表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

205/258

早速ふくふく焼きを試したいぞ。婚活会場に行こうぜ。ふくふく焼きの始終ご縁がありますようにを言いにいきたい

ふくふく焼きの形が見えてしまうと、博之はもう我慢できなかった。

「せっかくやから、早速使いたいぞ」

 座敷でごろごろしていたはずなのに、急に起き上がる。

 ヨイチが嫌な顔をした。

「旦那様、まだ原価計算が終わっていません」

「今回は原価無視や」

「一番言ってはいけない言葉です」

「婚活の場に行くぞ。俺も」

 お花が、すっと目を細める。

「旦那様も、でございますか」

「そうや。商品を試すんや。現場や、現場」

「ただの野次馬では」

「違う。販促や」

 その言葉を聞いたヨイチとお花は、同時にため息をついた。

 嫌な予感しかしない。

 それでも、試作は進められた。

 小麦粉と卵を水で溶き、少し蜂蜜を入れて、丸い型で小さく焼く。

 二枚の焼き皮の間に、少しだけ餡子を挟む。餡子はまだ量が少ない。砂糖も小豆も高い。

 だから今回は、ほんの試しだ。

 焼き上がったものに、伊勢松坂屋の小さな焼印を押す。

 ぽん、と印が入るだけで、ただの甘い焼き菓子が急に商品らしくなった。

「ええやん」

 博之は目を輝かせた。

「これはええぞ」

 ヨイチは帳面を見ながら言う。

「餡子が少ないので、今回は五組、十個ほどです」

「少なっ」

「原価無視と言いながら、餡子が足りません」

「しゃあない。まずは試しや」

 ついでに、いつも湯あみの時に置いている蜂蜜饅頭も持っていくことになった。

「蜂蜜饅頭は一つ二十文、二つで三十文」

「はい」

「福福焼きは一つ五十文、二つで九十文」

「はい」

「そして二人で分けたら、四十五文」

「始終ご縁がありますように、ですね」

 ヨイチが先に言った。

 博之は口を尖らせる。

「先に言うなや」

「それを言いたいのが見えています」

 お花も苦笑した。

「旦那様がうきうきしすぎています」

「そら、うきうきするやろ。婚活の場で、男女の会話のきっかけになるんやぞ」

「旦那様がその場にいることで、きっかけが壊れなければよろしいのですが」

「ひどい」

 そうして、寺社で開かれた縁結びの飯会へ、ふくふく焼きと蜂蜜饅頭が運ばれた。

 麦茶は今日は無料。

 店の端に小さな台を置き、甘味を並べる。

 蜂蜜饅頭は見慣れたものだが、ふくふく焼きは初めて見る者が多い。

 小さな丸い焼き菓子に焼印が押され、紙に包まれている。

 女衆たちはすぐに興味を示した。

「これ、かわいいですね」

「小さいから食べやすそう」

「焼印が入ってる」

「二つで九十文?」

 博之は、もう我慢できなかった。

 男女が少しぎこちなく話しているところへ、麦茶を持って近づく。

「今日は麦茶、ただでございます。よかったら饅頭でも食べていきませんか」

 男は少し戸惑いながらも、隣の女を見た。

「あ、では……蜂蜜饅頭を二つ」

「はい。ご縁がありますように」

 博之は満面の笑みで、蜂蜜饅頭を二つ渡した。

 女は、ほんの少しだけ嫌な顔をした。

 あまりに直球だった。

 お花が遠くから見て、額に手を当てる。

「始まりましたね」

 ヨイチは静かに言った。

「想定通りです」

 次に博之は、身なりのしっかりした若旦那風の男と、落ち着いた女が話しているところへ近づいた。

「実はこれ、新しくうちで作った商品でして」

 博之はふくふく焼きを手に取る。

「一つ五十文、二つで九十文。二人で分けたら四十五文。始終ご縁がありますように、

 ということで売ろうとしておりまして」

 女が、すぐに言った。

「旦那さん、種明かしを先にするの、やめてもらえますか」

「え」

「そういうのは、買った後に言われた方が楽しいです」

「そうなん?」

「そうです」

 博之は少ししょげた。

 しかし若旦那は、くすりと笑った。

「いや、面白いですね。では、そのふくふく焼きを二ついただきましょう。今日の記念ですし、

 私もこの方と、もう少しお話ししたいので」

 女の頬が少し赤くなる。

 博之は嬉しくなって、包みを二つ差し出した。

