伊勢神宮を見た後の興奮冷めやらぬ中伊勢の港から松坂の港に帰り伊勢松坂屋本店に帰宅。湯あみをする。
伊勢神宮を後にし、横丁で散々銭を落とした一行は、海沿いの港へ向かって歩いていた。
参道の喧騒から少し離れると、潮の匂いが戻ってくる。
だが、皆の頭の中には、まだあの異様な“伊勢の熱”が残っていた。
信長は歩きながら、深く息を吐いた。
「……いやいや、驚きの連続やわ」
誰に言うでもなく漏らした言葉に、藤吉郎が頷く。
「ほんまにございますな」
「確かに、あれだけ銭が落ちるということは、それだけ税を取る元があるっちゅうことやからな」
信長は港を眺めながら言った。
「別に武具に変えるかどうかは別として、あれがあったら、戦乱が起きても立て直せる。
城が焼けても、町が潰れても、また人が来る」
博之は横で静かに頷いた。
「そうです」
「しかも伊勢神宮の近くや。下手なことはできん」
「はい」
「ばち当たりやから、ではないな。あれだけ人と銭が集まる場所を壊したら、自分らが損する」
「そこまで見えてきたら、もう十分でございます」
博之は少し嬉しそうに言った。
「だから私は、今の織田家が真正面から伊勢を殴るのは、もったいないと思ったんです」
滝川筋の者が、まだ少し呆けた顔で呟く。
「……聞いただけでは分からんかったですな」
「行かな分からん世界です」
博之は笑う。
「お茶一杯三十文。座るだけで銭が飛ぶ。なのに皆、嬉しそうに払う」
「しかも財布の紐が緩む」
藤吉郎が苦笑する。
「気づいたら、あれもこれも買ってしまっておりました」
「そうなんです」
博之は指を立てた。
「伊勢は、“お金を使うために来る場所”なんです」
「なるほどなあ」
信長が頷く。
「戦で奪う場所というより、人が自分から金を落としていく場所か」
「はい。しかも遠方から来る人ほど、財布が緩い」
博之は説明を続ける。
「近所の人間からしたら、“高いなあ”で済むんです。だから我々は、伊勢神宮の中で食うより、
港で飯食おうかって話になります」
「実際、港の方が安かったですしな」
滝川筋の者が言う。
「けど旅で来た人は違うんです」
博之は横丁の方を振り返った。
「あそこで食べたい。あそこで買いたい。伊勢神宮の前で食った、伊勢神宮で買った、
それ自体に価値がある」
信長は鼻で笑った。
「神様の力やな」
「伊勢神宮パワーでございます」
博之も笑う。
「あと、村代表で来てる人も多いんです」
「代表?」
「はい。村の者が金を出し合って、“お前、行ってこい”って送り出すんです。だから土産も大量に買う。
“あそこの家にはこれ”“世話になった庄屋にはこれ”って」
「なるほどな……」
藤吉郎が感心する。
「一人で来て、一人で帰るわけではないと」
「そうです。背負ってるんです」
港に着くと、九鬼水軍の船が待っていた。
船乗りたちが、にやにやしながら迎える。
「どうでしたか、伊勢と伊勢神宮は」
信長は船に乗り込みながら笑った。
「いや、これは聞いても分からん」
「でしょう?」
「行って、その場に立って、茶三十文の世界を味わわんと分からんかったわ」
九鬼水軍の者たちが大笑いする。
「最初は皆そう言うんですわ!」
「ほんまに財布の紐が緩む」
滝川筋の者が、土産袋を見ながら言う。
「高いのに、なんか“ありがたいからええか”ってなる」
「それが伊勢です」
船がゆっくり港を離れる。
海風が吹き、皆が少し落ち着きを取り戻す。
だが、話は止まらなかった。
「しかし各国の物が揃っとるのが、ほんまにすごい」
藤吉郎が言う。
「尾張、近江、奈良、京、常滑、信楽……なんでもある」
「旅人が集まるからです」
博之は答える。
「集まれば商人が来る。商人が来れば物が増える。物が増えれば、また人が来る」
「銭が銭を呼ぶ、か」
信長がぼそりと呟いた。
「旦那とおると、自然とそういう話になりますなあ」
九鬼水軍の者が笑う。
「うちらも最初は、ただ荷運んでたんですよ。けど今は、行きで信楽焼運んで、
帰りで常滑焼積んで、空船なしですわ」
「それで儲かる」
「めちゃくちゃ儲かります」
「水軍が商売語る時代か」
信長が呆れ半分に笑う。
「でも、ええことや」
博之は静かに言った。
「海の男が、戦だけじゃなく、積荷で飯食えるようになる。そっちの方が平和でしょう」
一瞬、皆が黙った。
波の音だけが響く。
やがて信長が笑う。
「お前、ほんま飯屋か?」
「飯屋です」
「飯屋が天下の流れを説明するな」
「飯の流れ見てたら、天下見えるんですって」
「それが怖いねん」
船は夕方前には松坂へ戻った。
港へ着く頃には、皆ぐったりしていた。
「疲れた……」
「頭使いすぎましたな……」
「銭使いすぎたわ……」
そんな声があちこちから漏れる。
博之は笑いながら手を叩いた。
「はいはい、とりあえず湯浴み行きましょう。伊勢帰りの潮風浴びたまま寝たら気持ち悪いですから」
湯屋へ入ると、湯気が立ちこめる。
熱い湯に浸かった瞬間、皆が一斉に息を吐いた。
「ああぁ……」
「生き返る……」
信長も肩まで浸かりながら、ぼんやり天井を見上げる。
「……いや、ええ旅やったな」
藤吉郎が頷いた。
「戦見に来たつもりが、商売と神様見せられました」
「それが伊勢や」
博之が湯をかけながら言う。
「戦だけでは測れへん国もあるんです」
湯気の向こうで、信長は静かに笑った。
「ほんま、お前は面白い飯屋やわ」




