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異世界で潰れかけの宿を任された俺、 朝粥と売れ残り食材で街の食卓を変えていく 〜はずれスキル『食材帳』の料理人〜  作者: 青い海の人


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【第22話】この街の味

 市場から戻った灰白亭の厨房には、土の匂いが残っていた。


 苦香根の袋を開けると、その匂いは少しだけ強くなる。

 苦く、青く、でも奥に甘さの気配もある。

 初めてこの根を見つけた日のことをミアは思い出した。


「……やっぱり、ちょっと嫌な匂い」


「最初はな」

 恒一が答える。


「最初だけ?」


「出口が決まれば変わる」


 恒一は袋から数本を取り出し、まな板へ並べた。

 前に見つけた時より、今日は太さもばらついている。

 良いものだけではない。

 でも、だからこそ使い分ける意味がある。


「今日は何するの」

 ミアが聞く。


「二つ試す」

「二つ?」

「一つはいつもの夜皿」

「うん」

「もう一つは、その手前」

「手前?」


 恒一は苦香根を一本持ち上げた。


「今のこれは、旅人にとって“覚える皿”だ」

「そうね」

「でも、毎回その位置だと強すぎる」

「……」

「もっと浅い入口が要る」


 ミアは少しだけ考えた。


「浅い入口」


「最初から“この街の味です”って顔で出すと、客によっては引く」

「たしかに」

「だから、今日はもう少し寄りやすい皿にする」


 イーリスの文字が静かに浮かぶ。


――苦香根:夜皿適性 高

――派生案:薄煮/香味油/添え皿


「添え皿」

 ミアが読む。

「それ、いいかも」


「そう思う」

 恒一が言う。


「夜の主役じゃなくて?」


「主役じゃなくても残る味はある」


 それは、この宿の今に合っていた。


 朝は、腹に落ちる。

 夜は、覚える。

 でも、その間にはもっと小さな段差があってもいい。


 苦香根を薄く切る。

 いつものように下茹で。

 そのあと、今日はいきなり鳥脂へ入れなかった。


「え、順番変えるの?」

 ミアが聞く。


「変える」

「なんで」


「前は“残す味”を作ってた」

 恒一は鍋に少量の湯を張る。

「今日は“寄りやすい味”を探す」


 そこへ塩をほんの少し。

 苦香根を落とす。

 じわじわと熱を入れる。


 鳥脂はそのあと、ほんの一滴だけ。


「……軽い」

 ミアが言う。


「そう」


 匂いが違った。

 前に作った苦香根の皿は、食べた瞬間に記憶へ残る強さがあった。

 でも今日のこれは、少しだけ寄りやすい。

 苦みも、土の香りも、少しだけ後ろへいる。


「これなら」

 ミアが小さく言う。

「“苦香根です”って言われる前に嫌われないかも」


「そこだな」


 恒一は小皿へ取り分けた。


 主役ではない。

 でも、ただの添え物でもない。


 白い皿の端に、薄く煮た苦香根。

 その上へ、香味菜をほんの少し。


「なんか」

 ミアが言う。

「宿っぽい」


「どういう意味だ」


「いきなり殴ってこない」


 恒一は少しだけ笑った。


「それは大事だ」


 その時、食堂の扉が開いた。


 入ってきたのは、見知らぬ旅人だった。

 荷は軽い。

 けれど服の裾には乾いた泥がついていて、長く歩いてきたのが分かる。


「泊まりで」

 男が言う。

「あと、軽く何か食えるなら」


 ミアが鍵箱を開く。


「お部屋あります。先にお食事にしますか?」

「そうする」


 旅人を席へ案内しながら、ミアが小声で聞く。


「出す?」

「出す」

 恒一が答える。


「新しい方?」

「新しい方だ」


 旅人の前へ、いつもの軽い夜の皿と一緒に苦香根の小皿を置く。


「これは?」

 男が聞く。


「この辺の根菜です」

 ミアが答える。

「少しだけ苦みがあるけど、あとに香りが残るので」

「へえ」


 旅人は木匙で少しすくい、口へ運んだ。


 すぐには何も言わない。


 でも、二口目へ行くまでの間で分かった。


 悪くない。


「……面白いな」

 やがて男が言う。

「最初は地味なのに、あとから残る」

「そうだな」

 恒一が答える。


「これ、この街のものか?」

「そう」

「だったら、旅の途中で食うにはちょうどいい」

「……」

「こういうの、覚えるからな」


 ミアが、そこで少しだけ目を上げた。


 やはりそうか、と思った。


 苦香根は“この街の味”になる。


 でもそれは、最初から看板みたいに掲げる味じゃない。

 旅人が食べて、あとから「あれ、よかったな」と思い返す味だ。


 食後、旅人は部屋へ上がる前に、ぽつりと言った。


「朝も出るのか?」

「朝は粥です」

 ミアが答える。


「じゃあ、食う」

 男はうなずいた。

「夜にこういうのが出る宿なら、朝も気になる」


 その言葉は、かなり強かった。


 苦香根の皿が、夜だけで終わらず、朝へつながったのだ。


 食堂が静かになってから、ミアが言う。


「……今の、かなり良くない?」

「かなりいい」

 恒一が頷く。


「だよね」

「うん」

「朝の粥だけじゃなくて、夜の皿で朝に戻してる」

「そういう流れだな」


 ミアは少しだけ考えた。


「ねえ」

「何だ」


「この宿、ちょっとずつ“この街の味”を持ち始めてる?」


「持ち始めてる」

 恒一が答える。

「朝は黒麦と豆」

「うん」

「夜は苦香根」

「うん」

「どっちも、この街にあるものだ」

「……」

「それをちゃんと皿にしてる」


 イーリスの文字が静かに並ぶ。


――定義更新候補

――灰白亭:この街の食材に出口を与える宿


 ミアはその文字を見て、少しだけ笑った。


「今日はいいこと言う」

「事実です」

 イーリスが答える。

「でも今日は、ちょっと好き」

「記録しておきます」

「それはいい」


 恒一は苦香根の残りを見る。


 売れ残りだった根菜。

 安く、嫌われて、誰にも期待されていなかったもの。


 でも今は、旅人が覚える皿になり始めている。


「……やっぱり」

 ミアが言う。

「何だ」

「価値がないんじゃないのね」

「うん」

「出口がないだけ」

「そうだな」


 その言葉は、苦香根だけの話ではなかった。


 灰白亭もそうだ。

 朝粥もそうだ。

 持ち帰りも、部屋も、宿の朝も。


 出口さえ見つかれば、息を吹き返す。


 それが、灰白亭が今やっていることだった。


 夜の厨房には、苦香根の少し苦くて甘い匂いが静かに残っていた。


 朝の粥が宿を立て直し、

 夜の皿が街の記憶へ残る。


 灰白亭は、少しずつこの街の宿になっていく。

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