触らせんな
夕方。
陽が傾き始め、集落の通りは橙に染まりつつあった。
長く伸びた影が石畳に落ち、空気はどこか静まり返っている。
ガイは、一人で歩いていた。
一定の歩幅。
だが、思考はまとまっていない。
(……なんなんだよ、あいつ)
昼間のやり取りが頭から離れない。
“どう思われようが関係ない”
“気にしたことがない”
(ありえねえだろ)
無意識に舌打ちが漏れる。
視線。
空気。
周りの反応。
あれだけ分かりやすく出ているのに——
(なんで平気なんだよ)
理解できない。
したくもない。
その時。
「……また一人か」
低く呟く。
少し先。
見慣れた背中があった。
エリオ。
集落の外れ、人気の少ない場所に立っている。
周囲を確認しているだけなのか、ただ静かに佇んでいる。
「おい」
ガイが声をかける。
エリオが振り向く。
視線が合う。
一瞬。
呼吸が詰まる。
(……クソ)
分かっているのに、慣れない。
「また一人か」
同じ言葉を、今度ははっきりと口にする。
「見回りだ」
エリオが答える。
「さっきもそれ聞いた」
ガイは歩み寄る。
距離が縮まる。
「単独行動はするなって言ったよな」
「単独ではない」
「今は一人だろうが」
即座に返す。
エリオは少しだけ黙る。
だが、表情は変わらない。
「問題ない」
またそれだ。
ガイの眉が寄る。
(……そればっかりだな)
「問題あるっつってんだろ」
声が少し強くなる。
エリオは反応しない。
ただ、静かにこちらを見ている。
その視線が——
妙に、引っかかる。
「……お前」
ガイが一歩踏み込む。
距離がさらに近づく。
「分かってねえだろ」
低く言う。
「何がだ」
変わらない。
その一言で、何かが引っかかる。
「周りの目だよ」
吐き出すように言う。
「見られてる自覚、ねえのか」
エリオは一瞬だけ視線を外す。
そして。
「ある」
短く答える。
ガイが一瞬止まる。
「……あるのかよ」
「ある」
淡々と繰り返す。
「だが、関係ない」
間を置かずに続く。
その言葉に、ガイの表情が歪む。
(……やっぱりそれかよ)
「なんでだよ」
思わず出る。
エリオは少しだけ考えるように視線を落とす。
「評価は結果で決まる」
静かな声。
「それ以外に意味はない」
それだけだった。
簡単に言う。
あまりにもあっさりと。
ガイは言葉を失う。
(……は?)
理解が追いつかない。
「顔がどう見られようが、関係ない」
続ける。
「任務に支障が出ない限りな」
あくまで合理的。
それだけ。
(……違うだろ)
ガイの中で何かが引っかかる。
(そういう話じゃねえ)
一歩、さらに踏み込む。
「そうじゃねえだろ」
低く言う。
エリオが視線を向ける。
近い。
呼吸がかかる距離。
「見られてんだよ」
ガイの声が少しだけ荒くなる。
「お前の顔」
言い切る。
「気づいてんだろ」
エリオは答えない。
沈黙。
それが、肯定のようにも見える。
ガイは歯を食いしばる。
「だったら——」
言葉が詰まる。
何を言いたいのか、自分でも分からない。
だが。
「……そのままにすんな」
ようやく出た言葉は、それだった。
エリオがわずかに眉を動かす。
「どういう意味だ」
本気で分かっていない。
その顔に、ガイの苛立ちが一気に膨らむ。
「そのままにしてたら——」
一歩、さらに近づく。
もう、逃げ場はない距離。
「勝手に寄ってくるだろうが」
低く、押し殺した声。
「人が」
沈黙。
風が抜ける。
エリオは少しだけ目を細めた。
「それがどうした」
その一言で——
ガイの中の何かが切れた。
「どうした、じゃねえだろ」
思わず腕を掴む。
強く。
「……っ」
エリオの身体がわずかに揺れる。
だが、抵抗はしない。
ただ見ている。
その無反応が、余計に苛立ちを煽る。
「近づかせんな」
低く言う。
「簡単に距離詰めさせるな」
言葉が荒くなる。
「……」
エリオは黙ったまま。
ガイの手を見て、そして視線を上げる。
「なぜだ」
本気で分かっていない声。
その一言で——
ガイの思考が止まる。
(……なんで)
言葉に詰まる。
理由。
そんなもの——
「……は?」
出てこない。
「……なんでって……」
言いかけて、止まる。
言葉にできない。
ただ一つ、分かることがある。
(……嫌なんだよ)
それだけ。
「……離せ」
エリオが静かに言う。
ガイは一瞬だけ固まり——
手を離した。
距離が空く。
沈黙。
エリオは何も言わない。
ただ、そのまま踵を返す。
「戻る」
それだけ言って、歩き出す。
止める言葉は出なかった。
ガイはその背中を見つめたまま、動けない。
(……なんなんだよ)
胸の奥が、ざわつく。
苛立ち。
違和感。
そして——
(……離したくねえ)
自分でも理解できない感情。
それが、確かにそこにあった。
夕陽が、長く影を落とす。
その影は、重なることなく離れていった。




