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異世界で潰れかけの宿を任された俺、 朝粥と売れ残り食材で街の食卓を変えていく 〜はずれスキル『食材帳』の料理人〜  作者: 青い海の人


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【第30話】面白くない顔ぶれ

 次の日の市場は、いつもより少しだけ整いすぎて見えた。


 空は晴れている。

 昨日の湿り気も抜けて、石畳は乾き、葉物の色も少し持ち直していた。


 それなのに、ミアは市場へ入った瞬間に眉を寄せた。


「……なんか嫌」


「何が」

 恒一が聞く。


「静か」


 騒がしくないわけではない。

 呼び声もある。

 荷車の音も、値切る声も、いつも通りだ。


 でも、その下に別の静けさがある。


 見ている側の静けさだ。


 灰白亭が市場を見るだけではなく、

 市場の方も、灰白亭を見ている。


 食材帳の上で、イーリスが淡く文字を浮かべた。


 ――観測密度:上昇

 ――会話温度に注意してください


「最近あなた、言い方が嫌な方向に上手くなってない?」

 ミアが言う。


「必要だからです」

 イーリスが答える。


「うん、それがもう嫌」


 二人はまず黒麦屋へ向かった。


 値段自体は昨日と変わらない。

 だが、いつもなら中値で香りの残る粉が前にあるのに、今日は奥へ引っ込んでいる。


「前の、ないの?」

 ミアが聞く。


 店主は肩をすくめた。


「もう押さえられた」


「誰に」


「さあな」

 店主はわざとらしく視線を逸らす。

「でも最近、ああいう粉を“ちゃんと選ぶ”店が増えてる」


 恒一は少しだけ黙った。


 灰白亭の買い方が、市場の中で読まれ始めている。


 安い粉じゃなく、

 高級粉でもなく、

 中値で香りが残るもの。


 それが必要だと、もう見られているのだ。


「……じゃあ今日は、もう一段下を見る」

 恒一が言った。


「大丈夫?」

 ミアが聞く。


「香りは少し落ちる」

「うん」

「でも、火の入れ方でまだ拾える範囲だ」

「……」

「宿が先に死ぬよりはいい」


 ミアは帳面へ短く書きつけた。


 黒麦:一段下でも回せるか確認


 店主はそれを見て、少しだけ目を細めた。


「前より、嫌な買い方するようになったな」


「褒めてる?」

 ミアが聞く。


「商売としてはな」


 それは褒め言葉でもあり、警戒でもある響きだった。


 豆屋では、別の変化があった。


 前まで前に出ていた朝向きの豆が、今日は少ない。

 代わりに割れ豆が目立つ。


「これも?」

 ミアが小さく言う。


「これもだな」

 恒一が答える。


 豆屋の男は、二人を見るなり笑った。


「最近、豆の見方が変わった宿があるからな」


「うち?」

 ミアが聞く。


「言ってないだろ」

 男は答える。

「でも、まあ、そういうことだ」


 前なら、こういう時に焦っていたはずだ。

 “欲しいものが減った”ことに、すぐ反応してしまっていたはずだ。


 でも今のミアは、少し違う顔をしていた。


「朝用を少なめ」

 彼女が言う。


「うん」


「夜用で補う」


「そうだな」


 声に迷いが少ない。


 市場の都合をそのまま鍋の設計に返す。

 それが少しずつできるようになっている。


「……ねえ」

 ミアが言った。

「何だ」

「これって、喧嘩売られてるわけじゃないのよね」


 恒一は、少し考えてから答えた。


「まだ、喧嘩ではないな」


「まだ?」


「様子見だ」

「……」

「“あの宿、どこまで回せるんだ”って見られてる」


 その時、鳥屋の前で別の声がした。


「灰白亭さん、ですよね」


 二人が振り向く。


 そこに立っていたのは、三十代半ばくらいの男だった。

 服装は地味だが、布の質は悪くない。

 笑顔もある。

 だが、その笑顔は“自然な愛想”というより、“相手を警戒させないための形”に見えた。


 こういう顔は、宿でも市場でも厄介だ。


「そうだけど」

 ミアが答える。


「クルトと申します」

 男は軽く頭を下げた。

「乾物と保存食を少し広く扱ってまして」

「……」

「最近、朝の粥と夜の皿で評判だそうで」


 ミアと恒一は、ほんの少しだけ視線を交わした。


 来た、と思った。


 露骨な妨害ではない。

 だが、“商売の顔”をして近づいてくる人間だ。


「それで?」

 ミアが聞く。


 クルトは少しだけ笑みを深くした。


「よければ、今後の仕入れでお手伝いできるかなと」


「手伝い?」


「ええ」


「どういう」


