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十一月を2週間振り返る。市とにぎやかしの芸人を呼び団子を配る。周辺に寄進や物資の寄付を行い敵を減らす

十一月の市の日、伊勢松坂屋はまた城下で賑やかしを打った。

 今回は芸人を呼ぶだけではない。

「団子、先着二百個、ただで配ります」

 そう触れを出したものだから、当日は朝から小さな子どもたちがわらわらと集まってきた。

「ほんまにただなん?」

「一人一つやで。押すな押すな」

 古参の子らが列を作らせ、団子を手渡していく。

 焼きたての団子に味噌を塗り、少し炙る。香ばしい匂いがあたりに広がると、

 子どもたちは目を輝かせた。

「うまい!」

「ありがとう、松坂屋さん!」

 そんな声が聞こえるたびに、博之は少しだけ胸をなで下ろした。

 芸人の声に人が止まり、団子をもらった子どもが親を連れてくる。親が田楽を買い、鶏串を買い、

ついでに漬物や握り飯を見ていく。

 客寄せとしては、かなり手応えがあった。

 ただし、良い声ばかりではない。

「あそこまでやると、他の店が困るやろ」

「ただで配られたら、こっちは商売上がったりや」

 そんな声も、ちらほら耳に入った。

 博之はそれを聞いて、静かに頷いた。

「……やりすぎはあかんな」

 ヨイチが横で言う。

「でも、効いたで」

「効いたからこそ、あんばいや」

 飯を振る舞えば好かれる。だが、やりすぎれば嫌われる。

 商売は難しい。

 市の賑わいが落ち着いたあと、博之は別の荷を用意させた。

 漬物である。

 たくあん、茄子漬け、かぶ漬け、紫蘇を少し。桶から小分けにし、寺と神社へ持っていく。

 寄進の銭も1000文ずつ添えた。

「飯のつけ合わせにでも食うてください」

 博之は寺の住職に頭を下げた。

「うちでは、これを細かく刻んで握り飯に混ぜて売ってます。たくあん飯や梅飯みたいな形で」

 住職は漬物を見て、にこりと笑った。

「松坂屋さんは太っ腹ですな」

「いや、違うんです」

 博之はすぐに否定した。

「商売が多少うまくいってるうちに、敵を増やしたくないだけです」

 住職が少し目を細める。

「ほう」

「何かあった時に、あそこは潰れてもしゃあないと思われるより、まあ旦那も悪い人ではなかったなと

 思ってもらえる方がええんです」

 博之は苦笑する。

「やらしい話ですけど」

 住職は声を出して笑った。

「そういうふうに腹の内をそのまま言うてくれる方が、かえって安心できますわ」

「そうですか」

「ええ。きれいごとばかり言う者より、よほど腹が読めます」

 神社でも同じように漬物と銭を納めた。

「来た人に少し食べてもらえたらありがたいです」

「評判になれば、また握り飯を買いに来ますから」

 そんなふうに話しながら、博之は寺社を回った。

 ついでに、最近の情勢も聞く。

 道に怪しい者は出ていないか。病は流行っていないか。米や味噌の値はどうか。

 人が流れてきているところはないか。

 寺や神社は、人が集まる場所だ。そこで聞ける話は、時に商人や侍から聞く話よりも生々しかった。

 その後、博之は城下の湯屋にも顔を出した。

 人が増えたことで、また湯浴みの問題が出ている。伊勢松坂屋の者が一度に押しかけると、

 外の客に迷惑がかかる。その対策として、城下にも高めの湯浴み場を一つ作ることにした。

 費用は一万文ほど。

 畳を入れ、休憩できる場所も作る。

 だが、既存の湯屋と揉めるつもりはない。だから先に筋を通す。

「うちは湯屋と競合するつもりはありません」

 博之は湯屋の主人に言った。

「基本は、外の湯屋に行くように言ってます。ただ、市の後なんかに、うちの者がどっと

 行って迷惑をかけているので、内向けに受け皿を作るだけです」

 主人は眉を上げる。

「値段は?」

「五十文取ります」

「五十文?」

 主人は思わず笑った。

「誰が来ますんや」

「それが、郊外では三十文でやってるんです」

 博之は少し困ったように笑った。

「畳を入れて、休憩所を作って、麦茶を出して、蜂蜜饅頭を出す。そうしたら、

 意外と使う者がおりまして」

「へえ」

「うちの者は、飯と寝床があるので、給金が少し余るんです。特に女衆は、安心して入れて、

 ゆっくりできる場所を欲しがるみたいで」

 主人は顎をさすった。

「伊勢松坂屋さんの女衆は、稼ぎますなあ」

「ありがたいことに」

「まあ、あれだけ横丁を回して、市で芸人まで呼ぶくらいや。羽振りはよろしいんでしょう」

「今だけかもしれません」

 博之はすぐに言った。

「銭を溜め込んでもしょうがないので、今のうちに形に変えているだけです。そちらに

 迷惑をかけるつもりはありません」

 主人はしばらく博之を見ていたが、やがて頷いた。

「仁義を切りに来てくれたなら、こちらも文句は言いにくいですわ。ただ、客を全部持っていくような

 真似は勘弁してくださいよ」

「それはしません」

「なら、まあ様子を見ましょう」

 博之は深く頭を下げた。

 その足で、郊外の屋敷もまた一つ借りる手配をした。

 人が増えた分、寝る場所がいる。さらに蓄えも入れる。米、味噌、塩、干物、漬物、薪。

 予備の銭も少し。

 金は出ていく。

 だが、それは消えているのではない。

 屋敷になり、飯になり、評判になり、人の安心になっている。

 十一月の二週間が終わる頃、博之はまた帳面を広げた。

 売上と利益は、ざっくり二十万文ほど出ている。

 そこから、芸人代、団子の振る舞い、寺社への寄進、漬物の差し入れ、湯浴み場の準備、

 屋敷の家賃、備蓄、人件費、運搬代を差し引く。

 残ったのは四万文ほど。

「……結局、増えとるな」

 博之は小さく呟いた。

 手元と各屋敷の予備を合わせると、四十一万二千文ほどになる。

 使っている。

 かなり使っている。

 それでも増える。

 ヨイチが帳面を覗いて笑った。

「旦那、また増えてますやん」

「増えてるな」

「減らすつもりやったんちゃいますの」

「やれることはやってる」

 博之は少し不満げに答えた。

「団子も配った。寺にも神社にも持っていった。湯屋にも筋を通した。屋敷も借りた」

「それでも増えるんやから、商売が当たっとるんでしょう」

 お花が静かに言う。

「それは喜ばしいことではありませんか」

「喜ばしいけど、怖い」

 博之は帳面を閉じた。

 金が増えるほど、目立つ。

 目立つほど、敵も増える。

 だからこそ、さらに町に根を張るしかない。

 寺へ、神社へ、湯屋へ、布団屋へ、薬売りへ、医者へ。

 飯を出し、銭を回し、顔をつなぐ。

 伊勢松坂屋は、ただ飯を売る店ではなくなりつつあった。

 博之は夜の屋敷の外に出て、冷たい空気を吸った。

 十一月の風は、もう冬の匂いを含んでいる。

「……正月までに、もう一つやな」

 港の横丁。

 振る舞い飯。

 そして、さらに増える人と銭。

 やることは尽きない。

 それでも、火の入った横丁から聞こえる人の声を聞いていると、博之は少しだけ安心した。

 銭は怖い。

 だが、飯を食う人の声は、まだ怖くなかった。

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