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異世界で潰れかけの宿を任された俺、 朝粥と売れ残り食材で街の食卓を変えていく 〜はずれスキル『食材帳』の料理人〜  作者: 青い海の人


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【第51話】ベルノの流儀、灰白亭の流儀

 その朝、市場の入口はいつもより騒がしかった。


 まだ陽は高くない。

 石畳も冷えている。

 それなのに、通りの一角だけ熱を持っている。


「……ベルノだ」

 ミアが言う。


「だな」

 恒一も頷いた。


 屋台の前には人が並んでいた。

 五人、六人。

 いや、もう少し多い。


 焼ける匂い。

 濃いタレ。

 油の跳ねる音。

 手際のいい声。


 ベルノは、いつもの軽い顔のまま、客を止めて、流して、また止めている。

 迷いがない。

 一撃で腹を掴むやり方だ。


「強いわね」

 ミアが言う。


「強いな」

 恒一が答える。


 この時間、この場所で、あの速さ。

 宿とはまるで違う。

 立ち止まらせるための匂い。

 迷わせない値段。

 その場で満足させる手際。


 ベルノの屋台は、朝の市場にぴたりとはまっていた。


「……ねえ」

 ミアが言った。

「何だ」

「こういうの見ると、ちょっと不安になる」

「屋台が強いからか」

「うん」

「……」

「うちは、あんなに一気に取れない」


 その気持ちはよく分かった。


 灰白亭の朝は、少しずつ戻ってくる客を育てる形だ。

 一方でベルノは、その場の流れを一気に掴める。


 見た目の強さだけなら、あちらの方が派手だ。


「でも」

 恒一が言う。

「やり方が違う」

「違うのは分かる」

 ミアが言う。

「でも、比べたくはなる」

「……」


 その時だった。


「聞こえてるぞ」


 ベルノ本人が、客へ皿を渡しながら言った。


「うるさい」

 ミアが即座に返す。


「比べるのは勝手だが、落ち込むのは早ぇ」

 ベルノは言う。

「誰が落ち込んでるって?」

「顔だよ」

「朝から腹立つ」


 客が少し途切れた隙に、ベルノが手を軽く洗ってこちらへ寄ってきた。


「で?」

 彼が言う。

「何見てた」

「屋台の強さ」

 ミアが答える。


「へえ」

 ベルノは少しだけ笑う。

「いいじゃねぇか」

「よくないわよ」

「なんで」

「だって、あんたの方が分かりやすく強い」

「……」

「匂いで止めて、すぐ売れて、すぐ流れる」

「そうだな」

「うちはそこまで派手じゃない」

「そりゃそうだ」

 ベルノは即答した。

「宿なんだから」


 その答えがあまりに早くて、ミアは少しだけ黙った。


「……」

「何だよ」

「言い切るのね」

「言い切るよ」

 ベルノは肩をすくめる。

「屋台は一撃でいい」

「……」

「でも宿は、それじゃ足りねぇ」


 恒一は、その言葉に小さく頷いた。


 前にも似たことは聞いた。

 だが今日は、もう少し深く腹へ落ちる。


「屋台はな」

 ベルノが続ける。

「止まった客を腹で掴めば勝ちだ」

「うん」

「でも宿は違う」

「……」

「朝に来たやつが、夜まで残るかもしれねぇ」

「……」

「泊まったやつが、次にまた戻るかもしれねぇ」

「……」

「壺が返ってきて、また買うかもしれねぇ」

「……」

「だから、一撃だけじゃ足りない」


 ミアは、その言葉をしばらく黙って受け止めていた。


 ベルノの屋台は、一撃で終わっていい。

 でも灰白亭は、そうじゃない。

 朝、夜、部屋、壺、廊下、灯り。

 全部で少しずつ効かせる宿だ。


「ねえ」

 ミアが言う。

「何だ」

「それ、前よりちょっと分かる」

「そうか」

「うん」

「前は、あんたみたいに強くなれたらってちょっと思ってた」

「……」

「でも今は違う」

「どう違う」

「うちは、あの強さを真似しちゃだめなんだなって」

「だろ」

 ベルノは笑う。

「やっとそこまで来たか」


 少し悔しいが、その通りでもあった。


 リナが、ちょうど布屋の裏から通りかかった。


「朝から何してるの」

 彼女が聞く。


「流儀の話」

 ミアが言う。


「難しそう」

「でも大事」

 ミアは答える。

「ベルノの強さは、ベルノの場所に合ってる」

「うん」

「うちの強さは、うちの場所に合ってる」

「……」

「それを混ぜると、たぶん両方ぶれる」


 その言い方は、かなり良かった。


 比べるな、ではない。

 違う場所の違う正解だと分けて見ている。


「いいね」

 リナが言う。

「何が」

「前より、自分の宿の言葉で喋ってる」

「……」

「それ、かなり宿の人っぽい」


 ミアは少しだけ笑った。


「今日はみんな“かなり”好きね」


「便利だからな」

 ベルノが言う。


「うつった」

 ミアが呆れる。


 ベルノはそこで、もう一度屋台の列を振り返った。


「まあでも」

 彼が言う。

「強いのは強いだろ」

「……」

「朝のあの列、ちょっとは羨ましいわよ」

「だろうな」

「でも」

 ミアは食堂の方をちらりと見た。

「朝だけで終わるのは、やっぱりちょっと違う」

「うん」

「うちは、戻ってくる方がほしい」

「だろ」

 ベルノは頷く。

「それが宿の流儀だ」


 その言葉は、妙にきれいに収まった。


 屋台は、その場で腹を掴む。

 宿は、戻る理由を積み上げる。


 どちらが上でも下でもない。

 ただ、違う。


 そして今の灰白亭には、その違いがようやく自分の言葉で見え始めていた。


「……ねえ」

 ミアが言う。

「何だ」

「ちょっと安心した」

「何が」

「比べていいんだなって」

「……」

「でも、真似しなくていい」

「そうだな」


 恒一も、それには強く同意した。


 料理もそうだ。

 他の店を見るのは大事。

 でも、全部を自分の鍋へ入れればいいわけじゃない。


 宿も同じなのだろう。


 ベルノの流儀を見て、

 灰白亭の流儀を確かめる。


 それでいい。


「じゃあ」

 ベルノが言った。

「俺は戻るぞ」

「今日も忙しそうね」

 ミアが言う。

「朝はな」

「昼は?」

「流れる」

「夜は?」

「知らん」

「雑ね」

「屋台だからな」


 そう言ってベルノは元の位置へ戻っていく。


 客を止める声。

 焼ける音。

 あの場所にだけある強さ。


 ミアはそれを少し見てから、灰白亭の方を振り返った。


 鍋。

 壺。

 席。

 朝の匂い。

 階段の先の部屋。


 こっちには、こっちの強さがある。


「……ねえ」

 ミアが言った。

「何だ」

 恒一が聞く。


「書いとく」


 帳面を開く。

 迷いなく、一行だけ書く。


 一撃じゃなく、戻る理由で残す


「いいな」

 恒一が言う。


「かなり?」

 ミアが聞く。


「かなり」


 その返事に、ミアは少しだけ笑った。


 灰白亭の流儀は、まだ小さい。

 でも、もうちゃんと他と違う形を持ち始めている。


 それはこの宿にとって、かなり大事な前進だった。

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