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9月末日の夜、博之は数字とにらめっこしながらヨイチに手伝う気あるかと聞くと拒否される。利益諸経費合算して185,000文。

九月の残り二週間も、店は相変わらず慌ただしく回っていた。

郊外の横丁、城下の横丁、海沿いの拠点。どこもまだ完璧ではない。けれど、売上だけは確実に

上がってくるようになっていた。

その夜、博之は屋敷の一角で帳面を広げていた。火の明かりのそばで、紙に書かれた数字を

一つずつ追っていく。

「……また、わし一人で計算しとるな」

 ぼそっと言うと、横にいたヨイチが顔を上げた。

「なんや、手伝えってことか?」

「お前らも、ちょっとはこういうの手伝う気ないんか」

 博之が言うと、ヨイチは露骨に嫌そうな顔をした。

「わしらは現場で売っとる方がええわ」

「なんでや」

「売れたらその場で分かるやん。客が来て、飯出して、銭もろて、ああ回っとるなって感じがある」

 ヨイチは腕を組んで続ける。

「でも、机にかじりついて数字見てるのは好かん。なんか、働いてる気がせえへん」

 博之は少し呆れて、それから笑った。

「まあ、わかるわ」

 実際、ヨイチたちは現場で強い。火の加減を見て、客の流れを読み、新入りに声を飛ばす。

そちらはそちらで立派な仕事だった。

 ただ、商いが大きくなるほど、帳面は避けられない。

「でもな、これがないと、儲かっとるのか、ただ忙しいだけなのか分からん」

 博之はそう言って、売上の札をまとめた。

 ありがたいことに、和尚たちに読み書きを頼んだ成果は出ていた。各店から上がってくる数字は、

 以前よりずっと整っている。

 何が何杯売れたか。

 飯がいくつ出たか。

 魚が何本焼けたか。

 弁当が何個売れたか。

 多少の抜けはあるが、それでも「正の字」で数を残せる者が増えた。

「和尚さんに頼んで、ほんま良かったな」

 博之はしみじみと言った。

「売上さえ分かれば、あとは原価を見て、だいたい利益が読める」

 この二週間の利益は、ざっくり十一万文。

 だが、そこから出ていくものも大きい。

 人件費が四万三千文。

 諸経費が一万二千文。

 仕入れ、薪、炭、道具の修繕、馬の借り賃、細々した支払い。

 差し引いて残るのは、五万五千文ほどだった。

「……でかいな」

 ヨイチが帳面を見て言う。

「でかいけど、すぐ消える」

 博之は淡々と返した。

 トラブル対応の金もいる。

 逃げた者の穴埋めもある。

 新しく来た者の湯浴み、着物、寝具もある。

 そして、今回は寺への挨拶も増やすことにした。

 郊外の寺と、城下の寺。どちらにも金と弁当を持っていく。

 読み書きを教えてもらう頻度を増やしたいという願いもあったし、単純に、これだけ店が

 大きくなっている以上、地元の顔役に筋を通し続ける必要もあった。

 翌日、博之はまず郊外の寺へ向かった。

 侍を一人連れ、弁当をいくつか持たせる。たくあん混ぜ飯の握り飯と、鶏串、田楽を入れたものだ。

 住職はそれを見ると、にこりと笑った。

「またうまそうなもん持ってきましたな」

「いつも子らに字と数を教えていただいてますから」

 博之は頭を下げ、包みを差し出す。

「少しですが、今後もお願いできればと」

「いやいや、少しではないでしょう」

 住職は苦笑した。

「最近、町でも評判を聞きますよ。あそこに行けば飯が食える。働けば寝るところもあると」

「ありがたい話です」

「孤児や未亡人を使うのは難しいでしょう」

「難しいです」

 博之は正直に答えた。

「でも、残る者はよう働きます」

 住職はゆっくり頷いた。

「読み書きは、すぐには身につきません。けれど、数を数えるだけでも人は変わります」

「ほんまにそう思います」

 博之は深く頷いた。

「売上を書けるようになっただけで、店が見えるようになりました」

 その後、城下の寺にも向かった。

 城下の住職は少し商売気のある人物だったが、その分、町の話に通じていた。

「城下の方でも、あんたの店は目立ってきましたな」

「良くも悪くも、ですか」

「まあ、どちらもあります」

 住職は笑う。

「ただ、飯がうまいという話は強い。腹を満たした者は、悪く言いにくいですからな」

 博之は持ってきた弁当を渡し、同じように金を包んだ。

「今後、城下の子らにも、少し字と数を教えていただければと」

「構いません。寺としても、荒れる者が減るのは悪いことではない」

 その言葉に、博之は少しほっとした。

 屋敷へ戻る頃には、日が傾いていた。

 帳面を改めて見ると、手元の銭は全部合わせて十八万五千文ほどになっている。

 金だけ見れば、増えている。

 けれど博之には、それ以上に大きいものが増えているように思えた。

 数字を書ける者。

 売上を数えられる者。

 寺とのつながり。

 城下での信用。

 それらは、銭よりも少し見えにくい。

 だが、商いを長く続けるには、間違いなく必要なものだった。

 博之は帳面を閉じ、静かに息を吐いた。

「……まだまだ、机にかじりつかなあかんな」

 そう呟くと、遠くからヨイチの声が聞こえた。

「旦那、飯できてますよ!」

 博之は苦笑しながら立ち上がった。

「現場の方が楽しいのは、わしも分かるんやけどな」

 それでも、誰かが数字を見なければならない。

 それが今の博之の役目だった。

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