北畠の方がこの状況面白すぎるし騒ぎにもなったから城主に報告してもいいかと聞かれる。嫌そうにする博之
北畠の者は、長野家の若い衆が食い終えた膳を見て、それから博之の顔を見た。
「伊勢松坂屋さん」
「はい」
「ちょっと、この状況が面白すぎるので、お殿様に報告してもいいですか」
博之は、顔をしかめた。
「面白すぎる、で報告されるんですか」
「されますな」
北畠の男は、悪びれもせずに言った。
「というより、報告せんとまずい。ここは北畠の領地です。その中で、長野家の者が十人も押しかけて、
伊勢松坂屋に騒ぎを起こした。しかも、飯を食って、半月の売上を聞いて、嘘や何やと言うた。
これはもう、店の揉め事で済むかどうか、少し怪しい」
長野家の若い衆が、急に顔色を変えた。
「外交問題にする気か」
「する気か、ではない。お前らが、そう見えることをしたんや」
北畠の男は、淡々と言った。
「別に、今すぐ北畠が長野に攻め入って滅ぼすとか、そういう話ではない。そこまでの話やない。
けどな、少なくとも今回は騒ぎすぎや」
別の北畠の者も頷く。
「この前の地侍の件も騒ぎすぎやった。あれも耳に入った。今回はそれ以上や。
長野家の家臣が、北畠の領内で、伊勢松坂屋に圧をかけに来た。こんなん、絶対に噂になる」
長野家の若い一人が、少し狼狽しながら言った。
「わしらをどうする気や」
「どうする気も何も、まず飯を食い終わったら、上の方のところへ行ってもらおうかと思ってる」
「上の方?」
「松阪の城主や。北畠のな」
その言葉で、長野家の若い衆の顔が一斉に強張った。
「やる気か」
北畠の男は、そこで初めて少し笑った。
「やる気か、やないやろ。今の北畠と長野の力の差ぐらい、分かっとるやろ」
「脅す気か」
「脅す脅さんの話ではない。勝手にこっちに来て、騒いで、飯を食って、嘘つき呼ばわりしてる
だけやんけ」
言葉は穏やかではないが、筋は通っている。
北畠の男は続けた。
「こちらとしては、この話が松阪や伊勢で噂になる前に、先に城主へ話を通したいんや。
後から“長野の者が伊勢松坂屋に押しかけたらしい”と広がるより、先に“こういうことがあったが、
こう収めました”と持っていく方がましやろ」
お花が静かに頷いた。
「それは、よろしいかもしれませんね」
博之はお花を見た。
「お花さんも?」
「はい。これだけの騒ぎです。うちの者たちの間で噂になれば、必ず外へ出ます。
松阪、伊勢、津、港、寺社、買い付け方、どこかで話が広がります」
ヨイチも冷静に言う。
「先に城主へ報告し、笑い話として処理してもらう方が、後々のためです。そうでなければ、
津への出店は本当に難しくなります」
「笑い話になるんか、これ」
博之が言うと、北畠の男は即答した。
「なる。というか、せなあかん」
「せなあかん笑い話って何ですか」
「揉め事を、そのまま揉め事として置いておくと面倒や。お殿様に笑ってもらう。
長野の若い衆が飯屋に押しかけて、飯を食って、半月の売上を聞いて腰抜かした、
という話にしてしまう」
長野家の若い者が言い返そうとする。
「腰など抜かしておらん」
「顔が抜けとる」
「何を」
「やめとけ。お前ら、もう飯食い終わってるんやから、言えば言うほど悪い」
長野側の調整役は、もう完全に青ざめていた。
「松坂屋様、本当に申し訳ございません。北畠様にも、本当に……」
北畠の男は、調整役の方を見た。
「お前は一緒に来い。説明役や。お前がおらんと、こいつら何言い出すか分からん」
「承知しました……」
博之は、腕を組んで唸った。
「でも、これで長野様の方がますます怒るんちゃいますかね」
「それもある」
北畠の男は正直に言った。
「だから、もう一つ手を打つ」
「何ですか」
「伊勢や」
博之は、嫌な予感がした。
「また伊勢ですか」
「そうや。伊勢に連れて行け」
長野家の若い衆が、ぎょっとする。
「伊勢?」
北畠の男は言った。
「お前ら、伊勢松坂屋がどういう店か分かってない。内宮で店を出す意味も分かってない。
