6月3週目。2週末の帳簿をだす。466.2万文→548.8万文。散々使ったのに増えてるwww
「旦那様。楽しい楽しい帳簿の時間でございます」
ヨイチが帳面を抱えて入ってきた瞬間、博之は畳の上で固まった。
「いや、今回は見んでも分かる。めちゃくちゃ使った」
「使いましたね」
「鳥羽に十万文巻いたやろ。上野にも出したやろ。津も港増やしたやろ。ふくふく焼きとか、
信楽焼きとか、九鬼様にも払ったやろ。今回はさすがに減ってる」
「旦那様」
「なんや」
「甘いです」
ヨイチは静かに帳面を開いた。
「今回は、松阪、伊勢、津、鳥羽、伊賀上野、それぞれに謎の十万文を計上しております」
「出た、謎の十万文」
「出ます」
「しかもそれぞれかい」
「はい。鳥羽は旦那様が十万文巻くとおっしゃいました。上野は立ち上げです。
津は追加整備。松阪と伊勢は相変わらず寄進、調整、挨拶、揉め事避けです」
「謎が増えとる」
「必要な謎です」
「その言葉、嫌いやわ」
「では始めます」
ヨイチは、まず松阪の頁を開いた。
「松阪です。収入、百九万七千文」
「増えとるやんけ」
ヨイチは続けた。
「ここから人件費、家賃、諸経費、九鬼水軍への運賃、買い付け費用、さらに通常の
謎十万文に加えて、追加調整分の十万文、合計で謎二十万文を引いております」
「謎二十万文ってなんやねん」
「松阪は今回、各方面の調整をかなり受けています。鳥羽、津、上野、信楽、
全部の起点ですので」
「便利に松阪へ乗せるなあ」
「結果、松阪の利益は二十九万四千文です」
「……あれだけ引いて、まだ二十九万あるんか」
「あります」
博之はすでに少し嫌な顔になった。
「次、伊勢です」
「怖いやつや」
「伊勢の収入は、百二十四万一千文です」
「お伊勢さんパワー怖すぎる」
「はい。内宮の端の店、伊勢城下、港、定期便、すり身、鮪、棚売りが安定しています」
「まだ鳥羽入ってへんのやろ」
「入っていません」
「怖い」
「経費、人件費、設備、紙、油、湯あみ、諸々を引いて七十八万五千文。そこからさらに謎の十万文を
引きまして、六十八万五千文です」
「謎引いて六十八万残るんか」
「はい」
「もう嫌や」
「続きます」
ヨイチは津の頁をめくった。
「津です。港町にもう一つ横丁を作りました」
「長野の若い衆が頑張ったやつか」
「はい。長野の若い方々が、警備、店の下見、顔役との調整、寺社への話通しなどを
かなり頑張ったようです」
「そら、あいつらは頑張らなあかんわ。あれだけやらかしたんやから」
「収入は四十万文」
「おお、伸びたな」
「ここから人件費、設備、港の下処理、郊外飯会、諸経費、そして津への追加十万文を引いて、
利益は十万五千文です」
「津、かわいい黒字からちゃんとした黒字になってきたな」
「はい。拠点として形になり始めています」
ヨイチは次に、少しだけ表情を変えた。
「鳥羽です」
「鳥羽は分かる。十万巻いたから赤字やろ」
「はい。鳥羽はまだ収入計上なし。港飯会、漁師への振る舞い、九鬼様への筋通し、
郊外の下見、初期費用として、マイナス十万文です」
「そこは納得やな」
「ただし、港町は開けました。次回から収入が乗ってきます」
「鳥羽は楽しみやな。漁師ら、最初はめっちゃ疑ってたけど、すり身天と鮪鍋があったからな」
「はい。反応は良好です」
ヨイチは最後に、伊賀上野の頁を開いた。
「上野です」
「上野も十万出したな」
「はい。横丁立ち上げ、飯場、荷置き、子ども見学、信楽焼き中継、養鶏、養蜂、山菜、混ぜ飯、
皿数えの学び場。いろいろ始めました」
「始めすぎやろ」
「旦那様が始めました」
「俺か」
「はい」
ヨイチは淡々と数字を読む。
「単純な売上と通常経費の収支は、マイナス四千文ほどです」
「ほぼトントンやん」
