伊勢松坂屋が鳥羽に来る。銭をたくさん撒いている。内宮で店やってる。が、なんぼのもんじゃいと息巻く海の町の男たち。意味を解く九鬼水軍
鳥羽の港町では、伊勢松坂屋が飯会を開くという話が広がっていた。
九鬼水軍の顔がある。
伊勢松坂屋という名も、すでに聞こえている。
内宮の端で店を出しているらしい。
松阪や伊勢で、魚のすり身だの鮪鍋だのを売っているらしい。
だが、鳥羽の漁師たちの中には、それを苦々しく思う者もいた。
「よそ者が来て、魚の食い方を教えるってか」
「うちはうちで、鯛がうまい。鯖がうまい。塩振って焼いたら、それで十分やろ」
「そもそも、あいつらがありがたがってるんは、鯵とか鰯のすり身やろ」
「下魚やんけ」
「鮪なんかも、こっちじゃ扱いに困ることあるやろ。あんなもんをありがたがって売るって、
よう分からん」
漁師の一人は、腕を組んで港の方を見た。
そこでは、伊勢松坂屋の者たちが大鍋を出し、油を用意し、魚をすり、味をつけ、
手際よく飯会の支度をしていた。
「まあ、練るって発想はなかったけどな」
別の漁師がぼそりと言う。
「種明かししたら、そんなもんやろ。魚を叩いて、練って、丸めて、揚げる。
それで百文だ何だ言うんやから、うまい商売や」
「お伊勢さんで売れてるって言うてもなあ」
「旅人は浮かれてるからな」
「俺ら海のもんは、そんな簡単にだまされへんぞ」
そんなことを言いながらも、飯会が始まると、港の者たちは少しずつ集まってきた。
ただで食える。
その言葉は強い。
地元の者たちは、いぶかしげに列を作った。
漁師たちは、少し離れたところで腕を組んで見ていたが、九鬼水軍の若い衆が笑って声をかける。
「食ってみろや。ただやぞ」
「下魚やろ」
「下魚でも、うまかったらええやん」
「鯛や鯖の塩焼きに勝てるんか」
「勝つ勝たんやない。食ってから言え」
そう言われて、一人の漁師がしぶしぶ皿を受け取った。
揚げたてのすり身。
軽く塩を振ったもの。
少し甘辛いタレを絡めたもの。
それから、鮪を出汁で煮た鍋。
漁師は、まずすり身を一口食った。
熱い。
外が少し香ばしい。
中はふわりとしていて、魚の匂いが丸くなっている。
塩だけではない。何か味が整えられている。
「……うまいな」
思わず口から出た。
隣の漁師が、急いで自分の分も食う。
「ほんまや。うまい」
「魚の臭さがないな」
「下魚って感じがせん」
「こっちの甘辛いやつ、飯に合う」
鮪鍋を食った者は、少し目を丸くした。
「これ、肉みたいやな」
「鮪やろ」
「鮪やけど、なんか、食いでがある」
「出汁がええんか」
「柔らかいけど、崩れすぎへん」
うまい。
それは認めざるを得なかった。
だが、漁師たちの顔にはまだ、どこか意地が残っていた。
「うまいけども」
「うまいけど、それがなんぼのもんじゃいって話や」
「料理がうまいのは分かった。けど、うちは鯛も鯖もある」
「こんなもんで、鳥羽の魚を分かった気になられてもな」
そこへ、九鬼水軍の年かさの男が近づいてきた。
「お前ら、まだ意味が分かってへんな」
漁師の一人が眉をひそめる。
「意味?」
「うまいかどうかだけの話やない」
「何の話や」
「今まで、お前らが下魚やと言うていたものに、値がつくという話や」
漁師たちは黙った。
九鬼の男は続けた。
「鯛や鯖が悪いわけやない。あれはあれで値がつく。塩を振って焼いて売ればうまいし、
干しても売れる。けど、それにはもう元値がある」
「それはそうや」
「だが、鯵や鰯、扱いに困る魚、鮪のように場所によっては嫌がられる魚。そういうものを、
すり身にして、味をつけて、油で揚げる。すると、今まで安かったものに別の値がつく」
漁師の一人が、手元のすり身を見た。
「……捨ててたものが、銭になるってことか」
「そうや」
九鬼の男は頷いた。
「しかも、これはただのすり身ではない。伊勢の内宮で売れているものと、同じ筋の飯や」
「同じ?」
「そうや。お伊勢参りの客が、百文近い銭を出して食っているものと、同じ作りのものや」
漁師たちの顔つきが変わった。
さっきまで「下魚を練っただけ」と言っていたものが、急に違うものに見え始めた。
お伊勢さんで売れている。
内宮の端で、旅人がありがたがって買っている。
それと同じものが、鳥羽の港で食える。
その意味は、ただ「うまい」よりも大きかった。
「内宮で食えるものが、ここで食えるんか」
「そうや」
