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11月初旬。市の次の日に紅葉会を催す。ぎこちないながらも城下の若い衆と交流できている姿を見て安心する博之

博之の周りには、ようやく事務を手伝える古参が三人ほどつくようになっていた。

最初は「書き付けくらいならできるやろ」と軽く考えていた者たちも、実際に売上の紙を集め、

店ごとの数字をまとめ始めると、すぐに顔色が変わった。

「旦那……うち、こんなに銭動いとるんですか」

「動いとる」

 博之は淡々と答えた。

「せやから、古参の中でやるんや」

 現場で売るのとは違う。紙に残すと、商いの大きさが見える。どの店が売れているか、

どこで人件費が重いか、何が余っているか。それが分かるだけで、次の手が打てる。

「今後は、お前らにも書き付けを頼む。わしが全部見るにしても、手が足らん」

 そう言って、博之は今後の方針を口にしていった。

「次に考えとるのは二つや。一つは伊勢方面の街道に店を出すこと。もう一つは、

九鬼水軍のいる松坂の港に横丁を作ることや」

 ただし優先順位は、伊勢へ向かう街道に一つ拠点を作る方が先だった。

 九鬼水軍とは、海産物の仕入れを定期的に行いながら関係を深める。港に横丁を作るのは、

その後でも遅くない。

「それと、飯作りの研究や」

 博之は続けた。

「出汁を取る。どういう出汁ならうまい飯になるか。これをやる」

 親子丼のためには卵がいる。天ぷらのためにも卵がいる。だから養鶏場はもっと力を入れる。

 椎茸もそうだ。出汁にも使えるし、天ぷらにしてもうまかった。

「あと漬物や。混ぜ飯に使う。いろんな漬物を作って、握り飯屋をやってみたい」

 城下なら、たくあん飯、梅飯、紫蘇飯、かぶ漬け飯と並べるだけでも商売になるかもしれない。

海がつながれば小エビも使える。

「その辺、書き付けといてくれ」

 古参の一人が慌てて筆を取る。

「……旦那、話が多いです」

「わしも多いと思っとる」

 そんなやり取りをしながら、話は紅葉の会へ移った。

 一の翌日。横丁の一部を休ませ、城下の若い衆や職人、小商人たちに声をかけた。

会費を取るわけではない。女衆や若い衆がそれぞれ弁当を買い、紅葉の下で一緒に食べる。

そういうゆるい集まりだった。

博之も、今回は顔を出すことにした。

紅葉の下には、思ったより人が集まっていた。伊勢松坂屋の女衆は、握り飯二つだけを持つ者もいれば、田楽や鶏串入りの弁当を持つ者もいる。中には両方買って、誰かと分けるつもりの者もいた。

 城下の着物屋の若旦那、桶屋の下働き、湯屋の若い衆、馬借の手伝い。身分も仕事もまちまちだった。

「ご飯、どうですか」

 女衆が少し照れながら弁当を差し出す。

「これが噂のたくあん飯か」

「はい。ちょっと塩気があります」

 そんな会話が、あちこちで起きていた。

 うまく話が弾んでいるところもあれば、ぎこちなく箸だけが進んでいるところもある。

それでも、飯がある分、沈黙は長続きしない。

「この鶏、うまいな」

「うちの横丁で焼いてます」

「今度買いに行くわ」

 それだけでも十分だった。

 博之は少し離れたところで、お花と並んで紅葉を眺めながら飯を食べていた。

「こういうのをできるのは、平和だからですね」

 お花がぽつりと言った。

「小競り合いが続く土地では、なかなかできません」

「そうやな」

「一人で飯を食べるのも大変な人は多いです。旦那と別れたり、戦で帰ってこなかったりしたら、

 本当に食い口がなくなりますから」

 博之は黙って頷いた。

「初期の連中は、よう知っとるな」

「ええ」

 お花は静かに笑った。

「だから、こうして下を向かずに、景色を見て、飯を食べられるだけで、ありがたいんです」

 博之は紅葉の赤を見上げた。

「ええなあ」

 本当にそう思った。

 侍たちも弁当を食いながら、しみじみと話していた。

「食い口がなかったのに、今は休みがあって、こんな弁当が食えるんですからな。幸せですわ」

「酒場に行ったら、食い詰めた侍にも言うといてや」

 博之が言うと、侍の一人が笑った。

「もう言うてますよ。下手に武士として雇われるより、伊勢松坂屋で用心棒や教育係やる方がええ、

 って者も増えてます」

「それはそれで怖いな」

「勢いがあるんです」

「足元すくわれんようにせなあかん」

 博之は弁当の蓋を閉じた。

「うちは飯を揃えて、みんなが最低限暮らせるようにする。それが最初の目標や。それは変わらん」

 金は集まるようになった。けれど、武家に本気で狙われれば一瞬で終わる。

 だから、ため込みすぎず、人を雇い、拠点を分け、あちこちに配置していく。

「分散やな」

 博之は言った。

「ここら一帯が焼け野原になっても、別の場所が残っていたら、そこからまたやり直せる」

 侍が苦笑する。

「ほんま、戦国大名みたいなこと言うようになりましたな」

「争う気はない」

「でも、百人近く雇ってるんでしょう?」

「まあな」

「百人言うたら、国人衆みたいなもんですわ」

 ヨイチが横から口を挟む。

「しかも旦那、天ぷら定食とかやろうとしてるやん。普通の武士でも食われへん飯やで」

「そうやろ」

 博之は少し笑った。

「だから、胃袋をつかむところから始めるんや」

 お花がくすりと笑う。

「本当に、嫁さんみたいなことを言いますね」

「またそれか」

 皆が笑った。

 紅葉の下で、飯を食い、茶を飲み、少しだけ外の者と話す。

 それは小さな会だった。

 だが、伊勢松坂屋の者たちが町に根を下ろしていくには、こういう小さな場が必要なのだと、

 博之は思った。

 飯だけでは、人は生きられる。

 けれど、景色を見て、誰かと飯を食うことで、人はそこに居場所を持つ。

 そのことを、博之は静かに噛みしめていた。

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