見えてる側
夕方。
陽が傾き、訓練場の影が長く伸びていく中で、地面に残った熱だけがじわりと空気を押し上げていた。
人の気配はまばらになり、武器を片付ける音や遠くの足音が断続的に響く中で、ガイは壁にもたれるように立ち、片足で地面を軽く蹴りながら、何度も同じ場所を見ては視線を外していた。
指先が無意識に手袋の縫い目をなぞる。
落ち着かない。
(……なんだよ、あれ)
思い出す。
さっきの距離。
手を伸ばした時の近さ。
そして——
「……話の途中だった」
あの、ほんのわずかに低かった声。
ガイは小さく舌打ちをし、頭を掻きながら顔をしかめる。
「……意味分かんねえ」
独り言のように吐き出したその瞬間。
「顔、うるせえぞ」
背後から、軽く石でも投げるような調子で声が落ちてくる。
ガイは振り返らない。
靴音で分かる。
レオンだ。
「見てるこっちが疲れる」
言いながら、レオンは隣に並ぶでもなく、少し斜め後ろの位置に立ち、腕を組んでガイの様子を横目で眺める。
ガイは肩だけで息を吐き、視線を逸らしたまま答える。
「……何の話だ」
レオンは軽く鼻で笑い、顎で遠くを示す。
「あっち」
視線の先。
少し離れた場所で、カイルがエリオに何かを話している。
距離は近い。
さっきと同じくらい。
ガイの指先が、ぴくりと止まる。
それを見て、レオンはわずかに口角を上げる。
「分かりやすいな」
「何がだ」
低く返す声。
だが、完全には隠せていない。
レオンは壁に肩を預け、軽く首を傾ける。
「割り込み方、露骨すぎ」
その言葉に、ガイの眉が寄る。
反射的に視線を逸らし、足元の砂を軽く蹴る。
「任務だ」
短く言い切る。
だがその言葉に、レオンは間を置かずに笑う。
「便利な言葉だな」
軽く手をひらひらと振る。
「全部それで済ませる気か?」
ガイは答えない。
代わりに、拳を握りかけて、すぐに力を抜く。
その一瞬の動きを、レオンは見逃さない。
「さっきもそうだろ」
淡々と続ける。
「あーあ。さっきカイルが触ろうとした瞬間、腕引いてたのは誰だったかなぁ」
ガイの視線がわずかに揺れる。
「無意識でやってる分、タチ悪いな」
軽く笑う。
ガイは舌打ちし、壁から身体を離すと一歩だけ前に出る。
「だから何だ」
振り返らずに言う。
レオンはその背中を見ながら、小さく肩をすくめる。
「別に」
あっさりと返す。
だが。
一拍置いて。
「いつ気づくんだ?」
その言葉に、ガイの足が止まる。
完全に止まるわけではない。
半歩だけ、動きが鈍る。
「……何をだ」
振り返らないまま、低く返す。
レオンは一歩だけ近づき、ガイの横に並ぶ。
距離は近すぎず、遠すぎず。
相手を追い込む位置。
「マジで言ってるなら重症だな」
軽く言いながら、視線を横に流す。
「お前さ」
地面をつま先で軽く叩く。
「それ、もう始まってるぞ」
曖昧な言い方。
だが。
ガイの指先が、わずかに止まる。
「意味が分からねえ」
即答。
だが、さっきより声が低い。
レオンは小さく息を吐く。
「だろうな」
そして、少しだけ顔を近づける。
わざと、聞き逃せない距離まで。
「じゃあ分かりやすく言うか」
そのまま、視線を正面に戻す。
逃げ場はない。
「相手、お前のこと見てねえぞ」
静かに落ちる言葉。
ガイの呼吸が、一瞬だけ止まる。
肩が、ほんの僅かに強張る。
「……は?」
振り返る。
今度ははっきりと。
レオンはその視線を真正面から受け止める。
「見てるのは任務の相手としてだけ」
「それ以上でも、それ以下でもない」
淡々と続ける。
ガイの手が、無意識に握られる。
「お前が何しようが」
「近づこうが、触ろうが」
「全部“問題ない”で終わり」
その言葉に。
ガイの視線が、一瞬だけ逸れる。
思い出す。
“問題ない”
“影響はない”
エリオの声。
「……それの、何が悪い」
低く吐き出す。
だが、声に力はない。
レオンは肩をすくめる。
「別に悪くはねえよ」
あっさりと認める。
そして。
ガイの前に一歩だけ回り込む。
視線を合わせる。
逃げられない位置。
「ただ」
少しだけ目を細める。
「そのままだと、お前は一生そっち側」
言い切る。
ガイの中で、何かが軋む。
視線が揺れる。
言葉が出ない。
数秒の沈黙。
そして。
「……じゃあどうすりゃいい」
気づけば、そう口にしていた。
自分でも驚くほど自然に。
レオンは、ほんの少しだけ笑う。
「やっと聞いたな」
軽く肩を叩く。
そして、そのまま横に並ぶ。
「簡単だよ」
視線は前に向けたまま。
「“問題ある側”になれ」
短く、それだけ言う。
説明はない。
だが。
ガイの中で、何かがはっきりと動く。
拳が、ゆっくりと握られる。
視線が、まっすぐ前を向く。
さっきまでの迷いはない。
(……問題ある側、か)
その言葉が、胸の奥に残る。
消えない。
そして——
ガイはゆっくりと歩き出す。
向かう先は、決まっていた。




