京都郊外の寺で一同会して伊勢松坂屋と延暦寺の話し合い。捕縛した僧兵が泣きだし奈良の寺社筋預かりでまとまる
京都郊外の寺で、話し合いの場が設けられた。
寺の住職が真ん中に座り、その左右に席が並ぶ。
伊勢松坂屋の博之。
松坂のお殿様。
三好方の使者。
六角方の使者。
そして、延暦寺から来た偉い僧たち。
本来なら、延暦寺としては朝廷筋か公家筋、あるいは浅井や朝倉にも間に入ってもらいたかった。
せめて、自分たちに少しでも理解を示す者を一人は置きたかった。
だが、博之の動きが早すぎた。
松阪から草津を経て、翌昼には京都郊外へ入った。さらに北畠に連なる松阪のお殿様まで連れてきた。
現場にはすでに三好と六角の者もいる。
気づけば、延暦寺にとって周りは敵だらけに近い席になっていた。
しかも、その原因は自分たちの末端が作った。
延暦寺の僧たちは、だいぶ居心地が悪そうだった。
最初に口を開いたのは、寺の住職だった。
「本日は、騒ぎを大きくせぬためにも、ここで筋を整えたいと思います」
静かな声だったが、場の空気は重い。
博之は、首筋に薄く残る傷を指で軽く触った。
「今回の件と、あと、私のこの首の件ですね」
延暦寺の僧たちの顔が強張った。
「ずいぶん謝罪の言葉がなかったので、こちらから来てしまいました」
博之は穏やかに言った。
穏やかだったからこそ、余計に刺さった。
延暦寺の上座の僧は、深く頭を下げた。
「この度は、まことに申し訳ないことをいたしました」
博之は少し首を傾げた。
「頭、下げられるんですか」
その言葉に、延暦寺側の若い僧が一瞬むっとした顔をした。
だが、上座の僧が低く言った。
「頭を下げるに決まっておるやろうが」
声には苦みがあった。
「大膳亮殿に刃を向け、飯場を荒らし、さらにこの度は末端の者が領民をけしかけた。
これで頭も下げぬなら、話し合いにもならぬ」
松坂の城主が、横で鼻を鳴らした。
「分かっとるなら、最初からそうしとけばよかったんや」
延暦寺の僧は何も言い返さなかった。
続いて、今回の騒動について延暦寺側が説明を始めた。
「今回、末端の僧兵どもが勝手に押しかけた件については、我々の預かり知らぬところでございます」
三好方の者が、にやりと笑った。
「まあ、そう言うしかないわな」
六角方の者も頷く。
「上が命じたと言うたら、それこそ終わりやからな」
延暦寺の僧は、歯を食いしばるように続けた。
「当人たちには、しっかりと処罰を与えます。その上で、まずは身柄の返還をお願いしたい。
必要な詫び、述べるべきことがあれば、ここで述べます」
博之は、静かに言った。
「では、当人たちを連れてきてください」
寺の者に促され、奥の部屋から縛られた僧兵たちが連れてこられた。
彼らはすっかり憔悴していた。
大津で飯場を荒らした時のような勢いはない。住民をけしかけた時の浅い自信も消えている。
畳の上に座らされると、一人がいきなり頭を擦りつけた。
「申し訳ございませんでした!」
延暦寺の僧が眉をひそめる。
「黙っておれ」
だが、僧兵は止まらなかった。
「わしらは、ものすごく悪いことをしました。何でも言うことを聞きます。ですから、
比叡山へ身柄を明け渡すことだけはやめてください」
場が静まった。
「……何?」
延暦寺の上座の僧が、低い声を出した。
僧兵は震えながら続ける。
「戻されたら、殺されるかもしれません。少なくとも、ただでは済みません。
どうか、どうか、ここに置いてください」
「誰がそんなことを言うた!」
延暦寺の僧が怒鳴った。
「口を閉じろ!」
松坂の城主が、堪えきれずに笑った。
「よっぽど信頼されてへんな、比叡山は」
三好方の者も笑う。
「そらそうやろ。上は知らぬ、末端が勝手にやった、処分する。そんな話になったら、
こいつらは身代わりや」
六角方の者も肩をすくめた。
「伊勢松坂屋の方は、生き証人が欲しいから殺すことはないわな。むしろ大事にすると思うで」
博之は、僧兵たちをじっと見た。
「うちは、あんたらを殺す気はありません。飯も水も出してます。怪我も見ます。
ただし、やったことは記録します」
僧兵たちは、何度も頭を下げた。
「何でも言います。誰に言われたか、どこで話したか、どう領民を集めたか、全部言います。
だから、比叡山に返すのだけは……」
延暦寺側の僧の顔色が悪くなった。