「しかも、こっちでは割安で?」
「伊勢の値段は高い。場所代も、ありがたみも、人の波もある。ここで同じ値段を
取るわけにはいかん。だが、半額に近い値でも、十分に値がつく」
別の漁師が、ぼそりと言った。
「それ、ありがたいな」
「やっと分かったか」
「いや、内宮で食えるもんと同じやと言われたら、そら話が変わる」
「鳥羽の魚で、それが作れるなら……」
「俺らが間違って獲った魚でも、銭になるかもしれん」
漁師たちは、再びすり身を食った。
今度は、ただ味を見るだけではなかった。
これは何の魚か。
どれくらい練っているのか。
油はどのくらい使うのか。
味はどうつけているのか。
揚げるのにどれくらい手間がかかるのか。
見る目が変わる。
「油がいるな」
「いる。しかも、油が悪いと臭くなる」
「火加減も難しそうや」
「焦がしたら台無しやな」
「練り方も、ただ叩けばええってもんちゃうんやろ」
「そうやろな。柔らかすぎても崩れるし、硬すぎてもまずい」
さっきまで鼻で笑っていた漁師たちが、今度は真剣に話し始めた。
それを見て、伊勢松坂屋の売り子たちが少し笑った。
博之は少し離れたところで、その様子を見ていた。
「最初はだいぶ警戒されてましたね」
お花が言う。
「そらそうやろ。鳥羽の漁師からしたら、よそ者が来て魚料理します言うてるんや。
腹立つに決まってる」
「でも、食べたら変わりますね」
「食べたらな。飯はそこが強い」
ヨイチが帳面を抱えて近づいてくる。
「ただし、原価と油代は強いです」
「今それ言う?」
「今言わないと、旦那様は“これは売れる”だけで走ります」
「もう走りそうやった」
「危険です」
博之は苦笑した。
漁師たちの方では、まだ話が続いている。
「これ、鳥羽で売るならいくらや」
「伊勢よりは安いやろ」
「でも、ただの魚団子の値段ではあかんぞ。内宮で売れてるもんと同じ筋や」
「鳥羽の魚で作った、伊勢松坂屋のすり身天か」
「名前がつくと強いな」
「鮪鍋もええ。あれは船乗りに食わせたら喜ぶ」
「冬なら絶対売れる」
「いや、夏でも汗かいた後に食えるぞ」
九鬼の男が笑った。
「お前ら、さっきまで下魚や言うてたくせに」
漁師の一人が、少し照れたように言った。
「うまかったら考えは変わる」
「銭になると分かったら、もっと変わるやろ」
「それはそうや」
別の漁師が、すり身をもう一つ取った。
「ただ、悔しいな」
「何が」
「俺ら、魚を知ってるつもりやった。でも、食い方は知らんかった」
その言葉に、少し沈黙が落ちた。
九鬼の男は、静かに頷いた。
「魚を獲る者と、飯にして売る者は違う。だが、つながれば強い」
漁師たちは港の方を見た。
鳥羽の海。
船。
網。
鯛、鯖、鯵、鰯、鮪。
今まで当たり前だったものが、少し違って見えた。
伊勢松坂屋が来ることに、まだ反発はある。
よそ者に好き勝手されるのは嫌だ。
鳥羽には鳥羽の誇りがある。
けれど、下魚に値がつく。
内宮で売れているものと同じ味が、鳥羽でも出せる。
港の魚が、港の者の銭になる。
それなら、話は少し違う。
漁師の一人が、博之の方へ歩いてきた。
「旦那」
「はい」
「うまかった」
「ありがとうございます」
「けど、まだ信用したわけちゃうぞ」
「それで十分です」
「ただ、魚を買う時は、ちゃんと俺らに話を通せ。安く叩こうとしたら怒る」
「もちろんです。安く叩くために来たわけではありません。今まで値がつきにくかった魚に、
別の値をつけたいんです」
漁師は、少しだけ頷いた。
「ほな、次も食わせろ」
「次も飯会をします」
「鮪鍋、多めでな」
「分かりました」
漁師は戻りながら、仲間に言った。
「まあ、もう一回ぐらいは食ってやってもええ」
仲間が笑う。
「二回目もただか?」
「知らん」
「銭取られるぞ」
「それでも、少しなら出す」
その言葉を聞いて、博之は小さく笑った。
鳥羽の港町は、簡単ではない。
漁師の誇りもある。
魚へのこだわりもある。
よそ者への警戒もある。
だが、飯は入った。
すり身天と鮪鍋は、鳥羽の港に小さな穴を開けた。
ヨイチが横で静かに言う。
「旦那様、最初の壁は越えましたね」
「まだや。壁に小さい穴開けただけや」
「では、その穴を帳簿に記録します」
「記録せんでええ」
「します」
博之は、揚げ場の油の音を聞きながら、鳥羽の海を見た。
ここは南の締めになる。
それが、少しだけ見えた気がした。




