捨てたもの、選んだもの
翌朝。
エリオは目を覚ますと頭も体も気だるかった。
気分は最悪だ。
普段飲まないくせに、昨夜はレオンと分かれた後も深夜まで一人、飲み続けていたせいだろう。
宿舎の一室、窓から注がれる朝の光がそんなエリオに躊躇なく降り注ぐ。
まだ寝ていたい気持ちを残しつつ、いつもと同じ時間に起床する。
身支度を済ませ、最後に仮面に手をかけたとき――昨日のガイとの光景が頭をよぎった。
頬に手を当てる。
その時―――。
「おはようございます」
穏やかな声がしたと思ったら勢いよく、カイルが部屋へと入ってきた。
エリオは扉の方へ目を向ける。
「起きてましたか」
いつもの穏やかな声とは裏腹に、その目は鋭く自分を見ている。
「ああ、今さっき起きた」
エリオは短く返事をする。
カイルは静かに一歩近づく。
「そうですか、でも顔色がいつもと違いますね」
心配をしているそれではなく、確実に追い詰めている話し方だ。
更に距離が縮まる。
「問題ない」
「そうですか...なら質問を変えます」
初めてカイルの顔が怖いと感じた。
「昨夜はどちらへ?」
逃げ場の無い問い。
「酒場」
エリオは短く答える。
「一人で?」
「そうだ」
沈黙。
カイルの目が細まる。
「レオンと会いましたよね」
普段は”レオン隊長”と言っているカイルが、今はレオン呼びをしている事に驚いた。
だか―今はそれよりも、その事実を何故知っているかだ。
「途中でたまたま会って、軽く飲んだだけだ」
「その時何かされませんでしたか?――例えばどこが触れたれたとか」
触れたれた…
昨夜の指先にかかった熱を思い出した、レオンの熱い体温を今でも覚えている。
一瞬の間。
それを察したカイル。小さく息を吐く。
「触れられたんですね…どこですか?」
ゆっくりとエリオの両手をカイルの大きな手で包み込んだ
さっきまでの鋭い眼光とは違い優しくカイルらしい触り方だ。
「ここですか?あの人らしいやり方ですね」
包んだエリオの手を見ながら。
「男が相手の指先を触る時―独占欲の表れなんですよ」
さっきよりも力が入る。
「さっきあの男が俺の部屋まで来て、高らかに笑いながら昨夜の事自慢してきました」
「あなたの事を縛りたいわけじゃないんです。でも、いても立ってもいられなくて…すみません」
今度は泣きそうな子供のように、謝ってきた。
エリオはそんなカイルの顔を見つめる。
王子だろうが、新人兵だろうが
カイルは変わらずカイルだと思う。
――だけど自分の知らない一面のカイルの事を知りたいと思ってしまった自分がいた。
「何故、王族という立場を捨て近衛兵の地位にいるんだ?」
エリオの言葉が、静かに落ちる。
その瞬間——
カイルの動きが止まった。
今までの“余裕”が、わずかに崩れる。
包み込んでいた手に、力が入る。
そして——ゆっくりと、離す。
沈黙。
部屋の中に、朝の光だけが静かに差し込む。
カイルは視線を落としたまま、小さく息を吐いた。
「……聞きますか」
エリオは重たく答える。
エリオは答える。
「知る必要があると判断した」
淡々といつも通りの答え。
だが——
その奥に、わずかな興味が混ざっている。
カイルは、それを見逃さない。
ほんの少しだけ、口元が緩む。
「相変わらずですね、でも興味を持ってくれた事がとても嬉しいです」
小さく言ってから、顔を上げる。
そして、まっすぐエリオを見る。
「簡単に言えば——」
一拍。
「息が詰まったんです」
エリオの思考が動く。
(環境要因)
カイルは続ける。
「王族っていうのは、便利ですよ」
自嘲気味に笑う。
「生まれた瞬間から道が決まっている」
一歩、ゆっくりと距離を取る。
だが視線は逸らさない。
「何をすべきか、誰と関わるか、どこまで生きるか」
淡々と。
「全部、用意されている」
「……自由はありませんが」
エリオは黙って聞いている。
カイルの声は、どこか遠い。
過去をなぞるような響き。
「十番目ともなると」
少しだけ肩をすくめる。
「期待も薄い代わりに、価値も薄い」
軽く言うが、その言葉は重い。
「駒としては優秀です。自国の利益の為に他国の者と婚姻を結ぶ事なんでざらですしね」
エリオの眉が、わずかに動く。
カイルは続ける。
「だから、一度だけ」
視線が、ほんの少しだけ遠くを見る。
「全部捨ててみたくなったんです」
静かに。
決して大げさではなく。
ただ、事実として。
「自分が何者か、確かめたかったんです」
その言葉は、嘘がない。
エリオの思考が止まる。
(認めて貰いたい)
だが、それだけでは終わらないと理解する。
カイルは一歩、近づく。
今度はゆっくりと。
逃げ道を与えながら。
「……でも」
低く言う。
視線が、完全にエリオを捉える。
「今は違います」
ほんのわずかに空気が変わる。
「戻る気はありませんが、この立場を利用してあなたの隣に立てるなら――それでも良いと感じています。」
はっきりと。
迷いなく切り捨てる。
その理由は——
言わなくても分かる。
だが。
カイルはあえて、言葉にする。
「あなたに会ったからです」
静かに。
だが、逃げずに。
エリオの思考が止まる。
完全に。
(因果関係:自分)
処理が追いつかない。
カイルは続ける。
「最初は、憧れでした」
淡々と。
「ただの対象」
一歩、さらに近づく。
距離が、自然に縮まる。
「ですが、今は違う」
低く。
確実に。
「選んでいます」
その言葉に、重みが乗る。
「自分の意思で」
一拍。
「あなたの隣にいることを」
逃げ場はない。
だが、押し付けではない。
ただ、真っ直ぐに置かれる。
エリオは動かない。
だが——
視線を逸らさない。
カイルはそれを見て、小さく息を吐く。
「……だから」
少しだけ、表情が柔らかくなる。
「当て馬にはなりません」
はっきりと。
宣言。
「誰かの引き立て役で終わるつもりはない」
静かだが、強い。
「ガイでも」
一拍。
「レオンでも」
そして——
「俺は退きません」
空気が張り詰める。
完全に。
エリオの思考が揺れる。
理解する。
だが、整理できない。
カイルは、ほんのわずかに距離を取る。
これ以上は踏み込まない。
だが。
視線だけは、最後まで外さない。
「答えは、急がなくていいです」
静かに言う。
「ですが」
一拍。
「俺を外すことは、もう許しません」
それだけを残して——
カイルは背を向ける。
扉へ向かう。
だが、手をかけたところで止まる。
「あと、またお酒が飲みたくなったらいつでも言って下さい。何よりも優先して予定空けますんで」
それだけ言って部屋を後にする。
エリオは一人、立ったまま。
だが——
今度は違う。
重い。
確実に。
逃げられない形で、積み重なっている。
エリオはゆっくりと息を吐く。
朝の光が、やけに眩しかった。




