尾張の城で京都からの文を見ながら何が起こっているのか詳細がわからん。熱量が足りん。直接博之に聞こうとなりお見舞いと料理の野良試合名目て松坂に向かう信長
尾張では、信長が秀吉を前にして、京都から届いた文を何通も広げていた。
近頃、京都筋から入る話に、奇妙なものが混じり始めている。
比叡山。
伊勢松坂屋。
三好。
六角。
北畠。
その名が、妙な形で絡んでいる。
「で、結局どうなっとる」
信長は、文を指で叩いた。
秀吉は、少し困った顔をした。
「はっ。探りを入れておりますが、伝聞が多うございます。確かなところでは、
比叡山の僧兵が住民をけしかけ、伊勢松坂屋の飯場へ押しかけさせたようでございます」
「そこで、あの飯屋が食わせた」
「はい。飯を出し、事情を聞き、逆に僧兵が縛られたとか」
信長は、声を上げて笑った。
「飯場を襲いに行って、飯を食わされて縛られるか。比叡山の僧兵も、よう分からん負け方をする」
「その後、比叡山と伊勢松坂屋の間で何らかの取り決めがあったようです」
「そこに三好と六角が絡む」
「はい。さらに、なぜか北畠筋、松阪のお殿様も立ち会ったとか」
「面白い」
信長は目を細めた。
「三好、六角、北畠を同じ場に絡ませて、比叡山と飯屋が取り決めをする。何やそれは。
戦か。商いか。寺社争いか」
「分かりませぬ」
「そこが面白いんじゃ」
信長は文をもう一枚手に取った。
「で、その後、伊勢松坂屋は坂本周辺に拠点を作った」
「はい。京都郊外から坂本、堅田方面へ、炊き出し場や小さな市を置き、住民がそこへ流れたようです」
「引っこ抜いたか」
「引っこ抜いた、というより、飯を出すと知った住民が並んだようでございます」
「同じことじゃ」
信長は笑った。
「腹を空かせた民が、飯のある方へ歩く。刀で囲っても止まらん。あの男らしい」
「僧兵と揉めたとの話も入っております。ですが、そこから先がまだ曖昧でして」
「どうせ収める」
信長は、あっさり言った。
「あいつは、押すだけ押して、抱えきれんと見たら落としどころを作る。比叡山を空にするほど
馬鹿ではあるまい」
秀吉は苦笑した。
「殿は、よう見ておられますな」
「分かるわ。あいつは根なし草の飯屋に見せて、妙に大名臭いところがある」
「大名臭い、ですか」
「そうじゃ」
信長は文を放り投げた。
「もとは流浪の身やった男が、一気に京都まで出て、比叡山と話を詰める。三好と六角へ銭を投げ、
北畠を立て、寺へ飯を出し、民を動かす。領地を持たぬくせに、
やっていることは小さな大名ではないか」
信長は、また笑った。
「いや、小さな大名よりよほど面白い。飯で領分を揺らすのだからな」
秀吉は、少し身を乗り出した。
「では、博之殿を尾張へ呼びますか」
「呼びたい」
信長は即答した。
「呼んで、直に聞きたい。文では熱が足らん。何をどう見て、どの時に銭を投げ、どの時に飯を出し、
どこで矛を収めたか。そこが聞きたい」
「しかし、博之殿は首を傷めておるとも聞きます。体調も万全ではありますまい。お花殿も、
今回だけ特別に許したのでしょう。尾張まで出張って来いというのは、なかなか通らぬかと」
「お花という女は、そんなに怖いのか」
「博之殿には、かなり効いております」
信長はまた笑った。
「飯屋の大旦那が、女房役に止められるか」
「女房かどうかは存じませぬが、止め役であることは確かかと」
「ならば、こちらから行く」
秀吉は目を丸くした。
「殿が、松坂へですか」
「うむ」
「北畠の領分でございますぞ」
「だから名目が要る」
信長は楽しそうに立ち上がった。
「見舞いじゃ。首を傷めた博之を見舞う。銭も持って行く。十万文ほど出せば、
見舞いとしては格好がつく」
「十万文……」
「それと、料理の野試合をしておるだろう」
