6月。店は順調。お侍さんは情報収集を淡々とこなしながら伊勢、津、伊賀を見る。
それからさらに二週間が過ぎ、暦は六月に入った。
屋敷も、店も、人も、ようやく一つの形になり始めていた。
今では、豚汁屋が二軒、団子屋が二軒、魚の塩焼きが二軒。合わせて六つの店を回している。
最初の頃と比べれば、信じられないほどの広がりだった。
「……ようここまで来たな」
朝、店の様子を見ながら、博之はぼそりと呟く。
ヨイチが横で笑う。
「まだ途中やろ」
「せやな」
博之も苦笑した。
人も増えていた。
噂を聞きつけて、「働きたい」という者は絶えない。だが、誰でも入れるわけではない。
「数だけ増やしても、回らん」
そう言って、博之は選ぶ目を厳しくしていた。
それでも、この二週間で新たに五人を雇い入れた。
漬物が得意な者、掃除をきっちりやれる者、少しだが計算ができる者――派手さはないが、
店を回すには欠かせない面子だった。
「地味やけど、こういうのが効くんや」
博之はそう言って、満足げに頷いた。
そしてもう一つ、大きな動きがあった。
店を貸してくれている主人に、千文を包んだのだ。
「これからもよろしく頼みます」
そう言って差し出すと、主人は目を丸くしたあと、すぐに顔をほころばせた。
「いやあ、あんたんとこはようやっとるからなあ」
袋を手に取りながら、嬉しそうに言う。
「こんなんもらわんでも貸すけどな、まあ気持ちやな」
「気持ちです」
博之は軽く頭を下げる。
主人はそのまま、少し身を乗り出した。
「で、なんか次やるんか?」
「ええ、まあ……鶏をちょっと考えてまして」
「ニワトリか」
主人は顎に手を当てる。
「育てるんは大変やぞ」
「せやから、まずは肉だけでええかなと。焼き鳥みたいなんできへんかと」
「ほう」
主人の目が光る。
「それなら、空いてるとこ二つあるで」
「え?」
「今貸しとる裏手、ちょっと空き出るんや。使うか?」
博之は一瞬、言葉を失った。
「……ありがたいです」
「ええやろ。あんたんとこなら回すやろしな」
そう言って、主人は満足げに笑った。
その話を屋敷で伝えると、ヨイチが目を輝かせた。
「また増えるんか!」
「増える」
博之は頷く。
「でも、いきなり大きくはせん。様子見ながらや」
そんなふうに、少しずつ、確実に広がっていった。
一方で、武士の二人は変わらず動いていた。
寺に通い、和尚に顔をつなぎながら、子どもたちに教える準備を進める。そして数日に一度、
町へ出ては酒場に顔を出し、情報を拾ってくる。
その夜も、二人は屋敷に戻ってきた。
「どうやった」
博之が声をかける。
「いろいろ聞けたで」
一人が腰を下ろしながら言う。
「まず松阪は、今んとこ大きな動きはない。北畠の下で、まあ安定はしとる」
「ふむ」
「ただ、ちょこちょこ小競り合いはあるな。大きな戦にはなっとらん」
「それならええ」
博之はうなずく。
「津の方はどうや」
「港は動いとる。魚は安い日と高い日で差があるな」
「海の具合やな」
「せやな」
もう一人が続ける。
「伊勢はやっぱり人が多い。神宮の方は賑わっとる。飯の需要はかなりある」
ヨイチが口を挟む。
「やっぱり伊勢か」
「せやろな」
博之は少し考える顔をした。
「伊賀は?」
「山やけど、動きはある。人の出入りもあるし、情報は取りやすい」
「水軍は?」
「この辺やと、九鬼の水軍が話に出とった。海の通り道はあいつらが見とる」
博之はゆっくりと息をつく。
「なるほどな」
火の前に座り直す。
「津、伊勢、伊賀。それぞれ意味がある」
指で地面に線を引くように動かす。
「津は仕入れ、伊勢は売り、伊賀は人と情報」
武士が小さく笑う。
「旦那、だいぶ見えてきとるな」
「まだまだや」
博之は首を振る。
「でもな、ここを押さえたら、次が見える」
少し間を置く。
「無理に攻めん。じわじわや」
その言葉に、皆がうなずく。
屋敷の火は、静かに燃えている。
松阪を拠点に、少しずつ、確実に広がっていく。
まだ戦ではない。
だが、確実に「地」を固める動きが、始まっていた。