「ただし、養鶏場、養蜂、初期の道具、飯場整備などで五万四千文かかっております。
これでマイナス五万八千文。さらに立ち上げの十万文を計上していますので、
上野単体ではマイナス十五万八千文です」
「まあ、そこはええ。上野は育ててるところや」
「はい。ただし、信楽焼きの仕入れが今四万文まで増えています」
「九鬼様分も乗ったからな」
「そのうち三万文相当を、三倍で売る計算にすれば、先々の利益で十分に回収可能です。
上野の横丁が赤字でも、信楽焼きの道としては意味があります」
「それや。上野は皿の道や」
「帳簿上も、その見方でよいと思います」
博之は、少しだけ安心した。
「で、全部合わせると?」
ヨイチは、ここで一度筆を置いた。
「松阪、二十九万四千文。伊勢、六十八万五千文。津、十万五千文。鳥羽、マイナス十万文。上野、マイナス十五万八千文」
「だいぶ使ったな」
「はい。かなり使いました」
「さすがに今回は、増え方は鈍いやろ」
「合計で、プラス八十二万六千文です」
博之は固まった。
「……は?」
「プラス八十二万六千文です」
「鳥羽と上野で二十五万八千文マイナス出して?」
「はい」
「松阪に謎二十万引いて?」
「はい」
「伊勢にも津にも十万引いて?」
「はい」
「それで八十二万増えるんか」
「増えます」
ヨイチは、最後の頁を開いた。
「前回残高、四百六十六万二千文」
「うん」
「今回加算、八十二万六千文」
「うん」
「合計、五百四十八万八千文でございます」
博之は、完全に絶句した。
しばらく、座敷に沈黙が落ちた。
お花が、少し笑いをこらえながら言う。
「旦那様?」
「……意味が分からん」
「分からなくても、帳簿上はそうなっております」
ヨイチが淡々と言った。
「使ったんやぞ」
「使いました」
「鳥羽に十万巻いたんやぞ」
「巻きました」
「上野も立ち上げたんやぞ」
「立ち上げました」
「津も増やしたんやぞ」
「増やしました」
「なんで増えるんや」
「松阪と伊勢が強すぎます」
その一言に、博之は頭を抱えた。
「お伊勢さん、怖い」
「津も育っています」
「長野の若い衆、頑張っとるな」
「はい」
「鳥羽も次から乗るんやろ」
「乗ります」
「上野も信楽焼きが太くなったら乗るんやろ」
「乗ります」
博之は畳に倒れ込んだ。
「もう、もっと使わなあかんやん」
「はい」
「使ってるのに増えるって、ほんまに怖いな」
「だから帳簿を見てくださいと言っています」
「見たくない理由が増えたわ」
「逆です。見ないともっと怖いです」
お花が静かに言った。
「でも、旦那様。今回は良い使い方だったと思います。鳥羽は九鬼様の顔を立て、津は港を厚くし、
上野は信楽焼きと子どもの学びにつながりました」
「そうやな」
「銭が飯と道と人に変わっています」
博之は、少しだけ黙った。
五百四十八万八千文。
もはや、ただの飯屋の銭ではない。
松阪の定期便。
伊勢の内宮。
津の港。
鳥羽の飯会。
上野の信楽焼き。
名張から伸びる小豆と砂糖の道。
福福焼きの小さな試作。
全部がつながって、また銭になって戻ってくる。
「来期も使うぞ」
博之は、ぼそりと言った。
ヨイチは即座に筆を取った。
「用途は」
「まだ書くな」
「逃げられる前に」
「逃げへんて」
「逃げます」
博之はため息をつき、天井を見上げた。
「飯屋って、こんな金かかるんやな」
ヨイチが答える。
「旦那様の飯屋だけです」
「それ、最近何回も聞いた」
「事実です」
お花が笑った。
帳簿の時間は、やはり楽しくはなかった。
だが、怖い数字の向こうに、確かに道は増えていた。
博之は小さく呟いた。
「次は、もっと上手に使わなあかんな」
ヨイチが頷く。
「はい。帳簿をつけながら」
「最後にそれ言うな」
それでも、五百四十八万八千文という数字は、もう逃げられないところまで来ていた。




