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メンヘラオジサン、戦国で飯屋を始める ~戦えない俺は食と金で成り上がる~  作者: メンヘラオジサン【監視アカウント】


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あんまりやめる奴がへったよなと博之。以前の伊勢松坂屋と状況が大きく違いますと説明される

「うーん」

 博之は、信楽焼の小皿を眺めながら、ぽつりと言った。

「最近、あんまり“辞めます”って話、聞かへんな」

 ヨイチが帳面から顔を上げた。

「良いことではありませんか」

「いや、ええことやねんけど。前はもうちょっと、ふらっとおらんようになるやつとか、

 合わん言うて辞めるやつとかおったやん」

 お花が茶を置きながら笑った。

「それは、今の伊勢松坂屋がだいぶ変わったからでしょう」

「変わった?」

「はい。まず、飯と寝るところがちゃんとある。それが大きいです」

 女衆の一人も頷いた。

「前は、食えるかどうか分からん人が来てましたからね。今は、まかないがあって、寝床があって、

 給金もちゃんと出る。そこがまず強いです」

「まあ、それはそうやな」

「それに、買い付け隊の効果も大きいです」

 ヨイチが帳面を軽く叩いた。

「直近だけでも、三十五万文ほど買い付けが動いています。信楽焼、伊勢小物、松阪の品、

 津や鳥羽のもの、北伊勢の紙や墨の話。そういうものが棚に並ぶ」

「それが辞めへん理由になるんか」

「なります」

 ヨイチは即答した。

「働いている者からすれば、“ここにおれば飯が食える”だけでなく、“ここにおれば珍しいものが

 見られる、買える、関われる”となります」

 お花も続けた。

「信楽焼の小皿や湯呑みも、従業員が楽しみにしています。給金をもらって、棚を見て、

 どれを買おうか考える。そういう小さな楽しみがあるのは大きいです」

「なるほどな」

「辞めて外へ出たら、その楽しみもなくなります」

「それはあるか」

 博之は少し腕を組んだ。

「でも、うちって、そんな居心地ええんかな」

「ええと思いますよ」

 女衆の一人が言った。

「下から入っても、ちゃんと見てもらえます。最初は皿洗いでも、飯炊きでも、売り子でも、

 続けていたら役目が増えます。給金も上がります」

「そんな大層なつもりはないんやけどな」

「大層なつもりがないから、いいんです」

 お花が笑った。

「旦那様は、たぶん“偉い店を作るぞ”と思ってやっていないでしょう」

「うん。飯食わせたいだけや」

「それが伝わっているのだと思います」

 ヨイチが少し真面目な顔で言った。

「怖いくらい強い点もあります。内宮の端に店を出していること。信楽焼を大量に流せるだけの財力と

 組織力があること。九鬼様、六角方、松阪や伊勢の城主とも話をしていること」

「それ、聞くとだいぶ怖いな」

「怖いです」

「自分で怖いわ」

「ですが、その一方で、旦那様が普段からいらんことばかりしているので」

「おい」

「横柄な感じがないのです」

 座敷に小さな笑いが起きた。

「いらんことばっかりって何やねん」

「ふくふく焼きの口上を言いたがる」

「それは大事やろ」

「お好み焼きの縁会を見てにやにやしたがる」

「それも大事やろ」

「芸子さんを呼んでいいか聞く」

「それは冗談や」

「昼寝に人を入れようとする」

「それも冗談半分や」

「半分は本気ですね」

「はい」

 お花が即答したので、女衆たちが笑った。

 博之は肩を落とした。

「なんか俺の威厳、ほんまになくて困るなあ」

「大丈夫です」

 ヨイチが淡々と言った。

「元からそんなものは、あまりありませんでした」

「ひどすぎるやろ」

「ただ、その方がうまくいっています」

「威厳ない方が?」

「はい」

 お花が頷いた。

「旦那様が奥の大きな屋敷に座って、皆が平伏するような店だったら、たぶん今の空気には

 なっていません」

「そうか?」

「そうです。旦那様がごろごろして、しょうもないことを言って、ヨイチさんに刺されて、女衆に怒られて、子どもたちに笑われているから、皆も話しかけやすいのです」

「それは褒めてる?」

「褒めています」

「ほんまか?」

「半分くらい」

「半分か」

 女衆の一人が笑いながら言った。

「旦那様、こっちも絡みやすいんですよ。偉そうにされるより、ずっといいです」

「でも、大旦那感がないやん」

「大旦那感が強すぎると、皆が遠ざかります」

 ヨイチが言った。

「旦那様は、大きい屋敷に一人でぼつんとするのは嫌なのでしょう?」

 博之は即答した。

「嫌や」

「では、今のままでよろしいのでは」

「そう言われると、そうやな」

「皆が辞めにくい理由は、飯と寝床だけではありません。給金だけでもありません。ここにいると、

 自分の居場所があると感じやすいからです」

 お花が静かに続けた。

「本店の子は試作を見られる。街道の子は回覧板で話を知る。上野の子は信楽焼を運ぶ。

 名張の子は餡子の道を探る。鳥羽の子は港飯を作る。津の若い衆は失敗からやり直している。

 皆、それぞれ役目があります」

「役目か」

「はい。飯を食うだけではなく、何かに関われる。それが大きいです」

 博之は、少し黙った。

 最初は、自分が食うためだった。

 次に、近くの誰かを食わせるためになった。

 気づけば、あちこちに役目ができていた。

 信楽焼を運ぶ者。

 御礼札を配る者。

 お好み焼きを焼く者。

 回覧板を書く者。

 子どもに皿の数を教える者。

 外の飯屋へ食べに行く者。

 そうやって、店はただの飯場ではなくなっていた。

「まあ、辞めへんのはありがたいな」

「はい」

「でも、俺の威厳がないのは納得いかん」

「そこは諦めてください」

 ヨイチが即座に言った。

「諦めた方がいいです」

 お花も続ける。

「旦那様に必要なのは、怖がられる威厳ではなく、話しかけられる大旦那感です」

「話しかけられる大旦那感」

「はい。ちょっと情けなくて、でも飯のことになると頼りになるくらいで、ちょうどいいです」

「それ、ほんまに褒めてる?」

「褒めています」

 女衆たちが揃って頷いた。

 博之は不満そうにしながらも、少し嬉しそうだった。

「ほな、俺はこのままでええんか」

「はい」

「ごろごろしてても?」

「帳簿は見てください」

「そこだけ厳しいな」

「必要です」

 博之は畳に寝転がった。

「まあ、辞めへん理由が、飯と寝床と、買い付けの楽しみと、俺の威厳のなさやとはな」

「まとめるとひどいですね」

「ひどいな」

 お花が笑った。

「でも、それが今の伊勢松坂屋です」

「そうやな」

 博之は天井を見ながら、小さく言った。

「大きい屋敷で一人ぼっちより、こっちの方がええわ」

「皆、それを分かっています」

 ヨイチが帳面を閉じた。

「ですので、旦那様も認識しておいてください。伊勢松坂屋は、飯と寝床と給金だけで

 回っているのではありません。旦那様の妙な近さも、店の一部です」

「妙な近さってなんや」

「威厳のなさです」

「言い換えただけやんけ」

 また座敷に笑いが起きた。

 博之は笑われながら、少しだけ安心していた。

 辞める者が少ない。

 それは、店が大きくなったからだけではない。

 飯があり、寝床があり、買う楽しみがあり、役目があり、そしてしょうもないことを言う

 大旦那がいる。

 それなら、もうしばらくは、この騒がしい形で続けてもいいのかもしれなかった。

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