松阪の城主は、意地悪く言った。
「どうする? 返してもらって処罰する言うても、本人らが泣いて嫌がっとるぞ」
延暦寺の僧は苦い顔で答えた。
「それでも、我らの僧兵でございます」
「けど、そちらに渡したら証人が消えるかもしれん」
「そのようなことはいたしませぬ」
「本人らが信じてへんやないか」
場に、また笑いが起きた。
ただし、延暦寺側は笑えない。
住職が静かに言った。
「ひとまず、当人らをすぐ比叡山へ戻すのは、場を荒らすかもしれませぬ。証言も取らねばなりません」
博之は少し考えた。
「では、どこかに預ける形はどうですか」
「預ける?」
「伊勢松坂屋が抱えたままだと、延暦寺も面白くないでしょう。かといって、
比叡山へ戻せば、本人らが怖がる。三好や六角に預けると、それはそれで政治になります」
三好方の者が笑った。
「うちに来てもええけど、延暦寺は嫌やろうな」
六角方の者も言う。
「うちも同じや。預かるだけで揉める」
松阪の城主が、冗談めかして言った。
「なら、高野山にでも送るか」
僧兵の一人が、思わず叫んだ。
「高野山ですか!」
松阪の城主が笑った。
「なんや。まだ選べると思って叫んどるんか。あんな山の中でも、飯は出るやろ」
博之が苦笑した。
「まあまあ、冗談でしょう」
「半分はな」
「奈良はどうですか」
博之が言うと、住職が少し考えた。
「奈良ですか」
「奈良の寺とは、うちも前に揉めかけましたが、そこから交流になってます。
今は割と仲良しです。奈良の寺に預ければ、延暦寺も簡単には手を出しにくい。
場所的にも遠いですし」
三好方の者が頷いた。
「それはありやな。大和の寺社筋に預ければ、比叡山が直接どうこうはしにくい」
六角方も言う。
「伊勢松坂屋が抱え込むよりは中立っぽい。延暦寺も、少なくとも即座に返せとは言いにくい」
僧兵たちは、必死に頭を下げた。
「お願いします。奈良でもどこでも行きます。比叡山へ戻されるよりは……」
延暦寺側の僧は、苦虫を噛み潰したような顔をした。
本来なら、自分たちの僧兵を他所へ預けるなど面子に関わる。
だが、ここで無理に引き取ろうとすれば、証人隠しと見られる。本人たちも泣いて嫌がっている。
折れるしかなかった。
「……一時預かり、という形なら」
延暦寺の上座の僧が、ようやく言った。
「奈良の寺へ預け、証言を取る。処分については、後日、延暦寺として改めて申し入れる」
「ええでしょう」
博之は頷いた。
「ただし、やったことはやったことです」
僧兵たちは、身を縮めた。
「確認します。これは、延暦寺のためを思ってやったことですね」
若い僧兵が、すがるように言った。
「もちろんでございます。我らは、延暦寺のために……」
延暦寺の上座の僧が、思わず目を閉じた。
「そんなわけないやろうが」
低い声だった。
「こちらが交渉の糸口を探しておる時に、勝手に領民をけしかけ、飯場を荒らそうとして、
証拠まで残した。延暦寺のためなどと言えるか」
若い僧兵は、がくりと肩を落とした。
それでも、その言い分を完全に否定しきることもできなかった。
末端は末端なりに、逃げる領民を止めようとした。
伊勢松坂屋の飯場を潰せば、流れが止まると思った。
浅はかで、愚かで、最悪の手だった。
だが、延暦寺の面子を守ろうとした結果だと言われれば、上はそれを完全に切り捨てることも難しい。
結局、僧兵たちは奈良の寺へ一時的に預けられることになった。
延暦寺は、謝罪の言葉を述べた。
大津での件についても、行き過ぎがあったと認めた。
今回の件は末端の暴走としながらも、責任を持って調べると約束した。
だが、その場にいた誰もが分かっていた。
これは、比叡山が主導権を持って進めた話し合いではない。
博之が早く来た。
松坂のお殿様が来た。
三好と六角が現場を押さえた。
寺の住職が真ん中に立った。
領民が証言した。
僧兵が泣いた。
その結果、比叡山は折れるしかなかった。
話し合いの最後、松坂の城主は延暦寺側を見て、淡々と言った。
「民に飯を食わせられん者が、飯を出す者を恨むのは筋違いやで」
その言葉に、延暦寺の僧たちは何も返せなかった。
京都郊外の寺には、まだ釜の湯気が上がっている。
その湯気の向こうで、比叡山はようやく、自分たちがどれほど厄介な飯屋を相手にしているのかを、
思い知らされていた。




