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異世界で潰れかけの宿を任された俺、 朝粥と売れ残り食材で街の食卓を変えていく 〜はずれスキル『食材帳』の料理人〜  作者: 青い海の人


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【第23話】 噂になる宿、面白くない商人

苦香根の皿を出し始めてから、三日ほどで市場の空気が少し変わった。


 誰かが表立って文句を言ってきたわけではない。

 値段が急に跳ね上がったわけでもない。

 でも、前を通る時の目線が少し増えた。


 見られている。


 その感覚が、灰白亭の鍋より先に市場の中へ立ち始めていた。


「……なんか、今日やだ」

 ミアが言う。


「何が」

 恒一が聞く。


「視線」


 二人は黒麦屋の前に立っていた。


 値段は昨日と変わらない。

 でも、店主の後ろで別の男がこちらを見ている。

 豆屋でも、鳥屋でも、同じだった。


 あからさまではない。

 けれど、“ああ、あれが例の宿か”と確かめるような目だ。


「見られてるな」

 恒一が言う。


「言わないでよ」

 ミアが顔をしかめる。

「分かってるから」


 食材帳の上で、イーリスが淡い文字を浮かべた。


――観測密度が上がっています

――市場内認知が進行中です


「朝から嫌なこと言うわね」

 ミアが言う。


「事実です」

 イーリスが答える。


「分かってるわよ」


 黒麦を選ぶ。

 豆を見る。

 今日は鳥の端肉が少し高い。


「昨日より上がってる」

 ミアが言う。


「雨は降ってないぞ」

 恒一が返す。


「だから余計に嫌なのよ」


 鳥屋の店主は、箱の中身を見せながら肩をすくめた。


「最近ちょっと動きがいいんだよ」


「どこが?」

 ミアが聞く。


「端肉全体」

 店主が答える。

「前まで見向きもしなかった店も、少しずつ拾うようになった」


 恒一は箱を見た。


 良い部分から減っている。

 筋の多いところばかりではない。

 “使える店が増えた”時の減り方だった。


「……うちのせい?」

 ミアが小さく言う。


「全部じゃない」

 店主が答える。

「でも、無関係とも言えんな」


 ミアは帳面へ書きつけた。


 端肉:少し動いてる


「嫌だな」

 彼女が言う。


「わかる」

 恒一が答える。


 市場の流れが動くこと自体は悪くない。

 でも、灰白亭の鍋はまだ小さい。

 流れが変わる痛みを受け止めるには、少し細い。


 そのまま奥へ進む。


 苦香根の台の前には、今日は先客がいた。


 見知らぬ男が二人。

 一人は台の中身をつまんで匂いを見ている。

 もう一人は老婆に何か聞いていた。


「……」

 ミアが黙る。


 恒一も黙っていた。


 こういう時は、下手に近づくと余計に目立つ。


 男たちは結局、二、三本だけ苦香根を買って去っていった。

 その背中を見送ってから、恒一たちは台へ寄る。


「また来たのかい」

 老婆が言う。


「また来た」

 恒一が答える。


「さっきの、誰?」

 ミアが聞く。


「食堂の使い走りだろうね」

 老婆は肩をすくめた。

「“最近あれを皿にする宿がある”って聞いて、試しに買ってった」


「……」

「でも、すぐにはうまくいかないよ」

 老婆は鼻を鳴らす。

「苦香根はそんなに甘くない」


 その言い方に、恒一は少しだけ笑った。


 そうだ。

 すぐには真似できない。


 下処理も、順番も、塩の位置も、灰白亭は何度か失敗してここへ来た。


「笑ってる場合?」

 ミアが聞く。


「半分な」

 恒一が答える。

「残り半分は?」

「見つかったな、って感じだ」


 老婆は、今日は少しだけ良い束を箱の奥から出した。

 だが数は少ない。


「前より減ってる」

 ミアが言う。


「そりゃそうさ」

 老婆が言う。

「あんたらが皿にして、旅人が話して、他の店が面白がる」

「……」

「流れができれば、売れ残りのままではいられないよ」


 その言葉は、かなり正しかった。


 苦香根が安かったのは、誰も上手く使えなかったからだ。

 出口が見つかったなら、当然流れは変わる。


 灰白亭は今まさに、その流れを動かしている。


「ねえ」

 ミアが言う。

「これって、良いこと?」


 恒一は少し考えた。


「半分は」

「また半分」

「良いことだよ」

 彼は答える。

「売れ残りのまま腐るよりはいい」

「……」

「でも、うちには面倒だ」

「そうよね」


 ミアはため息をつき、帳面にこう書いた。