「黒麦や乾物の安定供給です」

 クルトは言う。

「これから客が増えるなら、毎回市場の顔色を見て回るより、うちのようなところと繋いでおいた方が楽でしょう?」


 たしかに、言っていることは間違っていない。


 間違っていないから、面倒なのだ。


 楽になる。

 安定もするかもしれない。

 でも、そのかわり何を握られるか分からない。


「今はまだ考えてません」

 ミアが言った。


「そうですか?」

 クルトは穏やかに返す。

「でも、いずれ必要になりますよ」


「いずれの時に考えます」


「……」


「今は、うちで回せる形を先に固めたいので」


 かなりいい返しだった。


 クルトは少しだけ目を細めたが、笑顔は崩さなかった。


「分かりました。では今日はこれで」

 彼は軽く会釈する。

「必要になったら、いつでも」


 その時、横から声が飛んだ。


「親切だなあ」


 ベルノだった。


 今日は片手に小さな魚籠を提げている。

 いかにも“たまたま通りかかった”顔をしているが、そんなわけがない。


「ベルノさん」

 クルトが言う。


「知り合い?」

 ミアが聞く。


「市場の顔だ」

 ベルノが答える。

「別に仲良しじゃねぇよ」


「ひどいですね」

 クルトは相変わらず笑顔だった。


 ベルノはミアたちの横へ来て、箱の中の鳥端肉をちらと見た。


「で?」

 彼が言う。

「もう来たか」


「何が」

 ミアが聞く。


「こういうのだよ」

 ベルノはクルトを顎で示す。

「親切そうに近づいてくるやつ」


 クルトは肩をすくめた。


「商売の提案ですよ」


「だろうな」

 ベルノは言う。

「だから面倒なんだ」


 市場の空気が、少しだけ硬くなる。


 周りの店主たちは、見ていないふりをしている。

 でも耳はこっちへ向いている。


 クルトはミアを見た。


「悪い話ではないはずです」


「そうでしょうね」

 ミアが答える。

「だからこそ、今は受けません」


「……」


「うちがどこまで自分たちで回せるか、まだ見えていないので」


「なるほど」


 クルトはそこで、ようやく少しだけ本音の顔を見せた。


 不満でも怒りでもない。

 ただ、“見定める側”の顔だ。


「では、また」

 彼は言った。

「そのうち必要になりますよ」


 クルトが去ったあと、ベルノが小さく鼻を鳴らした。


「ほらな」


「来たわね」

 ミアが言う。

「“協力”の顔して来るやつ」


「そういうのが一番厄介だ」

 ベルノが言う。


「なんで」

 ミアが聞く。


「真正面から敵なら、嫌えば済む」

「……」

「でも、こういうのは言ってること自体は間違ってない」

「……」

「だから迷う」


 その言葉に、ミアは少しだけ黙った。


 たしかにそうだ。


 保存食も、乾物も、安定供給も、灰白亭にはいずれ必要になるかもしれない。

 でも、今その手を取るかどうかは別だ。


「ねえ」

 ミアが言う。

「何だ」


「これ、どうすればよかったの」


「今のか?」

 ベルノが聞く。

「悪くなかったよ」


「ほんと?」


「かなりな」


「あなたまで“かなり”使うのね」


「便利だからな」


 ベルノは少しだけ真面目な顔になった。


「こういう時に一番だめなのは」

「うん」

「“見られてるから”って、自分で型を崩すことだ」

「……」

「お前らは今、自分たちの鍋を守る形をやっと持ち始めた」

「うん」

「なら、まずそれを崩すな」

「……」

「広げるのは、そのあとだ」


 その言葉は、今の灰白亭にはかなり必要だった。


 面倒な手が来る。

 見られる。

 誘われる。

 でも、そこで自分の型を手放したら、一番先に宿の鍋が壊れる。


 ミアは帳面を開いた。

 しばらく迷ってから、短く書く。


 急がされても崩さない

 広げるのは、そのあと


 書いてから、小さく息を吐いた。


「……面倒ね」

 彼女が言う。


「面倒だな」

 恒一も答える。


「でも」

 ミアは少しだけ笑った。

「ちょっとだけ、うれしいのに、うれしくない」


 ベルノが笑った。


「それが“見つかった”ってことだよ」


 市場のざわめきは、前と同じようでいて少し違って見えた。


 灰白亭はまだ小さい。

 一軒の宿にすぎない。


 それでも今、

 ただの潰れかけた宿ではなく、

 少しだけ流れを持った宿として、市場の中で見られ始めている。


 守るものがあるから、面倒が増える。


 そのことをミアはようやく実感として掴み始めていた。

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