六角の役人たちに古参衆が伊勢松坂屋と博之について語る。変ではあるが筋は通ってる。今後も教えてくれ
六角方の役人は、伊勢松坂屋の者たちを奥へ通した。
十万文を持ってきたことにも驚いた。
伊勢の内宮で店を出しているという話にも驚いた。
だが、それ以上に知りたかった。
「そもそも、伊勢松坂屋とは何者だ」
古参衆の一人が、少し困ったように頭を下げた。
「私も、本当の最初から旦那様を見ていたわけではございません。多少、伝え聞きのところも
ございます」
「構わん。話せ」
「はい」
古参衆は、ゆっくり話し始めた。
「もともと旦那様は、去年の三月頃、ほとんど無一文の状態で、松阪郊外のボロ小屋から店を
始めたと聞いております」
「無一文?」
「はい。最初は、本当に自分一人が食えればよい、というところからだったそうです」
役人は眉をひそめた。
「それが今、十万文を持って信楽に来るのか」
「はい。そこが旦那様の妙なところでございます」
古参衆は続けた。
「当初は、飯と寝床があれば働くという者を集めておりました。戦で親を亡くした子、
身寄りのない者、食いっぱぐれた侍、行くところのない者。そういう者たちです」
「施しのようなものか」
「最初はそう見えたかもしれません。ですが、旦那様は“施しだけでは続かん”とよく言われます。
飯を食わせるだけでなく、働き口にして、銭を渡して、寝床を用意する。そういう形で
広げていかれました」
「ふむ」
「店が少しずつ大きくなると、松阪の殿様へ寄進をしたり、周りへ筋を通したりするようになりました。
さらに、松阪だけに固まっていると、戦や災いの時に危ないということで、伊勢へも出ました」
「商いを分けたわけか」
「はい。ただ、そこでまた問題が出ました」
「問題?」
「従業員が銭を使わないのです」
役人は少し意外そうな顔をした。
「使わない?」
「はい。飯と寝床が店で出ます。湯浴みもあります。なので、給金がどんどん貯まっていくのです」
「それは良いことではないのか」
「普通なら良いことです。ですが、旦那様は“銭は回らんと怖い”とおっしゃいます。
そこで、伊勢の小物や品を松阪で買えるようにする定期便が始まりました」
「従業員に使わせるために?」
「はい。それと同時に、内宮の近くで店を出すには、伊勢にも銭を落とす必要があったそうです」
役人は少し笑った。
「なるほど。飯屋が政治を覚えたか」
「そうかもしれません」
古参衆も苦笑した。
「その後、松阪の殿様が、伊勢で買い付けた分と同じ額を松阪でも使えとおっしゃったそうです。
そこで旦那様は、布団を二百着買って十六万文使うという、訳の分からないことをされました」
「布団を二百着?」
「はい。従業員用です」
役人は思わず笑った。
「豪気なのか、阿呆なのか分からんな」
「私どもも、時々分からなくなります」
その場にいた者たちが小さく笑った。
「そうして、松阪と伊勢の間で銭と品が動くようになりました。さらに津、鳥羽、伊賀上野、
名張と、少しずつ広がっております」
「伊賀上野は、どうつながった」
役人の目が少し鋭くなった。
古参衆は横に座る地侍の方をちらりと見た。
「伊賀の方から、飯を食わせてほしいという話が来たのが始まりです。ですが、旦那様は、
ただ施しても続かないと考え、商売の種を探しながら、自立できる道を作ろうとされました」
「そこへ、その侍どもが絡んだわけか」
地侍は少し気まずそうに頭を下げた。
「はい。私どもが、その者たちを捕まえて、身代金を求めに行きました」
「それで?」
「旦那様は怒るどころか、飯を食わせ、風呂に入れ、銭を渡し、伊勢神宮へ連れて行きました」
役人は、目を丸くした。
「身代金を取りに来た者を、伊勢へ?」
「はい」
「なぜだ」
地侍は、少し苦笑した。
「私にも、最初は分かりませんでした。ただ、伊勢で内宮の店を見て、飯が売れるところを見て、
九鬼水軍の船に乗って、少し考えが変わりました」
「改心した、ということか」
