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魚のすり身の天ぷらの食べ方や応用法を話す博之。ヨイチは錬金術やとうなる。この飯のすごさにみんなが気付く

博之は、平たく揚げたすり身を一切れつまみながら、ふと思い出したように言った。

「ちなみに、これな」

 皆が顔を上げる。

「醤油をつけて食うと、もっとうまいぞ」

「醤油ですか」

 お花が少し驚いた顔をした。

「手に入りにくいけどな」

 博之はそう言って、下の者に小さな器を持ってこさせた。味噌だまりに近い、濃い色の醤油である。

「じゃぶじゃぶ使うもんやない。ちょんとつけるだけや」

 平たいすり身揚げの端に、少しだけ醤油をつけて食べる。

 ヨイチが目を見開いた。

「……あ、全然違う」

「やろ」

「塩だけでもうまいけど、醤油やと飯が欲しなる」

 侍の一人も頷いた。

「魚の味が締まりますな」

「せや」

 博之は満足そうに言った。

「醤油がない時は、味噌を中に練り込んでもええ。味噌味のすり身揚げにしたら、また全然変わる」

 大葉入り、生姜入り、ごぼう入り。そこに味噌味、醤油だれ、大根おろし。

 同じ魚のすり身でも、出し方を変えれば、いくつもの飯になる。

「大根をすりおろして、醤油をちょっと落として、これにつけても多分うまい」

「大根おろしですか」

「油もんには合うと思う」

 博之は言った。

「食が変わるぞ」

 その言葉に、場が少し静まった。

 ただの新しい料理ではない。

 港の端材を使い、油で揚げ、串に刺し、味を変え、売り物にする。そこに出汁、醤油、味噌、

 大葉、生姜、ごぼう、大根おろしまで加わる。

 ヨイチが皿を見ながら、ぽつりと言った。

「旦那、これを九鬼様の領域でやるんやな」

「そうや」

 博之は頷いた。

「そもそも、九鬼様の領域ってどんなもんやと思う」

「海やろ」

侍が答える。

「伊勢湾一帯には、だいぶ顔が利くでしょうな」

「そうやろ」

 博之は地図を広げた。

「陸で行くなら、松坂から津へ行って、長野様の領地を通り、北の国人衆の土地を抜けて、

 尾張へ入る。さらに三河へ行くとなると、またいろいろある」

 陸は複雑だ。

 領主が違う。

 関所もある。

 道も荒れる。

 土地ごとの顔役にも挨拶がいる。

「けど、港はどうや」

 博之は指で松坂港を押さえた。

「松坂港で横丁を作る。九鬼様と仲良くする。そこから伊勢の港、さらに津、四日市、津島の方へ、

 港筋で飯屋を広げる」

 ヨイチが地図を覗き込む。

「陸から行くより、早いんか」

「早い時もあるやろな。少なくとも、荷は動かしやすい」

 侍が腕を組んだ。

「水軍の筋を使えるなら、港の飯屋はかなり広げやすいですな」

「そこや」

 博之の声が熱を帯びる。

「港の飯屋を押さえる。飯で押さえるんや」

 港には魚がある。

 人がいる。

 船が来る。

 荷が動く。

 腹を空かせた者がいる。

 そこで飯を出す。

 しかも、魚の端を買い取って、すり身にして、揚げて売る。

「普通なら値がつきにくい魚の端や小魚がある」

 博之は皿のすり身揚げを指した。

「それを、内臓や血の臭いところを取って、叩いて、すって、塩で練る。小麦粉を少し入れて、

 揚げる。串に刺す」

「それが銭になる」

「そうや」

 博之は頷いた。

「ほぼただ同然のものが、浜すり身串になる。平たい揚げにもなる。ごぼうを入れたらごぼう天、

 生姜を入れたら生姜天、大葉を入れたら大葉天」

 お花が静かに言った。

「味も変えられますね」

「そうや。醤油をつける。大根おろしを添える。味噌を練り込む。出し方で値段も変えられる」

 ヨイチが思わず笑う。

「それ、錬金術ですやん」

「錬金術やろ」

 博之も笑った。

「魚の端が銭になるんやからな」

 侍の一人が真面目な顔で言う。

「九鬼様からしても悪くない。捨てるようなものまで買うてくれるなら、港の者も喜ぶ」

「そこも大事や」

 博之は言った。

「うちは魚を安く買う。向こうは捨てるものに値がつく。客は安くうまい飯が食える」

「三方よしですね」

 お花が言う。

「まさにそれや」

 博之は頷いた。

「それを港ごとにやる」

 場がざわついた。

 松坂港だけではない。

 伊勢の港。

 津の港。

 四日市の方。

 さらに尾張の津島。

 水路と港を使えば、飯屋は道沿いだけでなく、海沿いにも伸びる。

「伊勢は押さえられる気がする」

 博之は言った。

「神宮さんの正面からいきなり攻めるんやない。港と郊外から飯で入る」

 侍が頷く。

「参詣の者、船の者、荷運び、職人。飯を食う者はいくらでもおります」

「そこに、握り飯、田楽、団子、弁当、蜂蜜饅頭、そして浜すり身串や」

 ヨイチは平たいすり身揚げをもう一切れ食べた。

「これ、ほんまに売れるで」

「売れると思う」

「ただの小魚やったら、誰もありがたがらへん。でもこれやったら、物珍しいし、うまい」

 お花も頷く。

「女の人にも食べやすいですね。串なら手も汚れにくいですし」

「城下では切って出せばええ」

 博之は言った。

「港では串。城下では皿。弁当には小さく入れる。寺社では炊き出しの横に添える」

 同じものでも、場所ごとに形を変える。

 そこに商いの広がりがあった。

「普通の焼き魚は焼き魚でええ」

 博之は続ける。

「鯛やサバは潰すな。焼いて高く売る。すり身にするんは、アジやイワシの小さいやつ、端の身や」

 侍が笑った。

「無駄がないですな」

「無駄を減らさな、飯屋は大きくならん」

 博之は言った。

 部屋の中では、すり身揚げの皿がまた空に近づいていた。

 皆、話を聞きながらも手が止まらない。

 ごぼう入りを食べ、生姜入りを食べ、大葉入りを食べ、醤油を少しつけてまた食べる。

「……みんな、よう食うな」

 博之が呆れると、ヨイチが笑った。

「うまいからしゃあない」

「正月までに練習せなあかん」

「練習なら任せてください」

 若い衆までそんなことを言う。

 場が笑いに包まれた。

 だが、皆わかっていた。

 これはただの試作品ではない。

 港の捨てられる魚を、銭に変える飯。

 九鬼水軍との関係を強める飯。

 伊勢湾へ広がるかもしれない飯。

 ヨイチが、少し真面目な顔で言った。

「旦那、これが当たったら、ほんまに飯で港を押さえられるかもしれんな」

 博之は地図を見下ろした。

「やってみなわからん」

 そして、少し笑う。

「でも、やる価値はある」

 丸に井の紋の下で、また一つ、伊勢松坂屋の新しい道が見えてきた。

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