6月の2週間。田楽と鶏の店も始めるが、味が定まらず意外と奥が深い。横丁になり人が集まっている効果で軌道に乗る
それから二週間が過ぎた。
博之が皆を集めて話した通り、松坂の横丁はさらに形を変えていた。
豚汁屋、味噌団子、魚の塩焼き。そこに新しく、田楽の店が二つ、鶏の塩焼きと
味噌焼きの店が二つ加わった。
田楽と鶏は、始める前は簡単に見えた。
串に刺す。焼く。味噌を塗る。あるいは塩を振る。
ただそれだけだと思っていた。
だが、やってみると意外と奥が深い。火が弱ければ水っぽくなり、強すぎれば焦げる。
味噌を塗るタイミングが早すぎると苦くなり、遅すぎると香りが立たない。
「……簡単そうで、簡単やないな」
ヨイチが焼き場を見ながら呟く。
「せやろ」
博之は苦笑した。
「飯はな、だいたいそうや」
それでも、評判は悪くなかった。
横丁には、すでに「飯を食う場所」という空気ができていた。豚汁を食べに来る者もいれば、
団子だけ買って帰る者もいる。魚の匂いに釣られ、ついでに田楽を一本買う者もいた。
「ちょっと食って帰るか」
「ここ来たら何かあるやろ」
そんな声が聞こえるようになっていた。
問題は供給だった。
鶏肉が安定して入るのか。豆腐や茄子が切れないか。味噌をどこまで回せるか。
不安はある。
だが、今の博之には妙な手応えもあった。
店が増え、人が増え、物の流れも少しずつ太くなっている。
――なんとかなるやろ。
そんな感覚があった。
人もまた、集まってきていた。
孤児、未亡人、食い詰めた男、よその国から流れてきた者。中には武士崩れもいる。
雇ってくれ、と頭を下げる者は多かった。
だが、博之は誰でも受け入れるわけではなかった。
「最初の扱いは、そんな良くないで」
面接のたびに、博之はそう言う。
「飯は出す。寝るところも用意する。けど、最初から高い給金は出さん」
相手の目を見る。
「失敗は許す。でも、盗みと裏切りは許さん」
さらに続ける。
「うちは身寄りのない者が多い。慎ましくやっとる。荒らすやつはいらん」
その言葉に頷く者だけを、まず一月の様子見で入れた。
そうして、この二週間で新しく十人ほど雇った。
漬物ができる者。掃除が得意な者。少し数字が読める者。よその土地の話を知っている者。
人が増えると、また部屋が足りなくなる。
博之は新しく屋敷を一つ借りた。
もはや一つの店ではない。
小さな組織だった。
そのぶん、博之自身が豚汁を煮る時間は減っていった。
新しい横丁や採用、仕入れ、貸主との話、寺との付き合い、侍からの情報。やることは
増える一方だった。
だからこそ、ヨイチとお花の存在が大きくなった。
ある夜、博之は二人を呼んだ。
「ちょっと話がある」
ヨイチとお花が顔を見合わせる。
「お前らの給金、倍にする」
「……倍?」
ヨイチが目を丸くした。
「せや。正直、今手放せん」
博之ははっきり言った。
「ヨイチ、お前は伊勢や津でやりたい言うてたな」
「言うた」
「でも、しばらく松坂に残ってくれへんか」
ヨイチは少し黙った。
お花も、静かに博之を見る。
「松坂を育てる場所にしたい」
博之は続けた。
「ここで人を育てて、横丁で練習させて、できるようになったら伊勢や津に出す」
ヨイチがゆっくり頷く。
「本店やな」
「そうや」
博之は少し笑った。
「松坂が本店や」
「それなら、悪くないな」
ヨイチは肩をすくめる。
「新しい町も行きたいけど、育てるのも面白そうや」
「給金倍になるから言うてへんやろな」
博之が軽口を叩くと、ヨイチは笑った。
「それもある」
「正直でええ」
お花も小さく笑った。
「私は、ここで皆を見ます」
「助かる」
博之は頭を下げた。
これから必要になるのは、店を回せる者だけではない。
横丁同士を行き来できる者。馬に乗れる者。言葉を伝えられる者。数字を持ち帰れる者。
そういう人間が必要になる。
「馬も、覚えなあかんな」
博之はぽつりと言った。
「馬ですか」
「借りてでも、行き来できるやつを作る。伊勢や津に出したら、頻繁に連絡がいる」
侍たちにも、その役割を持たせるつもりだった。
そして、土地ごとの有力者や大名家には、いずれ挨拶や寄進も必要になる。
「別に、大名の真似をするつもりはない」
博之は火を見ながら言った。
「でも、飯屋が大きくなれば、知らん顔では済まん」
ヨイチが頷く。
「うまくやらなあかんな」
「せや」
博之は静かに答えた。
松坂に二つの横丁。
次は城近く。
そして伊勢、津へ。
ただ飯を食わせるために始めた商いは、いつの間にか、人と町を動かすものになり始めていた。




