松坂の城下に横丁を出す許可を松坂の城にもらいに行く。2000文持参。城下を攻める準備
七月に入って最初の週。博之は帳面を広げ、残り銭を確かめていた。
横丁二つを回し、売上と費用を差し引く。屋敷二つ分、十軒分の小屋代、備蓄、予備費、
新しく十人を雇った初期費用。それらを払ってなお、手元には二万九千文ほど残っていた。
「……悪くないな」
だが、ここから先は勝手に広げるわけにはいかない。
松阪の町中ならまだしも、次に狙うのは城下。人通りも多いが、目も多い。
武士や役人の目に触れる場所で商売をするなら、筋を通しておく必要がある。
博之は銭袋を一つ手に取った。
「二千文、持っていく」
ヨイチが目を丸くした。
「そんなに出すんか」
「ああ。飯屋にしては多いやろうけど、ここはケチったらあかん」
お花も静かにうなずく。
「城下でやるなら、先に話を通した方が安心です」
「せや」
博之は銭袋を懐に入れた。
「これは店代やない。揉めんための銭や」
その日、博之は侍二人を連れて松阪の城へ向かった。
城に着くと、家臣に取り次ぎを頼む。待たされはしたが、まったく相手にされないわけではなかった。
最近、町でいくつも飯屋を回している男の噂は、多少なりとも耳に入っていたらしい。
「飯屋の者か」
通された先で、北畠方の家臣が博之を見る。
「はい。博之と申します」
博之は頭を下げ、銭袋を前に差し出した。
「城下で小さな横丁を作りたく、まずはご挨拶とお許しを願いに参りました」
「横丁?」
「豚汁、団子、魚、田楽。いずれは鶏も少し。腹を満たす店を並べるだけでございます」
家臣は銭袋に目をやった。
「これは」
「二千文ございます」
その金額に、少し空気が変わった。
ただの飯屋が出す額としては、明らかに厚い。
家臣は袋を持ち上げ、重さを確かめるようにした。
「……なかなか出すな」
「城下で商いをさせていただく以上、筋は通したいと思いまして」
博之はさらに頭を下げる。
「もちろん、揉め事は起こしません。火の始末、人の始末、きちんといたします」
家臣は少し考え、それから短く言った。
「問題を起こさぬなら、好きにせよ」
「ありがとうございます」
「ただし、騒ぎを起こせばすぐに畳ませる」
「承知しております」
それで話はついた。
城を出たところで、博之は大きく息を吐いた。
「……通ったな」
侍の一人が横で笑う。
「二千文も出せば、そりゃあな」
「高かったか」
「高い。だが、悪くない」
博之は頷いた。
「最初に払う銭は、後で守ってくれる銭や」
屋敷に戻ると、ヨイチが待っていた。
「どうやった」
「許しは出た」
「ほんまか」
「二千文は効いたみたいやな」
ヨイチは苦笑する。
「飯屋で二千文て、だいぶやな」
「せやから、失敗できへん」
博之は地図代わりの紙を広げる。
「いきなり五軒全部はやらん。まずは二軒や」
「何を出すんや」
「田楽と魚」
博之は指で場所を示す。
「豚汁は手間がかかる。団子は人がいる。まずは匂いで人を止められるものからや」
家賃も上がる。
これまで小屋一つ三百文だったものが、城下では五百文になる。
だが、博之はそれを必要経費と見ていた。
「松阪の町に食い込むなら、ここや」
お花が言う。
「人手はどうします」
「また集める」
博之は短く答えた。
「ただし、誰でもええわけやない。裏切らん、盗まん、逃げん。そこは変えへん」
ヨイチがうなずく。
「城下は揉め事も増えるやろな」
「せやから侍も要る。情報も要る」
博之は静かに言った。
「横丁二つで鍛えた形を、城下に持っていく。ここが次の勝負や」
火が入り、また人が動き出す。
松阪の町の奥へ、博之の飯屋は少しずつ食い込んでいく。
領地を取るわけではない。
刀で従わせるわけでもない。
ただ、腹を満たす場所を増やす。
博之はそれを、自分なりの戦だと思っていた。




