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一方、六角に使者として向かった使者は先方に怪しまれていた。が、経緯を話したことと、10万文で話を聞いてもらえた

博之は、また座敷でごろごろしていた。

「北伊勢に十万文。大和八木方面に十万文。信楽は……まあ、六角の殿様の許しが出たら十万文。

 いや、五万文でええか。うーん、でも最初やし十万文でもええかな」

 ヨイチが帳面を見ながら、頭を抱えた。

「旦那様、寝転がりながら十万文を軽く言わないでください」

「軽く言うてへん。怖がりながら言うてる」

「怖がっている人は、三方面に十万文ずつ撒く話をしません」

「いや、銭を抱える方が怖いねん」

 そんな博之の言葉で、信楽方面へ向かう使者たちは決まった。

 古参衆数人。

 帳面役。

 信楽焼きの買い付けに慣れてきた地侍衆。

 そして、重たい十万文。

 銭は荷として分けたが、それでも恐ろしい額だった。

 伊賀の道は、以前ほど怖くはない。定期便が通い始め、顔の知れた地侍たちが護衛につく。

 だが、十万文を持って歩く怖さは別だった。

 道すがら、地侍の一人が苦笑した。

「おたくらも運がないな」

「何がですか」

「十万文持って歩くんやぞ。結構な距離やし、心臓に悪いわ」

「やっぱり怖いですか」

「怖いに決まっとる。俺らも今は信楽焼きをやってるけど、三万、五万文でも緊張する。

 皿も割れるし、銭も怖いし、道も怖い」

 古参衆は、荷を見てため息をついた。

「旦那様は、むちゃくちゃです」

「けど、そのむちゃくちゃのおかげで飯が食えてるんやろ」

「それは、そうです」

 地侍は笑った。

「まあ、帰りに自分らの銭で信楽焼き買って帰ったらええやん」

「私物で、ですか」

「ええやろ。買い付け隊の連中も、自分の小遣いで湯呑みとか小皿とか買って帰ってるぞ」

「それは……少し欲しいですね」

「せやろ。信楽焼きは、今松阪でも伊勢でも欲しがられてる。持って帰ったら自慢できるで」

 そんな話をしながら、一行は信楽へ入った。

 当初は観音寺城まで行くことも覚悟していた。だが、文を寄こした六角方の役人は、

 信楽近くの役所に出てきているという。まずはその上司筋に挨拶することになった。

 屋敷に通されると、六角方の役人は、最初から少し警戒した目をしていた。

「そなたらが、伊勢松坂屋か」

 古参衆は深く頭を下げた。

「はい。伊勢松坂屋より参りました」

「文は届いたか」

「届きました。信楽に拠点を置くなら五万文とのことでしたので、旦那様より、

 まずは筋を通すべしと、十万文をお持ちいたしました」

 その瞬間、役人の顔がわずかに動いた。

「十万文?」

「はい」

「五万文と書いたはずだが」

「旦那様が、言われた額だけでは失礼であると。信楽焼きの道を長く使わせていただく以上、

 倍を納め、改めてご挨拶せよと申しました」

 役人は、しばらく黙った。

 もともと、その文は半分、断り文句だった。

 最近、信楽焼きを妙に買い集める一団がいる。

 伊賀者か。商人か。どこかの間者か。

 数万文単位で動くくせに、素性がよく見えない。

 ならば、五万文と吹っかければ引くだろう。そう考えて出した文だった。

 ところが、相手は五万文どころか十万文を持ってきた。

「……改めて話を聞かねばならんな」

 役人はそう言って、奥の間へ通した。

「そもそも、伊勢松坂屋とは何者だ」

 古参衆は、用意していた包みを開いた。

 伊勢松坂屋の朱印を押した紙。

 伊勢で売っている魚のすり身の包み。

 松阪の混ぜ飯に使う味噌。

 蜂蜜饅頭。

 そして、信楽焼の小皿を使った見本の盛り付け。

「私どもは、もとは松坂郊外の小さな飯屋でございます」

「小さな飯屋が十万文を持ってくるか」

「今は、松阪、伊勢、津、鳥羽、伊賀上野、名張方面へ少しずつ横丁を広げております」

「横丁?」

「飯屋、荷置き、休み場、湯浴み、棚売り、定期便。そういうものを合わせた小さな場でございます」

 役人は眉をひそめた。

「では、ただの焼き物商人ではないのか」

「はい。信楽焼きは、私どもの店で使う器として、また従業員やお客様向けの品として、

大変重宝しております。さらに九鬼水軍様の方でも、北伊勢へ回せるのではという話が出ております」

「九鬼水軍」

 その名に、役人の目が少し変わった。

「伊勢の海の者ともつながりがあるのか」

「はい。伊勢では内宮の端にて、魚のすり身を売る店も許されております」

「内宮で?」

「端ではございますが」

 古参衆は、あえて控えめに言った。

「そこで信楽焼きの器を使えば、飯の見え方も変わります。松阪や伊勢の女衆にも評判がよく、

 まだまだ数が足りません」

 役人は、朱印紙に包まれたすり身を手に取った。

「これが、伊勢で売れているものか」

「はい」

「魚のすり身か」

「魚のすり身です。ただ、紙、印、場所、味、食べ歩きの形を整えると、値がつきます」

「ふむ」

 役人は蜂蜜饅頭も見た。

「甘味も扱うのか」

「試作中でございます。小豆と砂糖の道も探っております」

「飯屋が、器を買い、砂糖の道を探り、海の者と組むか」

「旦那様は、飯のためなら道を作る方でございます」

 役人は、そこで初めて少し笑った。

「変な商人だとは思っていたが、なるほど、変ではあるな」

「否定はいたしません」

「しかし、間者ではなさそうだ」

「間者にしては、飯の匂いが強すぎます」

 地侍の一人が思わず言うと、場に小さく笑いが起きた。

 役人は、十万文の目録を見た。

「五万文でよいと書いたものを、十万文持ってきた。その心意気は受け取る。ただし、

 信楽に拠点を置くなら、こちらの筋を必ず通せ。勝手に人を集め、勝手に荷を動かされては困る」

「もちろんでございます」

「荷置き場、飯場、買い付け小屋。規模は小さく始めよ」

「はい」

「信楽焼を買うにしても、値を荒らすな。急に高値で買いすぎると、地元が乱れる」

「承知しております。旦那様も、安く叩くつもりはないが、乱すつもりもないと申しておりました」

「それならよい」

 役人は、少し考えてから言った。

「まずは五万文を正式な許しの礼として受ける。残り五万文は、拠点整備と当地への寄進、

 道の整備という形で預かる。これでよいか」

 古参衆は頭を下げた。

「ありがたきことにございます」

「それと」

「はい」

「伊勢松坂屋が何者か、もう少し詳しく聞かせてもらおう。内宮で店を出す飯屋が、

 なぜ信楽焼を欲しがるのか。こちらとしても興味が湧いた」

 古参衆は、内心ほっとしながらも、背筋を伸ばした。

 断られるどころか、話を聞いてもらえるところまで来た。

 十万文は重かった。

 道中も怖かった。

 だが、博之の「倍持ってけ」は、確かに効いていた。

 信楽焼の道は、ただの買い付けから、正式な拠点へと変わり始めていた。

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