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7月、松坂城下に横丁を作る許可をもらい2軒出すがトントン。こんなもんかと思いながらも既存店舗は順調に回る

七月に入り、松坂の城下での商いを許されてから、さらに二週間が過ぎた。

博之は、城下に新しく出した魚屋と田楽屋の様子を見ながら、ひとり小さく息をついた。

「……まあ、こんなもんやろ」

最初からうまくいくとは思っていなかった。客の流れはあるが、売上はまだ安定しない。

仕入れの加減、焼きの手際、呼び込みの声、すべてが少しずつ噛み合っていない。

利益としては、ほぼトントン。

だが、それも想定の範囲内だった。

「城下は、慣れるまでが勝負や」

そう言って、焦る様子はない。

一方で、雇った者の中から三人ほどが抜けた。夜のうちに姿を消した者もいれば、

口だけ残してどこかへ行った者もいる。

「……まあ、出るやつは出る」

 ヨイチが肩をすくめる。

「二週間もったなら、ええ方やろ」

 博之も頷いた。

「残るやつが大事や」

 実際、帳面をつけてみれば、全体としては確実に回っていた。

 横丁二つ――本店の利益は、この二週間で三万八千文。ここが柱であり、ここを崩さない限り、

商いは続く。

 だが、同時に出ていく金も大きい。

 人件費として、一万九千文。

 さらに、酒代や情報収集のための費用で二万文。

 新しく雇った者に、着物や湯浴み、寝具を揃えた分で四千文。

 それでも、手元に残る銭は三万五千文ほど。

「減っとるようで、増えとるな」

 帳面を見て、博之はそう言った。

 回している実感があった。

 それだけで十分だった。

 屋敷では、侍たちによる読み書きの教えも続いている。

「ほら、ここはこう書くんや」

「五つで一つ、正の字や」

 子どもたちが真剣な顔で墨を動かす。

 最初は数字すら怪しかった者たちが、少しずつ数を数え、売上を書き、仕入れを覚えていく。

「……ええ顔してきたな」

 それを見て、博之はふと呟いた。

 顔つきが変わってきている。目が死んでいた頃とは違う。自分で稼ぎ、自分で飯を食い、

自分の居場所を持った者の顔だ。

 博之は時折、城下にも顔を出すようにしていた。

 店の様子を見るだけでなく、役人や商人の顔を覚え、何かあった時に話が通るようにするためだ。

 その際には、ヨイチを連れていく。

「見とけ。ここが次の場所や」

「人多いな」

「せやろ。ここで回せたら、一段上や」

 そんなやり取りをしながら、少しずつ視野を広げていく。

 一方、松坂の本店――横丁二つの管理は、お花に任せていた。

「こっちは頼むで」

「任せてください」

 お花は静かに答える。

 さらに、初期からいる子どもたちにも言う。

「新しく来たやつら、面倒見たってくれ」

 すると、ある女の子が胸を張る。

「大丈夫や。うちらも昔、食わせてもろたんやし」

 別の子も頷く。

「ちゃんと教えたら、やれるようになるで」

 その言葉に、博之は思わず笑った。

「……頼もしくなったな」

 最初に会った頃とは別人のようだった。

 仕事を覚え、給金をもらい、店を任される。

 その重みを、きちんと受け止めている。

「ここでずっと働いてもええしな」

 博之が言う。

「無理に出ていかんでもええ」

 すると、一人の女の子が少し照れながら言った。

「ここで結婚してもええかなって思うわ」

「ほう」

 ヨイチが笑う。

「誰とや」

「まだ決めてへん!」

 場がどっと笑いに包まれる。

 博之も苦笑する。

「まあ、それもありやな」

 そして少し肩をすくめた。

「……だいぶ先の話やけどな」

 火が揺れ、飯の匂いが漂う。

 大きな夢があるわけではない。

 ただ、今日も飯が食える。

 それだけのことが、確かに積み重なっていた。

 博之はその光景を眺めながら、静かに思った。

 ――これでええ。

 焦らず、崩さず、少しずつ。

 そうやって、この場所はできていくのだと。

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