ふくふく焼きの問題は餡子。小豆と砂糖の供給。伊賀上野に比べ価値が低かった名張の価値が見いだせる。餡子の道
「ヨイチ」
博之は、焼きかけの小さな丸い皮を眺めながら言った。
「この福福焼きやけどな。問題は餡子や」
ヨイチは帳面を開いたまま、すぐに顔を上げた。
「はい。問題は餡子です」
「餡子の大豆と砂糖は、どこで手に入る?」
「旦那様、大豆ではなく小豆です」
「細かいな」
「餡子にするなら大事です」
「で、どこや」
ヨイチは筆先を止めて、少し考えた。
「小豆は探せば各地で手に入ると思います。ただ、量と質を揃えるなら、やはり大きな道が必要です。
砂糖はもっと難しい。京都か堺でしょうね」
「京都と堺か」
「はい。砂糖は高いです。南蛮物や唐物の流れもありますし、商人の手を通ります。
普通の飯の材料とは違います」
博之は、畳の上にごろりと寝転がった。
「そうなると、名張やな」
「名張ですか」
「うん。伊賀は信楽焼きやろ」
「はい」
「伊賀上野の方は、信楽焼きの道になった。あそこは意味がある。横丁が多少赤字でも、信楽焼きの利益で掃除できる」
「相殺、ですね」
「そう、それ。掃除ちゃう。相殺や」
「旦那様、急に帳簿の言葉が雑になりますね」
「うるさい」
博之は天井を見たまま続けた。
「伊賀の方は、信楽焼きがある。皿、湯呑み、小壺、味噌壺。うちの店でも使えるし、
従業員にも売れるし、九鬼様が北伊勢に流す道もできた。だから、あそこに小さな横丁を
作る意味はある」
「はい。中継地点としても、買い付け拠点としても意味があります」
「でも、名張はちょっと弱かったんよ」
ヨイチは黙って聞いていた。
「名張は、正直言うと施し感覚やった。伊賀上野をやったから、その先の名張も見捨てるのは
目覚めが悪い。情報収集はある。大和方面の話も拾える。けど、信楽焼きみたいな強い
商材がなかった」
「確かに、名張は今のところ、情報と人の道が中心です」
「やろ」
博之は起き上がった。
「でも、これを砂糖と小豆の道にしたら、意味が出る」
ヨイチの目が少し細くなった。
「名張から大和へ出る道ですね」
「そうや。名張の横丁を整えて、道を作ってやる。そこから大和の八木あたりに出る。
八木まで出られれば、堺と京都に向かう話が見えてくる」
「大和、八木、そこから京都・堺の商人筋」
「そう。葛、素麺、寺社の噂話だけやと細い。でも、小豆と砂糖を探す道になるなら、
名張に銭を入れる意味が出る」
ヨイチは帳面に線を引いた。
「伊賀は信楽焼きの道。名張は小豆と砂糖の道」
「そういうことや」
「旦那様にしては、筋が通っています」
「おい」
「褒めています」
「ほんまか」
「はい。珍しく」
「珍しく言うな」
お花も横から口を挟んだ。
「でも、それはよろしいかもしれませんね。名張の者たちにも、自分たちが何のために
動くのかが分かります」
「そうやろ」
「施しだけでは続きません。けれど、“甘味の道を作る”となれば、子どもたちにも説明しやすいです」
「小豆を運ぶ。砂糖の値を聞く。京都や堺の話を拾う。そういうことができたら、名張の横丁にも
役割ができる」
ヨイチが頷いた。
「ただし、原価は高くなります」
「分かってる」
「砂糖は特に高いです。小豆も、安定して手に入れるには手間がかかるでしょう。
さらに餡子を炊く者が必要です。甘さの加減も難しい」
「そこは餡子の大きさで調整や」
博之は、試作品の丸い皮を手に取った。
「中に挟む餡を大きくすれば高級になる。小さくすれば原価を抑えられる。最初は小さめや。
皮でふわっと見せて、中に甘い餡を少し入れる」