 苦香根:良いことでもあり、面倒でもある


 その書き方に、恒一は少しだけ笑った。


「正しいな」


「感想が雑」

「でも正しい」


 そこへ、後ろから軽い声が飛んできた。


「よう」


 ベルノだった。


 今日は屋台の煙の匂いをいつもより強くまとっている。

 忙しい合間に寄ったのだろう。


「来たわね」

 ミアが言う。

「来るだろ」

 ベルノは箱の中を見て言った。

「そろそろ面白くない顔ぶれが増えてくる頃だからな」


「……もう増えてる」

 ミアがぼそりと答える。


 ベルノは苦香根の束を一本手に取った。


「これ、今はもう“売れ残り”ってだけの顔してねぇな」


「どういう意味」

 恒一が聞く。


「誰かが値打ちをつけた食材の顔だ」

 ベルノは答える。

「一回そうなると、市場は放っておかねぇ」

「……」

「だから次に来るのは二種類だ」

「二種類?」

 ミアが聞く。


「面白がるやつと、面白くないやつ」


 その言葉は嫌になるほど分かりやすかった。


 面白がるやつは、買ってみる。

 真似する。

 話を聞きたがる。


 面白くないやつは、先に押さえる。

 値を動かす。

 流れを濁らせる。


「どっちが厄介?」

 ミアが聞く。


「後者」

 ベルノは即答した。

「前者はまだ素直だ。後者は黙ってやる」


「最悪ね」

「商売だ」


 ベルノはいつも通りの軽い口調だったが、中身はかなりまっすぐだった。


「じゃあ、どうする?」

 恒一が聞く。


「どうもしねぇよ」

 ベルノは肩をすくめる。

「少なくとも、慌てて動くな」

「……」

「読まれたと感じた時に一番弱いのは、店が自分で型を崩すことだ」

「それは」

 恒一が言う。

「かなり分かる」

「だろ」

「じゃあ、苦香根も変えない方がいい?」

 ミアが聞く。


「変えるなとは言わねぇ」

 ベルノは答えた。

「でも、“相手が見てるから”って理由で変えるな」

「……」

「店の都合で変えろ」

「店の都合」

「そう。灰白亭が続くかどうか、それだけで決めろ」


 ミアは少しだけ黙った。


 それから帳面へ、もう一行足した。


 見られてるから変えない

 続けるために変える


「いいな」

 恒一が言う。


「でしょ」

 ミアが答える。

「今日はちょっと頭回ってる」

「宿の人だからな」

「最近それ好きね」


 ベルノはそのやり取りを聞いて、小さく笑った。


「まあ、前よりいい顔になったよ」

「誰が?」

 ミアが聞く。


「お前ら両方」

 ベルノが答える。

「前は“うまいもん出せばいい”って顔だった」

「……」

「今は“残すために回す”顔になってる」

「それ、褒めてる?」

 ミアが聞く。


「半分」

 ベルノは言った。

「残り半分は、まだこれから面倒になるって意味だ」


 その言葉とほぼ同時に、通りの向こうで誰かの視線を感じた。


 知らない男が一人。

 食材ではなく、こちらを見ている。


 そして目が合うと、何食わぬ顔で別の店へ流れていく。


「……」

 ミアが小さく息を吐く。


「来ただろ」

 ベルノが言う。


「来たわね」

 ミアが答える。


「これが始まりだ」

 ベルノは苦香根を木箱へ戻した。

「灰白亭の飯が面白いだけのうちはいい」

「……」

「でも、食材の流れまで動かし始めたら、黙って見てるやつばかりじゃなくなる」


 恒一は、その言葉をかなり静かに受け取った。


 市場の灰色に、少し色がつき始めた。

 それは良いことだ。


 でも、灰色で回っていたものを動かすなら、当然抵抗も出る。


 宿を守るというのは、結局そういうことなのだろう。


「……行くか」

 恒一が言った。


「うん」

 ミアが頷く。


 必要な分だけ苦香根を選び、袋へ入れる。

 良品だけではなく、中くらいのものも混ぜる。

 使い道を分ける前提で取る。


 前よりずっと慎重だ。

 でも、前よりずっと宿らしい買い方でもあった。


 市場を出る前、ミアが振り返った。


 苦香根の箱。

 老婆。

 ベルノ。

 見知らぬ視線。


「……ねえ」

 彼女が言う。

「何だ」

 恒一が聞く。


「これ、ちょっと怖い」

「うん」

「でも」

 ミアは袋を持ち直した。

「やっと“うちの宿の外”と繋がった感じもする」

「そうだな」

「それって、悪いことじゃないよね」

「悪いだけなら、やる意味がない」


 その答えに、ミアは小さく頷いた。


 灰白亭は今、ようやく市場に見つかり始めている。


 それは面倒で、怖くて、少し誇らしいことだった。

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