「はい。尾張の料理番と、伊勢松坂屋から派遣された師範、師範代たちが競う形で」
「それを名目にする。尾張の料理番を連れ、伊勢松坂屋の師範や師範代も伴い、現状報告を兼ねて
松坂へ行く。料理の話、見舞いの話、商いの話。筋は通る」
秀吉は手を打った。
「なるほど。九鬼水軍経由であれば、船も使えます。北畠への筋も、見舞いと料理交流ならば
立てられます」
「文を出せ」
「はっ」
「伊勢松坂屋の情報便を使え。あいつらの便は早い。普通の使いよりも、飯屋の荷に紛れた文の方が
早く届くことがある」
「承知しました」
「それと、松坂のお殿様にも筋を通せ。あの男、どうせ今回の騒ぎにも野次馬根性でいたのだろう」
「おそらく」
「ならば、わしも野次馬で行って何が悪い」
秀吉は思わず笑った。
「殿、それを正面から言うのはおやめください」
「言わん。見舞いじゃ」
信長は笑いながら言った。
「見舞いと料理の話をしに行くだけじゃ。ついでに、比叡山を飯で揺らした男の話を聞く」
その日のうちに、尾張から文が走った。
伊勢松坂屋の荷の道を使い、料理番たちの準備も始まった。尾張の料理番は慌てて包丁や鍋を整え、
伊勢松坂屋から派遣されていた師範代たちは、突然の同行に目を白黒させた。
「殿が行く?」
「松坂へ?」
「見舞い?」
「料理の野良試合の続き?」
理由は色々つけられた。
だが、誰もが薄々分かっていた。
信長は、比叡山と伊勢松坂屋の騒動を、直に聞きたいのである。
一方、松坂の伊勢松坂屋本店にも、文が届いた。
博之は、それを読んだ瞬間、茶を吹きそうになった。
「信長様が来る?」
お花が眉をひそめる。
「尾張からですか」
「見舞い名目。料理の野良試合の報告も兼ねて。十万文持参。九鬼水軍経由で来るらしい」
「……もう断れない形ですね」
「そうやねん」
博之は頭を抱えた。
「しかも、文が届いたってことは、もう動いてる可能性が高い」
ヨイチが別の文を手に入ってきた。
「旦那様。蟹江方面からも知らせです。尾張筋の船が、伊勢松坂屋の流通に乗る形で
松阪へ向かっていると」
博之は天井を仰いだ。
「早い。早すぎる」
お花が冷静に言う。
「こちらの根回しができていませんね」
「できてへんどころか、断る前に来てる」
「さすが信長様、と言うべきでしょうか」
「絶対、野次馬根性や」
博之はぼやいた。
「見舞いとか料理とか言うてるけど、比叡山の話を聞きたいだけや。松阪のお殿様も面白がって
乗るやろうし、九鬼水軍も船を出す。もう止まらん」
「では、迎えるしかありません」
「分かってる」
博之はため息をついた。
「お花さん、俺、安静やったはずでは」
「安静です」
「信長様が来るのに?」
「座って応対してください。走らない。叫ばない。悪い顔をしない」
「最後は無理かもしれん」
「努力してください」
ヨイチが帳面を開いた。
「迎えの準備をしますか」
「するしかない。見舞いなら見舞いらしく、席を整える。料理番も呼べ。尾張の料理番と、
うちの師範代の顔合わせもする。九鬼水軍にも礼を用意。松坂のお殿様にも手紙」
「はい」
博之は、もう一度文を見た。
比叡山の騒ぎがようやく一段落しようとしていたところに、今度は信長である。
「ほんま、休ませてくれへんな」
お花が横から言った。
「旦那様が騒ぎを大きくするからです」
「今回は向こうから来るんやで」
「でも、聞きたいと思わせることをしたのは旦那様です」
「それは……まあ、否定できん」
博之は苦笑しながら、茶を飲み直した。
尾張の若き虎が、見舞いの名を借りて松坂へ来る。
理由は料理。
名目は見舞い。
本音は比叡山騒動の熱を聞くこと。
博之は、文を畳んで呟いた。
「迎えるしかないか」
そして、少しだけ悪い顔をした。
「せっかく来るなら、飯ぐらい食わせんとな」




