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異世界で潰れかけの宿を任された俺、 朝粥と売れ残り食材で街の食卓を変えていく 〜はずれスキル『食材帳』の料理人〜  作者: 青い海の人


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【第46話】 広げる話は、だいたい面倒だ

 その朝、灰白亭の帳場には、いつもより少しだけ紙が多かった。


 壺の返却。

 黒麦の残り。

 豆の在庫。

 朝食の数。

 持ち帰りの数。


 それに加えて、今日は小さな走り書きが二つ増えている。


 紙屋の奥さんの妹、明日も来る

 布屋の裏、持ち帰り用の布が欲しいと言っていた


 ミアは帳面を見ながら、ちょっと嫌そうな顔をしていた。


「……増えてる」


「何が」

 恒一が鍋を見たまま聞く。


「“話”」

 ミアが答える。

「客の数だけじゃなくて、その向こう側の話まで増えてる」


 恒一は少しだけ笑った。


「広がってるってことだろ」


「うれしくないわけじゃない」

 ミアは言う。

「でも、だいたい面倒そうなのよ」


 その感覚は、かなり正しかった。


 灰白亭はいま、ただ粥を出す宿ではなくなってきている。

 持ち帰りが増え、夜の皿が話になり、壺が往復し、外で使われ方まで返ってくる。


 そうなると次に来るのは、だいたい

 味そのものではなく、やり方の方に向く興味

 だ。


「今日も来ると思う?」

 ミアが聞く。


「誰が」

 恒一が聞き返す。


「“ああいうの”」


 具体的には言わなかった。

 でも分かる。


 クルトのような、便利そうな話を持ってくる人間。

 あるいは、もっと遠回しに覗きに来る人間。


「来るかもな」

 恒一が言った。


「やっぱり」

 ミアはため息をついた。

「広げる話って、だいたい面倒」


 朝の鍋は、いつも通りに始まった。


 ドノヴァンとペトル。

 ガド。

 壺を抱えたリナ。

 初見の顔も二つほど混ざっている。


 食堂の流れは悪くない。

 いや、かなり安定している。


「はい、どうぞ」

 ミアが器を置く。


 声に迷いがない。

 席の順番も、壺の位置も、もう体が覚えてきている。


「……ねえ」

 リナが壺を待ちながら言う。

「何?」

 ミアが聞く。


「最近さ」

「うん」

「“壺だけ売ってほしい”って聞かれた」

「……」

「紙屋の奥さんの妹に」

「壺だけ?」

「うん。“中身はいいから、あの巻き布つきのやつ”って」


 ミアが一瞬だけ止まる。


「それ、中身いらないの?」

「たぶん、自分とこで別のもの入れるんじゃない?」


 それは初めて聞く種類の話だった。


 壺と布。

 つまり、灰白亭の“持ち帰りのやり方”そのものが見られ始めている。


「……やだ」

 ミアが言う。


「なんで」

 リナが聞く。


「なんか、鍋じゃなくて周りが先に外へ出ていく感じする」

「……」

「私たちが作った“使い方”だけ抜かれるみたいで」


 その感覚も、かなり本質的だった。


 味だけじゃない。

 壺も、布も、順番も、声のかけ方も。

 全部が灰白亭のやり方として少しずつ形になっている。


「それって悪いこと?」

 リナが聞く。


 ミアは少し考えてから答えた。


「悪いだけじゃない」

「うん」

「でも、まだ早い感じする」

「……」

「うちでちゃんと回る前に外へ渡ると、変なことになりそう」


 恒一はそのやり取りを鍋の前で聞いていた。


 味を渡すより先に、

 やり方が抜かれる怖さ。

 たしかにそれはある。


 朝の流れが一段落した頃、案の定、客が来た。


 だが今回はクルトではない。


 年配の女だった。

 服装は地味だが、歩き方に無駄がない。

 市場の中で長く立ってきた人間の足運びだ。


「ここが灰白亭?」

 女が言う。


「そうです」

 ミアが答える。


「朝の持ち帰りやってるって聞いた」

「やってます」

「ちょっと見せてくれる?」


 ミアはほんの少しだけ目を細めた。


 また“見せて”だ。


 でも、前みたいに身構えすぎはしない。


「見るだけ?」

 ミアが聞く。


「今日はね」

 女は答えた。

「うちの店でも、朝に何か外へ出せないか考えてるから」


 なるほど、と恒一は思う。


 この人は客ではなく、半分商売の目で来ている。

 でも、敵意むき出しでもない。

 いちばん面倒な種類の訪ね方だ。


「中身まで?」

 ミアが聞く。


「いや」

 女は少しだけ笑った。

「そこまでは聞かないよ。壺と、布と、渡し方を見たいだけ」


 まさにそこだった。


 ミアは少しだけ黙った。

 それから、壺を一つ持ってきて布の巻き方を見せる。


 熱の逃がし方。

 結び方。

 返却の説明。


 女はじっと見ていた。


「……なるほどね」

 やがて言う。

「いいやり方だ」

「ありがとうございます」

 ミアは返す。

「でも、うちのやり方なので」

「……」

「今は、壺だけ外には出しません」

「そう来るか」

 女は少しだけ目を細めた。

「いや、正しいね」


 その返事は意外だった。


「怒らないんですね」

 ミアが聞く。


「怒るほど若くないよ」

 女は言う。

「でも、“ここはまだ渡さない”って言える宿は残る」

「……」

「何でも見せる店は、だいたい自分の形が薄い」


 その言葉は、思っていたよりもずっと良かった。


 外からの圧だけじゃない。

 市場の中にも、線引きを理解する人はいる。


「名前、聞いても?」

 ミアが聞く。


「アダ」

 女が答える。

「朝の乾物を少し扱ってる」


 また一人、覚えるべき名前が増えた。


 灰白亭はいま、客だけじゃなく、

 付き合い方を選ぶ相手

も少しずつ増え始めている。


 女が去ったあと、ミアは帳面を開いた。


「……書いとく」

「何を」

 恒一が聞く。


「壺だけほしい人」

「そのままだな」

「今はそのままでいいの」

 ミアが答える。

「かなり大事だから」


 少し迷ってから、もう一行足す。


 見せるものと、渡さないものを分ける


「いいな」

 恒一が言う。


「ほんと?」

「かなり」

「最近、だいぶ便利な言葉になってるわね」

「元からだろ」


 ミアは小さく笑った。


「ねえ」

「何だ」

「これって、結局何なんだろうね」

「何が」

「広げるって話」

「……」

「食材だけじゃなくて、壺とか、布とか、渡し方とか」

「うん」

「鍋の外まで見られ始めてる」

「そうだな」


 恒一は少し考えてから答えた。


「広げるっていうより」

「うん」

「行き先を選ぶって感じかもな」


 ミアはその言葉を少しだけ繰り返した。


「行き先」

「味も、壺も、やり方も」

「……」

「全部、どこへ渡すかを選ばないと危ない」

「……」


 その言い方は、かなり今の灰白亭らしかった。


 何でも広げるんじゃない。

 何でも閉じるんでもない。

 行き先を選ぶ。


「……ねえ」

 ミアが言った。

「何だ」

「広げる話って、やっぱり面倒ね」

「かなりな」

「でも」

 ミアは帳面を見た。

「前より少し、面倒の種類が分かってきた」

「そうだな」


 灰白亭は今日、また一つだけ学んだ。


 味が見つかると、次はやり方が見られる。

 そして、そのやり方をどこまで渡すかを選ばなければならない。


 宿を守るというのは、鍋を守るだけじゃない。

 鍋の外へ出ていくものの行き先まで選ぶことなのだ。

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