料理対決当日。朝食を抜きたいのに試してほしいとくる料理番www昼の対決では舌の肥えた参加者からの容赦ない批評がくるwww
翌朝、博之は朝一番で台所へ顔を出した。
「今日は朝飯、抜きでええわ」
その一言で、料理番たちの顔が一斉に曇った。
「旦那様、それは困ります」
「困るって何や。今日は昼が大一番やろ。わし、そこでめちゃくちゃ食わなあかんねん」
「存じております。ですが、小鉢で作っておりますので、少しだけでも」
「いやいや、今日はほんまに腹を空けとかなあかんのや」
料理番の一人が、真顔で言った。
「昼にたくさん食べればよいというものではございません。朝、昼、晩と
少しずつ食べる方が、体によろしいのではないでしょうか」
博之は目を細めた。
「屁理屈やな、お前ら」
「いえ、体を思ってのことです」
「本音は?」
「味を見ていただきたいです」
「ほら、それやないか」
周りの料理番たちは、少し笑った。
「八品全部とは申しません。その中から三つ、四つだけ。焼き加減、塩梅、
香りだけでも見ていただければ」
「ほんまにちょっとだけやぞ」
「はい」
「昼に食えんようになったら、お前らのせいやからな」
「その分、昼も食べられるように小さくしております」
「抜け目ないな」
博之は結局、小鉢を三つ、四つつまんだ。
刻み菜の和え物。
小魚の甘辛煮。
味噌を塗った焼き豆腐。
柔らかく炊いた飯を一口。
「うまい」
そう言うと、見習いたちの顔がぱっと明るくなった。
博之は見習いの肩をぽんぽんと叩いた。
「ほな、今日頑張ってこい。客は昨日より口うるさいぞ」
「はい!」
「師範代任せにするな。お前らも見ろ。客の顔を見て、出す速さを見て、残したもんを見ろ」
料理番たちは、一斉に頭を下げた。
一方、信長公も朝から小鉢をつまんでいた。
信長公の膳にも、小さな皿がいくつも並んでいる。
「ちょこちょこ出てくるな」
信長公はそう言いながら、普通に箸を進めた。
秀吉が慌てる。
「殿、本日は昼がございます。食べすぎては後で後悔しますぞ」
「こんな小鉢で食うた気がするか」
「その小鉢を、殿はもう五つ召し上がっております」
「今この瞬間を楽しまねばならん」
「は?」
「この後、急に石垣が崩れて、わしの顔が潰れることもなくはないやろ」
「ございません」
「分からんぞ。ならば、今うまいものは食う」
秀吉は、この人は豪胆なのか阿呆なのか、時々分からなくなる、と思った。
昼前には、松阪城下の広場に火床が並んだ。
前夜の寺での竹串の市は盛り上がったが、あれはあくまで肩慣らし。今日は、尾張、松坂城、
伊勢松坂屋の料理番たちが、正面から客の評価を受ける日である。
入場は二百五十文。
安くはない。
だからこそ、来る者たちの目は本気だった。
信長公は、尾張の料理番たちを前に立った。
「昨日は許す」
尾張の料理番たちが、びくりと肩を震わせた。
「初めての松坂や。急に連れてこられた。土地の舌も分からん。それは分かる」
料理番たちは、少しだけ安堵した。
だが、信長公はすぐに続けた。
「だが、今日は昨日以上のものを出せ」
空気が凍った。
「腹を切れとは言わん。だが、戦え。負けるなら負けるで、なぜ負けたかを持って帰れ。
一本でも多く竹串が入るよう、最善を尽くせ」
秀吉が横で小さく言った。
「殿、料理番たちが震えております」
「震えるぐらいでちょうどよい」
尾張の料理番たちは、完全にがちがちになっていた。
伊勢松坂屋の師範代たちは、それを少し気の毒そうに見た。松坂城の料理番たちも、
同じような顔をしている。
しかし、人の心配をしている余裕はない。
自分たちもまた、二百五十文を払って入ってきた客たちの前に立つのだ。
客たちは、昨日の見物客とは違った。
食べたいから来た。
評価したいから来た。
高い銭を払ったからには、腹も舌も満たされたい。
最初の串が出ると、客たちは一口食べ、すぐに言い始めた。
「うまい。塩加減はええ」
