博之44才11月中旬。松坂で紅葉を見る会が開催される。女衆も参加。いつもの大旦那の思い付きかとみんなに言われるがなんやかんや紅葉見ながら食べる飯は美味しい
十一月中旬。
伊勢松坂にも、朝晩の冷え込みが少しずつ入り始めていた。
冬が来る前の短い季節。
山々は赤や黄色に染まり、風が吹けば落ち葉が道を転がる。
そんな頃、伊勢松坂屋ではまた一つ、新しい催しが始まっていた。
「紅葉を見ながら弁当を食う会」
である。
最初に聞いた者たちは、首をかしげた。
「紅葉を見る?」
「それ、年寄りがするもんちゃいますの?」
「葉っぱ見て、何が面白いんです?」
そんな声も多かった。
しかし、理由を聞けば全員納得した。
「ああ、旦那様か」
それだけである。
伊勢松坂屋では、もう慣れたものだった。
大旦那――博之が、よく分からないことを言い出す。
周りが首をかしげる。
とりあえず試す。
気づけば人が集まる。
そして、いつの間にか町の楽しみになる。
山菜取りもそうだった。
ご縁会もそうだった。
最初は全部、「なんでそんなことするんですか」から始まっている。
今回も同じだった。
「紅葉が綺麗やろ?」
「はい」
「その下で飯食ったら楽しいやろ?」
「……楽しいんですか?」
「知らん」
そんな大旦那の一言から始まった催しだった。
ただ、博之には一つだけ考えがあった。
「一緒に飯を食う理由がいるんや」
それだけだった。
普段なら話しかけない相手。
隣の店の人。
仕事場で顔を見るだけの相手。
気になっているけれど、声をかけるきっかけがない相手。
そういう人たちが、同じ景色を見て、同じ飯を食べれば、自然と話が生まれる。
そのための理由。
それが紅葉だった。
当日。
郊外の寺や山道には、思った以上に人が集まった。
男女で来る者。
家族で来る者。
子どもを連れてくる者。
年寄り同士で来る者。
それぞれが伊勢松坂屋の弁当を持って、紅葉の下に座る。
「おお、綺麗やなあ」
「ほんまですね」
「普段、こんなん見ながら飯なんか食べませんもんね」
「忙しいですからね」
弁当の蓋を開く。
握り飯。
焼き魚。
少し甘めに炊いた野菜。
肉あん。
小さな漬物。
豪華ではない。
けれど、外で食べるだけで、なぜかいつもよりうまく感じる。
「不思議ですね」
「何がです?」
「いつもの飯なのに、外で食べるとうまいです」
「確かに」
そんな何でもない会話が続く。
それが良かった。
無理に男女をくっつけるわけではない。
無理に話せと言うわけでもない。
ただ同じ場所で、同じ景色を見て、同じ飯を食べる。
すると自然と声が出る。
「あの、今度の市も行かれるんですか?」
「行こうと思ってます」
「よかったら……一緒に回りませんか?」
「え?」
「いや、その……今日楽しかったので」
そんな声も、ちらほら聞こえた。
別の場所では、女衆が若い男と話していた。
「もうすぐ年末ですね」
「そうですね」
「年越しそば、伊勢松坂屋でもやるらしいですよ」
「一緒に食べられたら、楽しいでしょうね」
言ってから、男の方が顔を赤くする。
女衆も少し笑った。
「では、風邪をひかないようにしてくださいね」
「そちらこそ」
別れ際の、そんな小さな言葉。
けれど、それだけで十分だった。
また会う理由になる。
また話す理由になる。
少し離れたところでは、伊勢松坂屋の者がお茶を配っていた。
「お茶、どうですか」
「おお、ありがたい」
「熱すぎませんので、持ちながら歩けますよ」
湯飲みを片手に、紅葉を見る。
冷たい風の中で飲む温かい茶。
それだけで、人の顔が緩む。
「しかし、伊勢松坂屋さんは色々考えますな」
「旦那様の思いつきです」
「またですか」
「またです」
それだけで笑いになる。
最後は、皆で寺の近くへ戻った。
そして、落ち葉掃き。
借りた場所は綺麗にして帰る。
これも伊勢松坂屋の決まりだった。
「飯だけ食って帰ったらあかん」
博之がよく言う言葉だ。
「場所を貸してくれた人がおる。次も貸したいと思ってもらわな続かん」
だから掃除までが催しだった。
帰り道。
参加した女衆たちは、楽しそうに話していた。
「意外と良かったですね」
「ですね」
「旦那様、適当に言ってるようで、たまに当てますよね」
「たまに?」
「結構?」
皆が笑う。
「でも……」
一人が真顔になった。
「本店前の神社だけは行きませんからね」
全員が頷いた。
「あそこだけは駄目です」
「絶対に旦那様が見ています」
「『どうやった? 仲良くなった?』って聞いてきます」
「絶対言いますね」
「言います」
満場一致だった。
紅葉を見る。
弁当を食べる。
お茶を飲む。
少し話す。
ただそれだけ。
けれど、伊勢松坂屋の催しは、いつもそうだった。
大きなことをするわけではない。
人と人が少し近づく理由を作るだけ。
その小さな積み重ねが、町を少しずつ変えていく。
そして本店では――。
「紅葉弁当どうやったかなあ」
茶を飲みながら楽しみにしている博之がいた。
しかし。
「女衆からの詳しい報告はありません」
ヨイチが淡々と言う。
「なんでや」
「旦那様が縁談話にするからです」
「せえへんかもしれんやん」
横のお花が即答した。
「します」
「……信用ないなあ」
博之は肩を落とした。
だが、紅葉弁当は成功。
また一つ。
大旦那のよく分からない思いつきが、松坂の新しい楽しみになったのだった。