「餡が少なすぎると、客は不満になります」
「そこは試作やな。女衆に食わせて聞く」
「それがよろしいです」
「松阪の原価、京都の原価、堺の原価。全部見ながら調整する。砂糖が高すぎるなら
蜂蜜や水飴も混ぜる。小豆の量も見る」
ヨイチはさらに書き込む。
「名張横丁の役割変更。大和・八木方面への情報収集。小豆、砂糖、蜂蜜、水飴、葛、
素麺の相場調査。京都・堺商人筋の確認」
「また帳簿が増えたな」
「旦那様が増やしました」
博之は少し笑った。
「でも、さっきの誘い口上は使えるやろ」
「福福焼きの口上ですか」
「そう。一個五十文、二個九十文で、二人で分けたら四十五文。始終ご縁がありますように。
これは松坂や婚活飯会で使える」
「はい」
「でも、先々、伊勢の内宮さんを目指すなら、もう一段上げたい」
「値段を、ですか」
「うん。内宮さんの近くなら、一個八十文。二個百五十文」
ヨイチの筆が止まった。
「高いですね」
「高い。でも、内宮さんやぞ。茶一杯でも高い。旅の記念、縁起物、焼印入り、
伊勢松坂屋の包み紙。二個百五十文で、二人で分けたら七十五文」
「七十五文」
「そこは前のご縁や。五文のご縁が入る。始終ご縁は松阪版。内宮版は、二つで百五十文、
七十五文ずつでご縁をいただく。ちょっと格上げや」
お花は感心したように頷いた。
「松阪では手に取りやすく、伊勢では旅の記念として高くする」
「そうや。松阪で試して、伊勢城下へ持って行って、最後に内宮を目指す」
「筋は通ります」
ヨイチは冷静に言った。
「ただし、内宮へ出すなら、甘味屋や茶屋との調整が必要です。魚のすり身より揉めます」
「分かってる。だから今すぐやらん。まず松阪や」
「その慎重さは評価します」
「怒られるの嫌やからな」
「動機はともかく、正しいです」
博之は、焼き皮を二枚重ねてみた。
「これ、やっぱりいけると思うねん。小さいから女衆が食いやすい。紙で包める。焼印を押せる。
二つ買う理由がある。婚活の会で、男が女の子に話しかける口実にもなる」
「最後のところで旦那様がにやにやしなければ、なお良いです」
お花が静かに言った。
「まだ言う?」
「言います」
「俺が焼きながら見守ったらあかんのか」
「見守り方によります」
「難しいな」
ヨイチは帳面を閉じかけて、ふと呟いた。
「しかし、餡の道、ですか」
「案だけに?」
博之が即座に言った。
座敷が一瞬、静まり返った。
ヨイチは無表情で言った。
「旦那様」
「はい」
「それを言いたかっただけではありませんよね」
「違う違う」
「本当に?」
「本当に」
お花がくすりと笑った。
「でも、餡の道を作るというのは、悪くありません。名張の者たちにも希望が出ます」
「やろ」
博之は少し真面目な顔になった。
「伊賀は皿を運ぶ。名張は甘味の道を探る。子どもらは皿を数える。女衆は福福焼きを試す。
こうやって役割ができたら、施しやなくなる」
「仕事になります」
「そうや。仕事になる。飯の種になる」
ヨイチは静かに頷いた。
「旦那様にしては、なかなかの案でございます」
「案だけに?」
「二回目は不要です」
「厳しい」
「帳面には、“餡子仕入れ調査”として書いておきます」
「そこは案って書かんのか」
「書きません」
博之は笑いながら、試作品をもう一つ割った。
まだ餡子はない。
蜂蜜を挟んだだけの、頼りない焼き菓子だ。
けれど、その向こうには道が見えた。
名張から大和へ。
大和から八木へ。
八木から京都と堺へ。
砂糖と小豆の道。
そして、松阪の婚活飯会から、伊勢城下、いつか内宮へ。
小さなふくふく焼きが、また一つ、新しい道を作り始めていた。




