境界線の向こう側
数日後。
王からの勅命によりエリオは隣国へと渡っていた。
国境を越えた瞬間、空気が変わった。
人の気配が濃い。
視線が多い。
ざわめきが、近い。
「……」
エリオ・ベネガスは歩みを止めない。
だが理解する。
——間合いに遠慮がない。
「おい!あんちゃんなんだい、その仮面は」
「騎士様ー。うちの店に寄ってかないかい」
すれ違う者たちは、躊躇なく懐へ踏み込んでくる。
(……踏み込まれるのは不快だ)
わずかに眉が寄る。
自分の間合いを侵される感覚。
制御できない距離。
本来なら排除する。
だが——
(任務に支障はない)
感情を切り捨てる。
街道の先に、小さな建物が見えた。
木と石で組まれた簡素な造り。
国境沿いに設けられた、検問所だった。
その瞬間——
「——伏せろ!」
鋭い声。
反射的に身を引く。
矢が空気を裂いた。
(奇襲か)
視線を巡らせる。
賊、五。
検問所を狙った襲撃。
配置は甘い。
問題ない。
エリオは剣を抜く。
一歩、踏み込む。
最短で仕留める——
「どけ」
低い声と同時に、横から影が割り込んだ。
重い一撃。
賊の身体が吹き飛ぶ。
「……邪魔だ」
エリオは即座に言う。
「遅い」
短い返答。
黒髪、短髪。
無駄のない体躯。
そこには一人の男が立っていた。
(……連携が取れていない)
エリオは合理的に判断する。
ならば——合わせる。
エリオは動きを変えた。
男の死角を埋める位置へ。
一人、二人と確実に落とす。
視線が交差する。
言葉はない。
だが——成立している。
(使える)
残り一人。
エリオが踏み込む。
だが——
再び男が割り込んだ。
敵を叩き落とす。
沈黙。
「……二度目だ」
エリオが言う。
「何がだ」
「進路妨害だ」
「仕留めた」
「非効率だ」
空気が張り詰める。
その直後、検問所から兵が駆け出してくる。
「動くな!」
弓が向けられる。
包囲。
(対応が早いな)
ここは国境沿いの検問所。
兵の詰所も兼ねている。
だからこそ、この反応速度。
黒髪の男が、エリオを見る。
「その仮面……不審だな」
「任務中だ」
「証明は」
「今はない」
「ならしかたない」
即断。
腕を取られる。
強引に引き寄せられる。
——近い。
一瞬、眉が寄る。
(……踏み込まれるのは不快だ)
呼吸の間合いに他人が入る感覚。
本来なら振り払う。
だが——
(ここで揉めるのは非効率だ)
エリオは動かない。
その代わり、男の腕に触れる。
「……何をしている」
「力の入れ方が不自然だ」
淡々と告げる。
「その拘束では関節を痛める」
「……は?」
「問題ないか」
戦闘時の癖だった。
相手の動き、歪み。
見れば分かる。
だから修正する。
それだけだ。
「……お前」
男が低く言う。
「誰にでもそうするのか」
「必要なら」
即答。
「……さっき、嫌がってただろ」
「踏み込まれるのは不快だ」
エリオは淡々と返す。
「だが、踏み込む分には支障はない」
「……は?」
理解されないのは当然だ。
「任務上、必要だからだ」
それ以上、考える必要はない。
「連行する」
連れてこられたのは、検問所の奥にある一室だった。
石壁に囲まれた簡素な部屋。
拘束者を一時的に置くための空間。
(簡易な詰所か)
長く滞在する場所ではない。
「ここで待て」
「拒否する」
「却下だ」
扉が閉まる。
(逃走は可能)
構造を確認する。
だが——
(騒ぐ方が非効率だ)
エリオはそのまま動かない。
しばらくして、扉が開く。
黒髪の男が戻ってくる。
「……お前、騎士団長らしいな」
「ベネガス騎士団長だ」
「……」
一瞬、視線が変わる。
だが。
「だからどうした」
(やはり通じないか)
納得する。
「この検問所は兵で埋まっている。空き部屋がない」
男が言う。
「だから監視も兼ねて、この部屋で見張る」
「……監視はお前一人でやるのか」
「俺がいる」
「……効率は悪くない」
エリオは頷く。
「は?」
意味が分からない、という顔。
エリオは外套を外す。
そのまま腰を下ろす。
「何をしている」
「休息だ」
「……ここでか?」
「問題ない」
同室は任務の延長に過ぎない。
だが——
気配が近い。
常に同じ空間にいる感覚。
(……落ち着かないな)
わずかな違和感。
だが、それだけだ。
排除する理由にはならない。
「……妙なやつだな」
小さく呟く声。
エリオは答えない。
ただ目を閉じる。
休息を優先する。
そんなエリオをみつめ。
「……なんだ、あれは」
残された男が、低く呟く。
手首に残る感覚。
不用意な接触。
そして——
妙に近い距離。
「……」
視線が離れない。
理解できない。
だが。
確かに何かが、引っかかっていた。