松阪と伊勢で半月二百万文を超える売上を動かす仕組みも分かってない。なら、見せるしかない」
博之は頭を抱えた。
「また人を伊勢に連れて行くんですか」
ヨイチが横で小さく言う。
「旦那様、前回の地侍たちにも効きました」
「効いたけども」
「今回も効く可能性はあります」
お花も言った。
「頭に血が上っている今、言葉で説いても難しいでしょう。今日はうちで泊まっていただいて、
明日、九鬼水軍様に定期便を少し調整していただき、伊勢へ行ってもらうのは良いかもしれません」
「うちで泊めるんか」
「泊めた方が安全です。外に出て騒がれる方が困ります」
「確かに」
北畠の男が楽しそうに言った。
「伊勢の食い歩き代ぐらい、出してやったらどうや」
博之はため息をついた。
「一万文ぐらいなら」
北畠の男が笑った。
「子どもの小遣いみたいに言うな」
「最近、感覚壊れてるんです」
ヨイチがすぐに言った。
「壊れています」
「そこは否定して」
「できません」
北畠の男は、長野家の若い衆を見た。
「ええか。今日はいったん泊まれ。明日、伊勢へ行け。松阪の店、街道の店、港、九鬼の船、
伊勢の町、内宮の端の店を見ろ。それを見て、まだ“飯屋風情が”とか“はよせい”とか言えるなら、
その時はもう話す価値がない」
長野家の一人が唇を噛んだ。
「わしらを、見世物にする気か」
「もう十分見世物になっとる」
北畠の者たちが、少し笑った。
だが、笑いの中にも厳しさがある。
北畠の男は続けた。
「お前らは、料理人を連れてくれば飯ができると思っとる。だが、伊勢松坂屋の飯は、
料理人だけではできん。港、船、魚、油、紙、印、売り場、帳面、人の動き。全部見てこい」
博之も、疲れた声で言った。
「伊勢から戻ってきて、それでも同じことを言えるなら、私は本当に津に出すのをやめます」
長野側の調整役が、はっと顔を上げた。
「松坂屋様」
「それぐらいの話です。うちの者を出す場所ですから。見ても分からない人たちが相手なら、
危なくて出せません」
お花が静かに補う。
「逆に、見て分かっていただけるなら、津の港の話はまだ続けられます」
北畠の男が頷いた。
「そういうことや。見てから頭を下げるか、見ても分からず騒ぐか。そこで分かれる」
若い家臣たちは、もう先ほどのような勢いを失っていた。
半月の売上。
北畠の者の来訪。
上司への報告。
伊勢への視察。
状況が、彼らの思っていた「飯屋に圧をかける」話から、あまりにも遠くへ行ってしまった。
北畠の男は、博之に向き直る。
「伊勢松坂屋殿。この件、お殿様にはこちらから先に話す。あくまで、長野家の若い衆が
少し頭を熱くして来たが、伊勢松坂屋が飯を出して収め、明日伊勢へ見せに行く、という筋でな」
「かなり丸めてますね」
「丸めるために行くんや」
「ありがたいです」
「ただし、面白すぎるから、多少は笑い話にする」
「そこは避けられませんか」
「無理や」
博之は諦めたように頷いた。
「分かりました」
ヨイチがすぐに言う。
「では、今夜の宿泊、明日の伊勢行き、九鬼水軍への連絡、食い歩き用一万文、すべて帳簿に載せます」
「今それ言う?」
「今言わないと逃げます」
「逃げへんて」
「逃げます」
北畠の者たちは、そのやり取りを見てまた笑った。
長野家の若い衆は、空になった膳を前に、複雑な顔で座っていた。
自分たちは、飯屋を脅しに来たはずだった。
だが今や、北畠の上へ報告され、伊勢へ連れて行かれ、内宮の店を見せられることになっている。
長野側の調整役は、深く息を吐いた。
「……本当に、申し訳ございません」
博之は、その人にだけ少し優しく言った。
「あなたは今日は風呂入って寝てください。顔色が悪すぎます」
「ありがとうございます」
北畠の男が笑う。
「ほら見ろ。飯屋の方が、長野家より人を見とるぞ」
若い衆は何も言えなかった。
その夜、長野家の者たちは伊勢松坂屋に泊まることになった。
そして翌日、彼らは伊勢へ向かう。
飯屋だと思っていたものが、ただの飯屋ではないことを、見せつけられるために。




