十二月の二週間。炊き出しや雇い入れ、諸々施設の増強などでようやく赤字4万文。湯あみと拠点が増える。
十二月に入って二週間。
博之はまた帳面の前に座っていた。
「……ほんま、数字ばっかりやな」
そうぼやきながらも、手は止めない。
前回の残りは六十四万九千文。
そこから、この二週間の商いをまとめる。
まず、横丁や握り飯屋、弁当、天ぷら、すり身串、港の商い、そして湯あみの分を合わせた利益が、
ざっくり四十一万文。
ここまでは良かった。
だが、そこから出ていく銭も大きい。
家賃が三万六千文。
人件費が十六万二千文。
椎茸、養鶏場、油、薪、炭、魚、漬物、弁当箱、薬、湯浴み、布団の取り回しなど、諸経費が十万文。
それらを差し引くと、この二週間の純増は十一万文ほどだった。
「まあ、これだけ残れば十分やろ」
横で見ていたヨイチが言う。
「普通はな」
博之は筆を置かずに答える。
さらに、この二週間では新しく六十人を雇い入れた。
当然、飯を食わせ、湯浴みをさせ、最低限の着物や寝具を用意し、住む場所も整えなければならない。
新入りの初期費用として二万四千文。
残りは八万六千文。
そこに、屋敷を三つ借りた。
家賃だけなら三千六百文ほどで済むが、屋敷は借りただけでは使えない。
中に米、味噌、塩、干物、漬物、薪、炭、予備の布、薬、予備金を入れる。
そこに三万三千文ほどを入れた。
残りは四万九千文。
博之はそこで、また妙なことを言い出した。
「一万文ぐらい使って、松坂と津の間に小さい拠点作ってこい」
それを聞いた古参たちは顔を上げた。
「拠点、ですか」
「せや。大きい横丁やなくてええ。田楽、団子、握り飯。できれば鶏串。まずはそれぐらいでええ」
「一万文で?」
「余ったら小遣いにしてええ」
その一言で、若い古参たちの目が輝いた。
「ほんまですか」
「ちゃんと商売して、ちゃんと帳面つけた上でな」
「それ、店主にしてくれるってことですか」
「店主見習いや」
「やります!」
数人の古参が一気に前のめりになった。
「年末でも頑張りますよ」
「松坂と津の間なら、人通りありますよね」
「握り飯なら回せます」
「田楽は俺、できます」
博之は、思った以上に食いつきがいいことに少し驚いた。
自分としては、金が余ったから少し使うか、くらいの気持ちだった。
だが、下の者たちにとっては違う。
自分たちが任される。
自分たちの店を持つ。
たとえ小さな拠点でも、それは大きな話だった。
ヨイチは横で呆れ顔をしていた。
「旦那、またこれ、うまくいく感じですよ」
「そうか?」
「そうです。なんか今年の旦那には、天の邪鬼みたいなんがついてますわ」
「なんやそれ」
「銭を減らそうとしたら増える。施しをしたら評判になる。店を出したら人が育つ。
そんな流れになってる」
「怖いこと言うな」
博之は苦笑した。
さらに、この二週間では炊き出しを四回行った。
郊外の寺、松坂の町場の寺、神社、そして港。
小魚のあら汁、鯛のあら大根、浜すり身串、混ぜ飯を出した。
それに加えて、従業員向けの慰労もやった。
高い湯あみの木札を配り、年忘れの飯会を開き、天ぷらや親子丼、すり身串を振る舞った。
これらは大きく儲かるものではない。
むしろ、銭は出ていく。
それでも、町の評判と従業員の気持ちは明らかに良くなった。
「この辺の出費含め、ざっくりトントンやな」
博之は帳面に書き込む。
「金が消えたというより、評判と気持ちに変わった感じや」
そしてもう一つ、大きな出費があった。
湯あみである。
簡易の湯あみを六か所ほど作った。
さらに、松坂の城下では女性向けの高い湯あみしかなかったため、男性向けも一つ新しく作った。
釜、桶、すのこ、囲い、薪置き場、着替えの場所。高い方には畳も入れる。
ここは赤が出た。
いや、正確に言えば、赤ではない。
銭が物に変わっただけだった。
「湯あみだけで、マイナス四万文くらいやな」
ヨイチが帳面を見て言う。
「赤字ですな」
「赤字というより、設備や」
博之は言い直す。
「湯浴み場になった。清潔になった。病が減るかもしれん。女衆も安心する。男衆も湯浴みできる」
「まあ、それはそうですけど」
「それに、また売上立つかもしれん」
ヨイチはため息をついた。
「ほら、また増えること考えてる」
「考えてへん」
「考えてます」
お花は横で笑っていた。
「でも、湯あみは必要です。人数が増えましたから」
博之は頷く。
六十人を新しく雇い入れたということは、飯だけでは済まない。風呂、寝具、病、揉め事、
読み書き、仕事の割り振り。すべて増える。
それでも、受け入れる。
受け入れた分、拠点を増やす。
拠点を増やした分、人に任せる。
それが、今の伊勢松坂屋の流れだった。
最終的に、帳面の数字はこうなった。
前回残高、六十四万九千文。
この二週間の営業利益と湯あみ収入、四十一万文。
家賃、人件費、諸経費、新人初期費、屋敷三つ、備蓄、炊き出し、慰労、岩宮整備、
津方面の小拠点費用。
すべてを差し引いて、十二月中旬時点の残りは、六十万九千文。
博之はその数字を見て、少しだけ息を吐いた。
「……四万文減った」
ヨイチが笑う。
「ようやく減りましたな」
「でも、家三つ増えて、岩宮増えて、拠点も増える」
「つまり、銭が形になっただけですな」
「そうや」
博之は帳面を閉じた。
手元の銭は減った。
だが、屋敷が増えた。
備蓄が増えた。
湯浴み場が増えた。
人が増えた。
松坂と津の間に、小さな拠点も生まれようとしている。
銭だけで見れば四万文減。
だが、伊勢松坂屋という塊は、明らかに大きくなっていた。
「年末まで、まだ少しあるな」
博之が言うと、ヨイチは嫌な予感がしたように眉をひそめた。
「また何かする気ですか」
「正月の支度や」
「それが一番怖いんですわ」
お花がくすくす笑った。
十二月中旬。
冬の寒さは増していた。
だが、伊勢松坂屋の屋敷では、鍋の湯気、湯あみの湯気、炊き出しの湯気が、絶えず上がっていた。