「はい。始終ご縁がありますように」

 その瞬間、女がぴしゃりと言った。

「旦那さん、あっち行ってください」

「ええっ」

「それを言いたいがために、この商品を作ったんでしょう」

「いや、まあ、それもあるけど」

「嫌なおじさんですね」

 博之は胸を押さえた。

「大旦那にその口の利き方は」

 女衆の一人が横から笑いながら言った。

「いえ、この旦那様は、うちの中ではだらだらして、しょうもないことばかり言う方なので」

「おい」

 若旦那が笑った。

「なるほど。そういう方が、この伊勢松坂屋を広げておられるのですか」

「広げてるというか、転がってます」

「お花さんまで」

 場が妙に盛り上がった。

 若旦那と女は、ふくふく焼きを一つずつ手に取り、少し照れながら食べた。

「甘いですね」

「食べやすいです」

「大きすぎないのが良いです」

「これなら歩きながらでも食べられますね」

 博之は、その感想を聞いて満足した。

 だが、すぐに女からまた言われる。

「旦那さん、もう大丈夫です」

「俺、まだ感想聞きたい」

「後でお花さんに言います」

「俺には?」

「言いません」

 博之は本当にしょげて戻った。

 お花が苦笑しながら迎える。

「でも、話は盛り上がっていましたね」

「俺が邪魔者扱いされた」

「むしろ、そのおかげで盛り上がったのでは」

「それ、俺の役割がひどくない?」

「良い賑やかしでございました」

「賑やかし……」

 博之が落ち込んでいる間にも、ふくふく焼きは静かに売れていた。

 女衆同士で二つ買う者。

 親子で分ける者。

 男が勇気を出して買いに来る者。

 ひとつだけ試しに買う者。

 博之が別のところで「始終ご縁がありますように」を言う機会を狙っているうちに、

 台の上のふくふく焼きはどんどん減っていった。

 やがて、ヨイチが静かに告げた。

「旦那様。ふくふく焼き、完売です」

「え」

「十個、全部売れました」

「俺、まだ全然言えてへんやん」

「言わなくても売れました」

「俺の決め台詞が」

「必要ありませんでした」

「ひどい」

 お花が笑いをこらえながら言った。

「旦那様、商品としては成功です」

「でも俺の口上が」

「口上は売り子に任せた方が良さそうです」

「そんな」

 その様子を見ていた和尚が、とうとう声を出して笑った。

「いやはや、旦那様。福は売れましたな」

「和尚さんまで」

「しかも、旦那様が邪魔をしても売れました」

「そこ強調せんでええです」

 和尚は楽しそうに続けた。

「一つ五十文、二つで九十文。始終ご縁がありますように。これは、縁結びの場にはよろしい。

 甘味としても、話の種としてもよろしい」

「でしょう」

「ただし、旦那様は少し離れて見ておられる方がよろしい」

「皆それ言う」

 ヨイチは帳面に書き込む。

「ふくふく焼き試験販売。五組十個、完売。蜂蜜饅頭も好調。口上は女衆が行う方が自然。 

 旦那様は後方待機」

「最後のいらんやろ」

「重要です」

 博之は悔しそうにふくふく焼きが入っていた空の籠を見た。

 餡子は少なかった。

 数も少なかった。

 原価は高かった。

 それでも、売れた。

 しかも、男女の会話は確かに生まれていた。

 女衆同士の話題にもなっていた。

 親子も笑っていた。

 商品としての手応えはあった。

「……次はもうちょっと作るか」

 博之が呟くと、ヨイチがすぐに言う。

「原価計算してからです」

「分かってる」

「餡子の道も整えてからです」

「分かってるって」

 お花が微笑んだ。

「でも、良い商品になりそうですね」

「やろ」

「旦那様が前に出すぎなければ」

「最後に刺すな」

 寺社の庭には、まだ麦茶を飲みながら話す男女の姿があった。

 ふくふく焼きの包み紙を手に、少し笑いながら話している者もいる。

 博之はそれを見て、少しだけ満足した。

 自分の口上は、あまり言えなかった。

 邪魔者扱いもされた。

 それでも、福はちゃんと分けられた。

 伊勢松坂屋の新しい甘味は、静かに最初の一歩を踏み出していた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