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長野家の家臣を連れて伊勢に行く前に松坂城主と九鬼水軍に話をつけて向かう。

翌朝、伊勢へ向かう前に、まず松阪の城主へ顔を出すことになった。

 昼飯を出しに行くわけではない。

 さすがに、長野家の若い衆を引き連れて、いきなり膳を並べるのは話がややこしくなる。

 なので博之は、朱印付きの紙に包んだすり身天をいくつか持たせた。

「飯は持っていかんのか」

 ヨイチが確認する。

「今日は説明や。昼飯まで出したら、何しに行ってるか分からん」

「いつも分からないですけどね」

「うるさい」

 長野家の若い衆は、昨夜の勢いが嘘のように静かだった。

 ここは松阪。

 北畠の勢力の中枢に近い場所である。

 昨日は伊勢松坂屋の座敷で飯を食いながら文句を言っていたが、今日は空気が違う。

 彼らの顔には、さすがに緊張が浮かんでいた。

 北畠家の家臣たちも同行している。

 いつもの長野側の調整役は、朝からずっと青い顔をしていた。

 屋敷に着くと、松阪の城主は、すでに話を聞いていたらしい。

 博之たちが頭を下げるより早く、城主は笑い出した。

「昨日の話は聞いておるぞ。朝になっても笑いが止まらんかったわ」

 博之は苦笑するしかなかった。

「お騒がせして申し訳ございません」

「いや、面白すぎる。長野の若い衆が十人で乗り込んできて、伊勢松坂屋にもっと買え、

 早く出せと怒鳴った。で、飯を出されたら食うた。さらに半月の売上を聞いて、

 嘘やと言うた。こんなん、笑うなという方が無理や」

 長野家の若い衆は、完全に萎縮していた。

 昨日までの勢いはどこにもない。

 上の方は、その様子を見てさらに笑う。

「どうした。昨日まで怒鳴っておった勢いはどこへ行った。わしは別に構わんぞ。

 ここでも言うてみい。飯屋風情が、と」

 誰も口を開かなかった。

 北畠の家臣が、横で小さく笑った。

「さすがに、ここでは言えぬようです」

「そらそうやろうな」

 上の方は機嫌よく頷き、それから博之を見た。

「やはりあれやな。伊勢松坂屋を松阪で抱え込めているのは、わしの運がええのと、

 わしが寛容やからやな」

「いつもお力添えをいただいております」

「微妙な顔で言うな」

「いえ、心から」

「嘘をつけ」

 座敷に笑いが起きた。

 そのあと、北畠家の家臣がことの顛末を改めて説明した。

 長野家から、津への出店を急げという圧が来ていたこと。

 津の品をもっと買え、定期便を増やせと言われたこと。

 長野家の若い衆が、殿を焚きつけるような形で押しかけてきたこと。

 伊勢松坂屋側は、津の港をやる意向はあるが、人も道具も足りず、順を追う必要があると

 説明したこと。

 それにもかかわらず、若い衆が上から物を言い、半月の売上を聞いて嘘だと騒いだこと。

 博之は、ところどころで補足を入れた。

「津を軽く見ているつもりはありません。港の魚は使いたいですし、漁民も雇いたい。郊外の寺で

 飯会もしたい。ただ、今の状態で無理に人を出すと、うちの者が危ないんです」

 ヨイチも続けた。

「松阪が半月で九十五万文ほど、伊勢が半月で百二十万四千文ほどの売上です。津はまだ立ち上げ

 段階で、この数字には入っておりません」

 長野家の若い衆は、そこでまたわずかに顔をしかめた。

 しかし、昨日のように「嘘だ」とは言わなかった。

 上の方は、その顔を見てにやりとした。

「まだ信じられん顔をしておるな」

 博之はため息をついた。

「なので、今日はこのあと九鬼水軍様のところへ参ります。定期便を少し調整していただき、

 長野家の方々にも一緒に伊勢まで行ってもらいます」

「ほう」

「松阪の店、港、九鬼様の船、伊勢の町、内宮の端の店を見てもらいます。さらに一万文ほど渡して、

 実際に買い食いしてもらいます」

 上の方は、こらえきれずに笑った。

「怒鳴りに来た相手に小遣いまで渡して伊勢見物か。お前、ほんまに何をしとるんや」

「私もよく分かりません」

「分かってない顔で言うな」

 博之は真面目な顔に戻った。

「ただ、内宮で店を出す意味が分からない方々と、津の話を進めるのは危ないです。

 伊勢松坂屋の飯が料理人一人でできると思われているなら、うちは津に人を出せません」

 上の方は頷いた。

「それは筋やな」

「伊勢まで見て、戻ってきてもなお、上から物を言うようであれば、津との取引は

 しばらく保留にします」

 その言葉に、長野家の調整役が小さく息をのんだ。

 だが、城主は笑わなかった。

「それでよい。飯屋にも筋がある。まして、お前のところは半月で二百万文を超える

 売上を動かしておる。そこへ人を出せというなら、受け入れる側にも覚悟がいる」

 そして、長野家の若い衆へ目を向けた。

「お前ら、今日、よく見てこい。内宮で店を出すとはどういうことか。魚を買うとはどういうことか。

 船を動かすとはどういうことか。紙に印を押して売るとはどういうことか。飯屋をなめると、

 自分らの方が恥をかくぞ」

 若い衆は、誰も言い返せなかった。

 城主は、最後に博之へ言った。

「帰る前に、もう一度わしのところへ寄れ」

「はい」

「伊勢を見て、こやつらがどんな顔になったか聞きたい。少し喋らせろ。

 それぐらいの見物料はあってもええやろ」

 博之は苦笑した。

「寄進は……」

「いらん」

「よろしいのですか」

「話が面白すぎる。今回はそれで十分や」

 北畠の家臣たちが笑った。

 ヨイチが小声で言う。

「旦那様、珍しく寄進を止められましたね」

「逆に怖いわ」

「帳簿上は助かります」

「そこは助かるんかい」

 城主は、朱印紙に包まれたすり身天を一つ取った。

「これは持って帰って食う。話の肴にちょうどええ」

「ありがとうございます」

「ほな行け。九鬼にもよろしく言うておけ。で、伊勢を見せてこい」

 博之たちは頭を下げた。

 長野家の若い衆は、すっかり静かになっていた。

 昨日は飯屋に圧をかけに来た。

 今日は北畠の上の方に笑われ、これから九鬼水軍の船に乗り、伊勢の内宮を見に行く。

 彼らの中で、何かが少しずつずれていく。

 博之は屋敷を出ながら、ぽつりと言った。

「ほんま、人を伊勢に連れて行く話、多すぎるな」

 ヨイチが即座に答えた。

「伊勢松坂屋の見学行程です」

「言い方」

「洗脳よりは穏当です」

「もっと悪いわ」

 北畠の家臣たちは、それを聞いてまた笑った。

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