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異世界で潰れかけの宿を任された俺、 朝粥と売れ残り食材で街の食卓を変えていく 〜はずれスキル『食材帳』の料理人〜  作者: 青い海の人


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【第45話】帰ってくる理由を ひとつずつ

 その朝、灰白亭の食堂には、いつもの顔と初めての顔が同じように並んでいた。


 ドノヴァンとペトル。

 ガド。

 壺を抱えたリナ。

 そして、見覚えのない旅人が二人。


 鍋はいつも通りに火へかかっている。

 黒麦がふくらみ、豆がほどけ、鳥脂の匂いが静かに立つ。


 ミアは器を並べながら、その光景を一度だけ見回した。


「……変」

 彼女が言う。


「何が」

 恒一が聞く。


「前は、知ってる顔か知らない顔かで、店の空気が違った」

「うん」

「今は、そこまで違わない」

「……」

「ちゃんと“朝の客”になってる感じ」


 それはかなり良い変化だった。


 初めて来た客でも、鍋と席と流れの中にすっと入っていける。

 常連だけが居心地のいい店ではなく、初見でも座れる宿の朝。


 それが今の灰白亭には、ようやく生まれ始めていた。


「おはようございます」

 ミアが言う。

「お席どうぞ」


 旅人の一人が少しだけ驚いたように目を上げたが、すぐに頷いて席へ着く。


 その自然さに、ミアは小さく息を吐いた。


 前なら、もっと力が入っていた。

 “ちゃんとやらなきゃ”が先に来て、声まで少し固くなっていた。


 今は、宿だからそうするだけだ。


 それだけでいいところまで来た。


 ガドが、いつものように声を上げる。


「今日こそ候補取れたか?」


「取れてない」

 ミアが即答する。


「なんでだよ!」


「元気すぎるから」


「意味分かんねぇ!」


 食堂に笑いが落ちる。


 その横で、リナが壺を差し出した。


「今日は三つ」

「増えたわね」

 ミアが言う。


「紙屋の奥さんの妹が来てる」

「へえ」

「“あそこの壺、朝がもつ”って聞いて」

「……」


 ミアは壺を受け取りながら、少しだけ目を細めた。


 持ち帰りは、もう単なる便利さではなかった。

 壺そのものが、朝の導線になり始めている。


「ねえ」

 ミアが小声で言う。

「何だ」

「“壺がもつ”って言い方、ちょっと好き」

「うん」

「宿じゃなくて、壺が覚えられてる」

「でも壺が戻れば、人も戻る」

「……」

「だから悪くない」

「そうね」


 恒一は鍋の火を少しだけ調整した。


 店で食べる分。

 壺へ入れる分。

 今日は新顔の旅人もいる。


 前なら、一つの鍋に全部を押し込んでいた。

 今は違う。


 同じ鍋でも、誰にどう渡るかまで少しずつ考えられる。


 それは宿としてかなり大きかった。


 朝の流れが少し落ち着いた頃、見覚えのない旅人の男が粥を食べ終え、ぽつりと言った。


「……ここ、また来るかもしれないな」


 ミアが目を上げる。


「この街にですか?」


「うん」

 男は答える。

「朝にこういう飯があるの、覚えやすい」


 隣の連れも頷く。


「夜も静かだったし」

「……」

「部屋までの灯り、あれいいね」

「……」


 ミアは少しだけ黙った。


 粥。

 部屋。

 灯り。


 別々に直してきたものが、客の中ではちゃんと一つの宿として繋がっている。


「ありがとうございます」

 彼女が言う。

「また来てもらえたら嬉しいです」


 その言い方も、かなり自然になっていた。


 前の灰白亭なら、そこまで口にする余裕はなかっただろう。

 今は違う。


 “戻る理由”を自分たちで少しずつ積み上げていると分かっているからこそ、言える言葉だ。


 昼前、市場へ出る。


 今日は仕入れよりも、まず見るためだった。


 苦香根の台の前では、老婆が木箱を整えていた。

 前ほど乱雑ではない。

 かといって高く取り繕ってもいない。


「また来たのかい」

 老婆が言う。


「また来た」

 恒一が答える。