「けど、もう少し香りが欲しいな」
「昨日の伊勢松坂屋の肉あんと比べると、腹への残り方が弱い」
「尾張の魚はええけど、味噌の乗せ方がまだ遠慮してるな」
尾張の料理番は、たじたじになりながらも、必死に火加減を直した。
伊勢松坂屋の列では、肉あん、焼き飯串、味噌鶏串が次々に出た。
客の反応は良い。
だが、それでも甘くはなかった。
「うまい。うまいんやけどな」
「師範代御前を知ってるとな」
「風呂に入って、飯を食って、布団で寝る。あれを味わってもうたら、
こうやって単品でわらわら食う時にも、もう一つ上の味が欲しくなるんや」
伊勢松坂屋の師範代が苦笑した。
「それは比較が厳しすぎます。風呂と寝床までついた満足と比べられると、串だけではなかなか」
「でも、それを目指さなあかんのちゃうか」
客の男は、悪びれずに言った。
「こうやって大量の人を惹きつけるには、ただうまいだけやなく、もう一段いるんやろ」
師範代は言葉に詰まった。
松坂城の料理番たちも、楽ではなかった。
副菜は評判が良かった。
酢味噌和え。
小魚の煮物。
豆の炊いたもの。
薄切り大根の漬物。
香りのよい吸い物。
「繊細やな」
「奥行きがある」
「城の料理らしい整い方や」
褒められている。
だが、次にこう言われる。
「でも、主力はどうするんや」
「副菜のうまさは分かる。けど、お城の料理番なら、主の料理でも伊勢松坂屋にぶつかってほしいな」
「この繊細さを、肉や魚の主力に乗せられたら、もっと化けるんちゃうか」
松坂の料理番は、笑顔を保ちながらも、内心で冷や汗をかいた。
褒められているのに、尻に火をつけられている。
客の口は、完全に肥えていた。
南伊勢で、伊勢松坂屋の催しを何度も食べている。師範代御前を知っている者もいる。
風呂と飯と休息を一つの満足として覚えている者もいる。
ただ「うまい」だけでは足りない。
尾張の料理番に対しては、さらに厳しかった。
「まずいとは言わん。うまい」
「でも、揉まれ慣れてないな」
「南伊勢は野良試合をやりすぎてるんや。客の顔を見て、その場で直すのが早い」
「尾張はまだ、料理番が料理を出してる感じや。伊勢松坂屋は、客の流れまで料理に入ってる」
尾張の料理番は、悔しそうに唇を噛んだ。
信長公は、離れた席でその様子を見ていた。
「まだまだ、とは言わん」
信長公は串を置きながら言った。
「うまいのはうまい。だが、南伊勢の料理熱がまだ伝わっておらん。揉まれ慣れてない」
秀吉が頷く。
「立ち振る舞いも含めて、野良の試合をしている伊勢松坂屋は強いのでしょうな」
「味も、もう一段上げる余地がある」
「はい」
「二百五十文を取るなら、うまいのは当たり前や」
信長公は、尾張の料理番たちを見た。
「払った以上のものを出さねばならん。客は二百五十文払って、四百文の価値を求めておる」
秀吉が苦笑した。
「かなり厳しい言葉でございますな」
「だが本当のことや」
その言葉は、やがて料理番たちにも伝わった。
二百五十文も払ったのだから、うまいのは当たり前。
四百文の価値を出せ。
それで初めて、また食べたいと思わせられる。
尾張の料理番たちは、顔を青くしながらも、火床の前に立ち続けた。
松坂城の料理番たちは、副菜の皿をもう一度見直した。
伊勢松坂屋の師範代たちも、客の言葉を帳面に残した。
会は盛り上がっていた。
笑い声もある。
歓声もある。
うまいという声もある。
しかしその中には、刃物のように鋭い評価も混じっていた。
博之は、少し離れた席でそれを聞いて、苦笑した。
「客の口が肥えすぎやな」
お花が横から言う。
「旦那様が肥えさせたんです」
「せやな」
博之は、小さな串を一つ口に入れた。
うまい。
だが、確かにまだ上がある。
松坂の広場には、焼ける味噌と肉の匂い、客の笑い声、そして料理番たちの焦りが混じっていた。
これは単なる料理勝負ではない。
飯で人を呼び、銭を取り、また来たいと思わせるための、厳しい野良試合だった。




