無自覚な距離
討伐事件から数日がたった。
兵たちもいつもの落ち着きを取り戻している。
午後の陽が、ゆるやかに傾き始めていた。
集落の中央から少し外れた場所。
井戸の近くは人の出入りもあり、見回りにはちょうどいい位置だった。
エリオは、再び仮面をつけたまま立っている。
周囲に視線を配りながら、異常がないかを確認する。
いつも通りの動き。無駄はない。
「エリオ様」
声がかかる。
振り向くと、カイルがいた。
相変わらず他の兵より頭ひとつ大きい体格。
だがその表情は柔らかく、どこか安心感がある。
「どうしました?」
自然な距離で、隣に立つ。
「向こうは、異常はないか」
「はい、特には」
短いやり取り。
だがカイルはそのまま離れなかった。
「……あの」
少しだけ言い淀む。
「前から思ってたんですけど」
エリオは視線だけ向ける。
「エリオ様、あまり人の事見ないですよね」
「ああ」
即答。
迷いがない。
カイルは少し考えるように視線を落とす。
「でも…」
ぽつりとこぼす。
エリオは特に反応しない。
「見た時は…ちゃんと見てる」
「そうか」
エリオは一瞬だけ目を細める。
「必要なものは見る」
迷いなく、それだけ答えた。
その反応に、カイルは小さく笑った。
「やっぱり、すごいですね」
まっすぐな言葉。
その時。
風が抜ける。
エリオはわずかに息を吐き、手を上げた。
仮面の留め具に触れる。
カイルの視線が、一瞬止まる。
だが——
エリオは迷いなく、それを外した。
金具の外れる小さな音。
露わになる素顔。
火傷の痕はまだ残っている。
だが、その奥にある整った輪郭は隠しきれない。
エリオはそのまま、井戸の水で手を濡らし、軽く顔に触れた。
ただそれだけの行動。
カイルは、しばらく言葉を失っていた。
だが——
「……やっぱり、すごいですね」
さっきと同じ言葉を、もう一度言う。
エリオがわずかに視線を向ける。
「何がだ」
「いや……なんていうか……」
うまく言葉にできない。
「見られても、そのお顔で全然気にしてない感じが」
正直な感想。
エリオは少しだけ考えるように間を置いた。
「気にする理由がない」
淡々と答える。
「お前だったら、何か変わるわけでもないと思ってな」
事実だけを並べる。
カイルは少しだけ苦笑した。
「そうですか...」
「ああ」
またそれだけ。
だが、その距離は——
近い
気づけば、カイルは自然と一歩踏み込んでいた。
エリオのすぐ横。
肩が触れそうな距離。
だがエリオは、何も言わない。
避けもしない。
ただ、いつも通りそこにいる。
その“変わらなさ”が——
逆に、距離を許していた。
「……エリオ様って」
カイルがぽつりと呟く。
「変わってますね」
悪意のない言葉。
エリオはわずかに目を細めた。
「そうかもしれん」
否定しない。
カイルが少し笑う。
「でも、嫌いじゃないです」
さらりと言う。
その言葉に——
エリオは特に反応しなかった。
ただ、仮面を手に持ったまま、空を見上げる。
陽は、さらに傾いていた。
その時。
「……何してる」
低い声が落ちる。
振り向かなくても分かる。
ガイだった。
少し離れた位置に立ち、こちらを見ている。
視線は——
エリオの顔に向いていた。
そして、そのままカイルへと移る。
一瞬。
空気が変わる。
「見回りです」
カイルがすぐに答える。
「……そうかよ」
短い返事。
だが、その声は低い。
ガイはゆっくりと近づいてくる。
その間も、視線は外れない。
エリオに向けたまま。
やがて、すぐ近くで止まる。
「……外してんのか」
ぽつりと呟く。
エリオは何も言わない。
ただ、手にした仮面を軽く持
ち直す。
「必要だったからな」
それだけ。
ガイの眉がわずかに動く。
「必要、ね」
繰り返す。
その言葉を、噛みしめるように。
視線が、もう一度カイルへ向く。
何も言わない。
だが。
(……なんでだ)
頭の奥で、何かが引っかかる。
(あの時は——)
一瞬、過去の光景がよぎる。
だが、まだ繋がらない。
「……つけろ」
低く言う。
エリオが視線を向ける。
「何故だ」
変わらない声。
ガイは一瞬だけ言葉に詰まり——
「……目立つ」
短く言った。
それだけ。
理由になっていないことは、自分でも分かっている。
エリオは数秒だけ見つめ——
何も言わずに仮面をつけた。
金具の音が、やけに大きく響く。
それを見て、ガイはわずかに目を細める。
(……なんなんだよ)
胸の奥がざわつく。
理由は、まだ分からない。
だが確かに——
何かが、引っかかっていた。




