九月三週目から二週間。金が増えるというより金が形を変える二週間やった。九鬼水軍への挨拶。養鶏場、シイタケ栽培。街道の飯屋
九月の三週目から、さらに二週間が過ぎた。
この二週間は、博之にとって「金が増えた」というより、「金が形を変えた」期間だった。
まず大きかったのは、九鬼水軍への挨拶である。
三千文を包み、弁当と握り飯を持って海の方へ出向いた。結果として話は穏便に進み、
海産物の買い付けにも道が開いた。これは目に見える利益ではない。だが、海沿いに店を出す以上、
後ろ盾と顔つなぎは何より大きい。
「三千文は安ないけど、まあ必要経費やな」
博之は帳面を見ながら呟いた。
さらに、養鶏場にも追加で二千文を入れた。
親子丼は評判こそ良いが、卵が安定しない。だから、もう少し鶏を増やし、餌や小屋の整備にも
金を回す。今はまだ一日十食限定。しかも、出せる日と出せない日がある。店としては少し扱いづらい。
それでも、博之は諦める気はなかった。
「卵が安定したら、これは化ける」
そう思っていた。
椎茸の栽培にも二千文を使った。これもすぐに利益になるものではない。だが、出汁を
強くするためには必要だった。煮干し、干し魚、味噌に加えて、椎茸の出汁が使えるようになれば、
親子丼も汁物も田楽の味噌も、ひとつ上に行ける。
そして弁当箱。
竹や木を使った簡単な箱、笹包み、持ち運び用の紐。そのあたりにも二千文ほどかかった。
「弁当は、箱から商売やな」
ヨイチがそう言うと、博之も頷いた。
「中身だけやない。持って歩ける形にせな意味がない」
このほか、人件費、食費、初期費用、道具代、諸々の出費は続く。
売上だけを見れば、郊外の横丁は順調だった。豚汁、団子、魚、田楽、鶏。いつもの
流れは崩れていない。人も慣れ、古参が新入りを見ながら回している。
一方で、新しく始めたものはまだ荒い。
親子丼は限定食扱いで、収支はほぼトントン。
たくあん混ぜ飯も、白飯より十文高いという値段が効いて、飛ぶように売れるわけではなかった。
「まあ、強気すぎたか」
博之は苦笑する。
ただ、手応えがないわけではない。
今はたくあんが中心だが、漬物の種類が増えれば話は変わる。かぶ、なす、きゅうり。そこに大葉、
紫蘇、梅が入れば、混ぜ飯の味は一気に増える。
「紫蘇と梅が使えたら、これは別もんになる」
博之はそう見ていた。
塩気だけではなく、香りと酸味が出る。夕方、疲れた客が軽く食べるには向くかもしれない。
郊外でも、道すがらの者が買う可能性はある。
そして海沿いの方。
結局、四件の店を追加した。
鶏串、味噌田楽、団子、弁当。
郊外で慣れた者を数人移し、現地で新しく雇った者を混ぜて回した。最初から大きな黒字は
期待していない。むしろ、赤にならなければよしと考えていた。
結果は、ほぼトントン。
「上出来やろ」
ヨイチが言った。
「せやな。海沿いで最初からトントンなら十分や」
博之もそう答えた。
特に弁当は、売れるには売れた。
ただ、完売するほどではない。
値段が少し強かったのかもしれない。握り飯だけで二十文、鶏と田楽入りで四十文。
街道や海沿いの者には魅力があるが、毎日気軽に買える値段ではない。
それでも、余った飯は無駄にはならなかった。
働いている者たちがまかないで食べる。
「これ、余りもんって感じせえへんな」
「むしろ嬉しいです」
そんな声が出るほど、まかないとしては好評だった。
さらに、夕方になっても余った握り飯は、時々、街道で困っている者に渡されていた。
「おいおい、五文でも十文でも取れや」
博之は最初そう言った。
だが、現場の者は笑って返した。
「宣伝みたいなもんですわ」
「旅の人が、あとで噂してくれるかもしれませんし」
そう言われると、博之も強くは止められなかった。
「まあ……無駄に捨てるよりはええか」
結局、そう許した。
飯は売るものだ。
だが、飯は人をつなぐものでもある。
それを、博之自身が一番よくわかっていた。
この二週間、帳面の上では派手な伸びはなかった。
九鬼水軍への挨拶、養鶏場、椎茸、弁当箱、海沿いの新店。金は次々に出ていった。
けれども、海への道ができた。
弁当が試された。
卵と出汁と漬物の未来が見えた。
そして、店で余った握り飯が、知らない誰かの腹を満たし、松坂屋の名を少しだけ
遠くへ運んでいった。
博之は帳面を閉じ、静かに息を吐いた。
「まあ、今はこんなもんや」
焦る必要はない。
赤でなければいい。
トントンで道ができるなら、それは十分な勝ちだった。




