湯けむりの向こう
王都の宿舎に戻った頃には、身体の奥にじわりとした疲労が溜まっていた。
鎧を外し、剣を置き、ようやく息をつく。
「……風呂、行くぞ」
ガイが短く言う。
すでに上着を脱ぎ、肩にかけている。
エリオは視線だけを向ける。
「必要性は低い」
いつも通りの返答。
(支障なし、問題なし)
だが。
「いいから来い」
被せるように言う。
半ば強引に。
エリオは一瞬だけ考え、そして立ち上がる。
「……分かった」
石造りの大浴場は広く、天井に溜まる湯気が視界をやわらかくぼかしている。
水音と、低い話し声。
そして。
「……あれ絶対外さねえ気だろ」
ガイがぼそりと呟く。
その視線の先。
エリオは、仮面をつけたまま立っている。
場違いなほどに。
「ここまで来て外さないのも逆にすごいですね」
カイルが苦笑する。
周囲の兵も、ちらちらと視線を送っている。
半分、興味。
半分、面白がっている。
エリオは気にしない。
(問題ない)
湯に入ろうと、一歩踏み出す。
その時。
「……ちょっと待て」
ガイが腕を掴む。
エリオが止まる。
「なんだ」
「さすがに、それは外せよ!」
低い声。
いつもより、少しだけ強い。
エリオはガイを見る。
少しだけ、考える。
(……この状況)
周囲の視線。
水気。
仮面の意味。
そして——
(関係性の変化)
以前よりも、抵抗は薄い。
完全ではない。
だが。
「……分かった」
短く言う。
ガイとカイルの動きが、一瞬止まる。
エリオの手が、仮面にかかる、ゆっくりと外した。
湯けむりの中で、その輪郭がほどけるように現れる。
濡れた空気が、肌に触れる。
伏せられた長いまつ毛。
艶やかな赤く染まった唇。
頬には、薄く残った火傷の跡。
静かに。
異様なほどに。
この場面が――目に毒過ぎる。
沈黙。
ほんの数秒。
「…………」
ガイが固まる。
視線が動かない。
(……は?)
思考が止まる。
見慣れはじめたはずなのに。
違う。
光の加減や、湯気。距離。
すべてが違う。
「……え」
カイルが、わずかに声を漏らす。
すぐに口を押さえる。
(……いや、待て)
理解が追いつかない。
思っていたよりも、ずっと。
「……おい」
ガイが低く呼ぶ。
だが声に力がない。
視線が外せない。
エリオは、そのまま湯に入る。
何も気にせず。
何も変わらず。
肩まで浸かる。
水面が揺れる。
湯気がさらに濃くなる。
その中で。
「……お前、分かってんのかそれ」
ガイがぼそりと呟く。
「何がだ」
即答。
理解していない。
カイルが視線を逸らす。
だが、また戻してしまう。
(だめだ……見るな……)
思っているのに。
無意識に見てしまう。
顔。首元。水滴。
そしてまた慌てて逸らす。
「……すみません」
なぜか謝る。
エリオは首を傾ける。
「何がだ」
本気で分かっていない。
ガイが顔を手で覆う。
「……無理だろこれ」
小さく呟く。
耳がわずかに赤い。
カイルも同じように、少し距離を取る。
「少し……外の風、当たってきます」
そう言って、そそくさと湯から上がる。
明らかに様子がおかしい。
ガイも続く。
「……俺も」
逃げるように。
残されたエリオは、一人で湯に浸かる。
静かに。
(……?)
状況を整理する。
二人の反応。
異常。理由不明。
(問題はない)
そう結論づける。
だが。
ほんのわずかに。
(……視線が多い)
周囲の気配が、さっきよりも変わっていることには気づいていた。