「そう言われると恥ずかしいですが、少なくとも、人を脅すより皿を運ぶ方が飯になると分かりました」
役人は、腕を組んで唸った。
「それで、伊賀の道が通れるようになり、信楽へ来たと」
「はい。伊賀上野を中継にして、信楽焼を買えるようになりました。最初は小皿や
湯呑みを少しずつでしたが、今は量が足りません」
「なぜ、そこまで買える」
役人は、改めて尋ねた。
「信楽焼は安いものではない。伊賀を越えれば、運ぶ手間で値も上がる。
割れ物でもある。普通の飯屋が、なぜそれを買い続けられる」
古参衆は、少し胸を張った。
「うちの給金が、かなり良いからでございます」
「給金?」
「はい。古参の者ですと、月に三千文ほど入ります」
役人の顔が変わった。
「三千文?」
「はい」
「それは、中級の武士と変わらぬではないか」
「しかも、飯と寝床がつきます」
地侍が補足した。
「湯浴みもあり、まかないもあります。ですので、銭が減りにくいのです」
「……飯屋の下働きが、月三千文を持つのか」
「古参なら、でございます。新入りはもっと少ないですが、それでも飯と寝床付きなので、
かなり残ります」
古参衆は続けた。
「そのため、従業員向けに伊勢の小物や信楽焼を売ると、皆が買いたがります。
今は信楽焼の小皿や湯呑みが非常に人気で、一つ百文でも、一人一個までという制限で
売っております」
「百文でも売れるのか」
「売れます。むしろ足りません」
「従業員が買うのか」
「はい。今、伊勢松坂屋の者は、松阪、伊勢、津、鳥羽、上野、名張を合わせれば七百人ほどおります」
役人は、言葉を失った。
「七百人」
「はい」
「飯屋が、七百人を抱えているのか」
「はい。南伊勢の方では、伊勢松坂屋を知らない者は少ないと思います」
古参衆は、控えめながらもはっきり言った。
「内宮の端で売っているすり身、松阪の混ぜ飯、津の港の飯、鳥羽の鮪鍋、上野の信楽焼、
今後は名張から小豆と砂糖の道も探っております」
「小豆と砂糖?」
「ふくふく焼きという甘味を作るためでございます」
「また飯か」
「はい。旦那様は、飯のためなら道を作ります」
役人は、しばらく黙った。
最初は、妙な買い付けをする怪しい商人だと思っていた。
信楽焼を買い荒らし、何かを探っているのではないかとも疑った。
だが、話を聞いてみれば、筋が通っているようで、通っていない。
通っていないようで、妙に一本の流れがある。
無一文の飯屋
飯と寝床。
従業員の給金。
買い付け便。
伊勢。
身代金に来た地侍の改心。
伊賀の道。
信楽焼。
七百人の従業員。
役人は、思わず息を吐いた。
「なかなかすごいな」
「恐れ入ります」
「一つの物語やないか」
古参衆は、少し笑った。
「私どもも、たまにそう思います」
「筋が分からんようで、何となく分かった。つまり、信楽焼はただの贅沢品ではない。
店で使う器であり、従業員の銭を回す品であり、伊賀の道を生かす商材でもある、ということか」
「はい。その通りでございます」
「そして、買い付ける銭は、伊勢松坂屋の中で回っている銭から出ている」
「はい」
役人は、改めて地侍たちを見た。
「そなたらも、今はその道の者か」
地侍は深く頭を下げた。
「はい。まだまだ怪しい顔をしておりますが、皿を割らずに運ぶことには少し慣れてまいりました」
「怪しい顔は自覚しておるのか」
「しております」
場に笑いが起きた。
役人は、最後に言った。
「よかろう。信楽に拠点を置く話、前向きに進めよう。ただし、勝手に値を荒らすな。
地元の者を軽んじるな。六角の筋を忘れるな」
「承知いたしました」
「それと、伊勢松坂屋というものを、こちらにももう少し知らせよ。信楽焼をどこでどう使うのか、
見てみたい」
「次の便で、信楽焼を使った盛り付けや、伊勢の品もお持ちいたします」
「そうせよ」
古参衆は深く頭を下げた。
役人は、まだ少し不思議そうな顔をしていた。
ただの飯屋。
だが、ただの飯屋ではない。
南伊勢から伊賀を越えて、信楽まで届いたその奇妙な商いに、六角の側もようやく
興味を持ち始めていた。




