では、その赤字を計算するためにも、十一月三週目の帳面を締めます」
「そこへ戻るん?」
「戻ります」
博之は露骨に嫌そうな顔をした。
女衆の一人が笑いながら言う。
「旦那様、福袋の話を続けたかったら、先に帳面を終わらせてください」
「みんな冷たいなあ」
「福袋は買いますけど」
「店の者だけで買い占めたらあかんで」
「分かっています」
「一人一袋や。町の者を先にする。店の者は残った分だけ」
「ええー」
「そこは公平にな」
博之は、すっかり機嫌を直していた。
「ほな、町の者に聞いてきてくれ。四十五文の袋に何が入ってたら嬉しいか。飯でも、
湯浴みでも、寝床でも、甘いもんでもええ。十案ぐらい集めてくれ」
「分かりました」
「面白そうやろ」
女衆たちは、なんだかんだ言いながら笑っていた。
ヨイチだけは帳面を開き、博之の前へ押し出した。
「では、面白いことを始める前に、今ある銭を数えましょう」
「嫌やなあ」
「始めます」
年末の炊き出し。
小さな宴。
初詣。
そして、何が入っているか分からない福袋。
大旦那の思いつきは、また一つ、伊勢松坂屋の仕事を増やした。
だが、誰も本気では嫌がっていなかった。
四十五文の袋を開ける時、どんな顔をする者がいるのか。
それを想像するだけで、年末が少し楽しみになっていた。




