伊勢松坂屋の今後の戦略の続き。名物を考えよう。博之にはいくつかの案はある。養鶏場やしいたけ、油の確保など
博之は、紙に描いた松坂、港、伊勢、津への線を見せ終えると、筆を置いた。
「まあ、広げていく話は、いったんこれでしまいや」
ざわついていた面々が、少しほっとしたような顔をする。ヨイチも腕を組んだまま、
火の向こうで息を吐いた。
「正直、話でかすぎて頭痛なってきたわ」
「せやろ。わしもや」
博之は苦笑した。
「しばらくは、この形を頭に入れとくだけでええ。今すぐ伊勢や津に行くわけやない。まずは松坂や」
そう言ってから、博之は少し表情を変えた。
「で、次は飯の話や」
「飯?」
ヨイチが顔を上げる。
「うちは、飯はそこそこ充実してきた。豚汁、団子、魚、田楽、鶏。まあ、腹は満たせる」
博之は指を折りながら言う。
「けどな、名物がない」
お花が静かにうなずく。
「どこでも食べられるもの、ではありますね」
「そうや」
博之は頷いた。
「だから、工夫せなあかん」
少し間を置いて、言葉を続ける。
「まず鶏や。今、鶏の肉を使うとるやろ。ほな、そのうち養鶏もやりたい」
「鶏を育てるんか?」
「せや。肉もいるし、卵も取れる」
子どもたちが「卵」と聞いて少し反応した。
「卵がたくさん取れたら、うまいもん作れると思うねん」
「どんな?」
「それはまだ内緒や」
博之は少し笑った。
「次に集まった時、実験してみてもええ」
実際、博之の頭の中にはいくつか案があった。卵と出汁を合わせる。鶏と卵を飯にのせる。
野菜を卵でとじる。
だが、そのためには必要なものがある。
「出汁や」
博之は言った。
「今でも煮干しや干し魚で取っとるけど、もっとちゃんとしたい」
「出汁って、そんな大事なんか」
ヨイチが聞く。
「大事や。飯の土台や」
博之はきっぱり答えた。
「そこで、しいたけや」
侍の一人が眉をひそめる。
「しいたけを育てるんか」
「できるならな」
「できるんか、あんなん」
「わからん」
あっさり言うと、何人かが笑った。
「わからんから、知ってるやつに金払って教えてもらう」
「またそれか」
「それが一番早い」
博之は平然としていた。
「それと油や」
「油?」
「野菜を揚げたい」
場が一瞬、静まる。
「揚げる?」
「油でな。ナスやごぼうや小魚を衣つけて揚げる。サクサクになる」
「サクサク?」
子どもたちが目を丸くする。
「それに、味噌の上澄みみたいな醤油と、出汁を合わせた汁をつけて食う」
お花が少し想像するように目を細めた。
「……それは、おいしそうですね」
「やろ」
博之は少し嬉しそうにした。
「どこかで聞いたことがある。天ぷらいうやつや」
さらに続ける。
「あと漬物や」
「たくあん以外ですか」
「そうや。今は大根ばっかりやけど、かぶ、ねぎ、ナス、きゅうり。この辺も漬けられるはずや」
博之は紙の端に、思いつくまま食材を書いていく。
「それに紫蘇と梅」
「梅干しか」
「そうや。飯に混ぜてもええ。握り飯にしても、味がついてうまい」
ヨイチが唸る。
「ほんまに、飯屋から何屋かわからんようになってきたな」
「飯屋や」
博之は笑った。
「でも、うまい飯を作るには、漬物も出汁も油もいる」
そして、皆を見渡した。
「今のまま続けるだけでもええ。でも、工夫で飯はうまくなる」
火がぱちりと音を立てる。
「しかも、必ずしも大金をかけんでもええ。知恵と手間で、うまくなることがある」
お花が静かに言う。
「地方の料理を知っている人を探す、ということですね」
「そうや」
博之は頷いた。
「よその国から来たやつ、旅人、商人、寺の人。飯に詳しいやつがおったら、話だけでも聞いてくれ」
侍の一人が笑う。
「養鶏、しいたけ、天ぷら、漬物……話がでかいな」
「でかい」
博之も認めた。
「けど、目先は人集めや。これは大きい話や」
少し声を落とす。
「ただ、頭には入れといてほしい」
場が静まる。
「今のまま、よその土地に出ても、物量で押せるうちはええ。でも、すぐ真似される」
ヨイチの顔が少し真面目になる。
「真似されるか」
「される」
博之は即答した。
「豚汁も、団子も、魚も、見たらできる。向こうの方が金持ってて、人も多かったら、すぐ負ける」
お花が小さく息を飲んだ。
「負けたら、食い口がなくなる」
「そうや」
博之は静かに言った。
「また散り散りになる」
その言葉は、皆に重く届いた。
「そうならんように、うちだけの味を作る」
博之は紙を折りたたんだ。
「名物を作るんや」
火の周りにいる者たちは、誰もすぐには言葉を返さなかった。
ただ、それぞれが、まだ見ぬ新しい飯を想像していた。
鶏の卵、しいたけの出汁、揚げた野菜、梅の握り飯。
松坂屋が、ただ腹を満たすだけの場所ではなくなる。
その気配が、確かにそこにあった。