 老婆は木箱を指で軽く叩いた。


「前より減り方が変わったよ」


「どう変わった」

 ミアが聞く。


「良いやつだけ抜かれるんじゃなくて、使い方ごとに取っていくのが増えた」

「……」

「真似して失敗する顔もまだあるけどね」

 老婆は笑う。

「でも、ただの売れ残りじゃなくなったのは確かだ」


 その言葉をミアは静かに受け取った。


 全部は変わっていない。

 でも、前よりは“食材らしく”動いている。


 市場の灰色の中に、少しだけ出口が増えている。


「ねえ」

 ミアが言った。

「何だ」

「これ、ちゃんと返ってきてるね」

「うん」

「宿でやってることが、市場に」

「そうだな」


 今度は、豆屋の男が声をかけてきた。


「今日も朝、粥の宿で出たんだろ」

「出たわよ」

 ミアが答える。

「うちの客が“あそこ寄ると昼がぶれない”って言ってた」

「……」

「だから今日は朝用の豆、先に分けといた」


 ミアが少しだけ目を見開いた。


「うちのために?」


「うちの客のためだ」

 男が言う。

「でも、おたくらが使う方がその客に返る」


 その言い方は、かなり市場らしかった。

 善意ではない。

 でも悪意でもない。


 流れの中で、少しだけ灰白亭が組み込まれ始めている。


 帰り道、ベルノの屋台の前を通る。


 今日は忙しそうだったが、それでも一瞬だけこちらを見て、鼻を鳴らした。


「よう」


「よう」

 恒一が返す。


「いい顔してんな」

 ベルノがミアを見る。


「誰が」

「宿の人が」


 ミアは少しだけ眉を上げる。


「どういう意味?」


「前より、“残すために動いてる”顔だ」

 ベルノが言う。

「潰れたくない顔じゃなくてな」

「……」

「それ、かなり違うぞ」


 ミアは少しだけ黙った。


 それから、小さく笑った。


「そうかもね」

「そうだろ」

「かなり?」

「かなりだ」


 その言い方が少しだけ可笑しくて、ミアはちゃんと笑った。


 夜、灰白亭へ戻る。


 食堂には灯りが残り、鍋にはまだ少しだけ温かい匂いがある。

 帳場の横には返ってきた壺。

 階段の先には、静かな廊下。


 全部、前と同じようでいて、もう違う。


 ミアは帳面を開いた。


 これまでの言葉が、少しずつ並んでいる。


 朝は戻る。

 夜は覚える。


 壺は、外の席。


 宿の外で、宿を守る。


 急いでる人と、疲れてる人の宿。


 そして、今日ここへ一行足す。


 帰ってくる理由をひとつずつ


 書いてから、しばらくその字を見た。


「……いいな」

 恒一が言う。


「ほんと?」

 ミアが聞く。


「かなり」


「今日はそれ、ちゃんと嬉しい」


 恒一は少しだけ笑った。


「ならよかった」


 ミアは帳面を閉じる。


「ねえ」

「何だ」

「全部は変わってないよね」

「うん」

「市場も、街も、まだまだそのまま」

「うん」

「でも」

 ミアは食堂を見回した。

「戻る理由は増えた」

「そうだな」

「朝の粥」

「うん」

「夜の皿」

「うん」

「壺」

「うん」

「部屋」

「うん」

「灯り」

「うん」

「……」

「それで十分だ」

 恒一が言う。


 派手な勝ち方ではない。

 でも、灰白亭にはそれが似合う。


 一気に街を変えるんじゃない。

 帰ってくる理由をひとつずつ増やす。


 その積み重ねの先で、気づけば街の食卓が少しだけ変わっている。


 この宿にできるのは、たぶんそういうことだ。


 食堂の灯りはまだ落ちない。


 でも、その灯りはもう迷いの灯りではなかった。

 帰ってくる人のために残しておく灯りだった。

第三部「灰白亭は、どこまで残すのか」ここまでです。

読んでくださってありがとうございます。


灰白亭が少しずつ街の中で立ち位置を持ち始め、

「戻る理由のある宿」として形になっていくところまで書けました。


この先は、宿の外との関わりがもう少し深くなっていきます。

引き続きよろしくお願いいたします。

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