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松坂の海沿いの街道に店を構える。その足で3000文と弁当を5人前、握り飯を10人前持って九鬼水軍に挨拶に行く

親子丼は、ひとまず一日十食だけ出すことになった。

「四十文やな」

 博之がそう言うと、ヨイチが少し目を丸くした。

「強気やな」

「卵が安定してへんからな」

 博之は腕を組んだ。

「安く出して、毎日欲しい言われても困る。今はまだ“ある日だけの飯”や」

 養鶏場は始めたばかりだ。卵は取れる。だが、安定して毎日まとまった数が出るわけではない。

だからこそ、まずは横丁の一角で、卵がある日に十杯だけ出す。

「火がついたら、養鶏場をもう一つ作る」

「そこまで見てるんか」

「そらそうや。親子丼が名物になるなら、鶏と卵は銭になる」

 その間は、たくあん混ぜ飯を売る。親子丼は時々出る“当たり飯”のような扱いでいい。

客が噂をしてくれれば、それだけで価値がある。

「今日は親子丼あるか?」

 そう聞かれる店になれば勝ちや。

 博之はそう思っていた。

 そしてもう一つ、大事な用事があった。

 九鬼水軍への挨拶である。

 海沿いに拠点を出す以上、筋を通さなければならない。魚、海藻、煮干し、干物。

これから先、海のものは松坂屋の飯を支える大事な柱になる。

 博之は三千文を包み、さらに土産として飯を用意した。

 握り飯を十人前。

 そして、弁当箱に詰めたものを五人前。

 たくあん混ぜ飯の握り飯を二つ。横に、鶏の串焼きと味噌田楽を入れる。笹で包み、

持ち運べるように整えた。

「飯屋は、飯持って挨拶に行くのが一番や」

 そう言って、博之は侍二人と付きの者を連れ、海の方へ向かった。

 潮の匂いが濃くなるにつれ、空気が変わっていく。松坂の町の匂いとは違う。

魚、潮、船、濡れた木の匂い。遠くに船影が見え、人の声も荒い。

 九鬼水軍の家臣に取り次がれると、博之は丁寧に頭を下げた。

「伊勢松坂屋本店の博之と申します」

 家臣は博之をじろりと見た。

「飯屋か」

「はい。松坂の郊外で横丁を二つ、十軒ほど。松坂の城下で五軒ほど営んでおります」

「ほう」

「北畠様にもお許しをいただき、伊勢松坂屋本店の名で商いをさせていただいております」

 博之はそう言って、三千文の包みを差し出した。

「こちらはご挨拶でございます」

 家臣は包みを見て、少し眉を上げた。

「挨拶でこれだけ持ってくるんか」

「海沿いで商いを始める以上、筋は通したいと思いまして」

 博之はさらに頭を下げた。

「それに、こちらとしては海産物の買い付けをさせていただけるとありがたいのです。

魚、海藻、煮干し、干物。うちは食べ物屋ですので、海のものはどうしても欲しい」

 家臣は黙って聞いている。

「あと、今うちが街道沿いで売ろうとしているものを、少し持ってまいりました」

 博之が合図すると、付きの者が弁当を出した。

「まずは握り飯です」

「握り飯か」

 家臣はそれほど期待していない顔で、一つ手に取った。

 一口食べる。

 そして、少し目が変わった。

「……なんや、これ」

「たくあん混ぜ込みご飯でございます」

 博之は説明する。

「たくあんを細かく刻んで飯に混ぜ、握ったものです。塩気がありますし、

少し日持ちもします。今は二十文で売っております」

「握り飯で二十文か。強気やな」

「はい。けれど、旅の途中や、働きの合間に食べるには、ただの白飯より喜ばれます」

 家臣はもう一口食べる。

「……確かに、これは食える。塩気がええな」

 次に、弁当箱を開ける。

「こちらは四十文で売ろうと思っております」

「四十文?」

「握り飯二つに、鶏の串焼きと味噌田楽を入れております。店で食うよりは高いですが、

持ち運びできます」

 博之は少し笑って続けた。

「原っぱで座って食う時でも、うまいもんがあれば気持ちも上がりますので」

 家臣は鶏を食べ、田楽をかじった。

「……うまいな」

 横にいた者たちも、弁当に手を伸ばす。

「これはええぞ」

「船の者にも受けるんちゃうか」

「魚ばっかりやと飽きるしな」

 そんな声が出た。

 博之は内心で胸をなで下ろした。

 家臣は弁当箱を見ながら言う。

「海沿いで店を出すんやったな」

「はい。まずは小さく、鶏串、田楽、団子、弁当から始めます」

「揉め事を起こさんなら、こちらは構わん」

「ありがとうございます」

「海産物も、買うなら買え。売り先に困っとるわけではないが、定期的に買うてくれるなら

こちらも悪くない」

 家臣はさらに言った。

「近くで横丁みたいにやるなら、うちの者も飯を食いに行くかもしれん」

「ありがたいことです」

「ただし、変な揉め事は起こすなよ」

「もちろんです」

 博之は深く頭を下げた。

 話は、思ったより穏便に進んだ。

 帰り道、侍の一人が笑った。

「旦那、上々やな」

「ほんまやな」

 博之も少し力が抜けた。

「弁当の効果、すごいな」

「飯を持っていったのが良かったですね」

「海の衆も、飯は楽しみなんやろな」

 博之は潮風を浴びながら言った。

「魚はあるやろうけど、毎日魚ばっかりやと飽きるやん」

 侍が頷く。

「確かに。船や浜で働く者にとって、うまい飯は大事です」

「せやろ」

 博之は遠くの海を見た。

「海のものを買わせてもらって、こっちは飯を出す。うまく回れば、お互い得や」

 九鬼水軍との縁。

 海産物への道。

 そして弁当という新しい商い。

 博之は、潮の匂いの中で、また一つ道が開いたように感じていた。

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