家紋と店名、印を決める。各所に筋を通しに行く。「伊勢松坂屋本店」円に井戸の井。銭みたいやなとヨイチは笑う
店が増え、人が増え、横丁が形になってくると、博之の中で一つの考えが浮かんだ。
「……印、いるな」
ヨイチが顔を上げる。
「印?」
「家紋みたいなもんや」
それがあれば、どこの店か一目で分かる。人が増えた今だからこそ、統一した“顔”が必要だった。
「ほな、ついでに名前も決めるか」
少し考えた末、博之は口にする。
「伊勢松坂屋本店や」
ヨイチが一瞬黙って、それから笑った。
「えらい大きく出たな」
「ええやろ」
博之は肩をすくめる。
「どうせやるなら、最初から名乗っとく」
そして家紋。
丸の中に「井」の字。
「丸に井戸の井や」
「……なんでそれや」
「円満と、道や」
博之は地面に指で形を描く。
「丸は円満。井は道の交わりや。国を取るんやなくて、道を押さえる」
ヨイチはそれを見て、少し唸る。
「なんか……銅銭みたいやな」
「せやろ」
「銭にも見える」
「それもええ」
博之は笑う。
「商売やしな」
収まりがいい。
それで決めた。
さらに、古参の者にはその印を持たせることにした。
「胸元に付けるやつ、作ろうか」
「ええな」
ヨイチも頷く。
「見たら分かるやつやろ」
「せや。こいつは長くおるって」
新入りも、それを見れば自然と分かる。多少の敬いも出るだろう。
「焼き印みたいなんでええか」
「金物屋に頼むか」
それも経費だ。
「まあ遊び心や」
博之は軽く言った。
こうして、名前と印が決まった。
次は、それを正式に通すことだった。
博之は馬に乗り、侍を連れて郊外の寺、城下の寺、そして城へと回る。
「名前、つけました」
「ほう」
城の家臣は軽く笑う。
「伊勢松坂屋本店、か」
「ええ」
「国と地名入れるんはどうかと思うたが……」
少し間を置いて、続ける。
「まあ、今のところは上手くいっとるみたいやしな」
「ありがとうございます」
「城下でも評判ええぞ。飯がうまいらしいな」
「ありがたいことです」
「それぐらいやったら、好きにせえ」
あっさりと許しが出る。
寺でも同じような反応だった。
郊外の寺の住職が、しみじみと言う。
「最初はな……こんな小さいところが、と思っとった」
博之は苦笑する。
「ですよね」
「それが、短い間にここまでとはな」
住職はゆっくり頷く。
「しかも、孤児や未亡人を雇うておる」
「まあ、放っとけんだけです」
「それが立派や」
そう言って、少し笑う。
「布施と、たまに食いもん持ってきてくれたらな」
「ええ」
「こっちも協力する」
さらに続ける。
「町のもんにも言うとく」
「助かります」
博之は頭を下げた。
こうして、外との繋がりも少しずつ強くなる。
帰り道、博之は侍に言った。
「もうちょい人、欲しいな」
「ですね」
「町民も入れたい」
「酒代、増やすか」
「増やす」
これまで千文だったものを、二千文にする。
「その分、情報と人、持ってきてくれ」
侍は笑う。
「任しとき」
そして少し照れたように言う。
「ほんま、旦那のおかげで食えるようになったわ」
「それはよかった」
「痩せとったのに、ちょっと太ってきたぐらいや」
博之も笑う。
「それはええことや」
だが、すぐに表情を引き締める。
「せやけどな」
「はい」
「気ぃ抜いたらあかん」
静かに言う。
「情勢は動く。今は北畠様が強いかもしれんけど、周り次第で変わる」
「……確かに」
「うちもまだ数ヶ月や」
馬をゆっくり進めながら続ける。
「三月から始めて、まだ一年も経ってへん」
侍が頷く。
「まずは一年、ですか」
「せや」
博之は遠くを見る。
「一年、崩れんように回す」
それができて初めて、次が見える。
夕暮れの道を、馬がとことこと進む。
店も、人も、少しずつ増えてきた。
だが、まだ始まったばかりだ。
博之は手綱を軽く引きながら、静かに思った。
――ここからや。




