賢者と地図
仮設司令部の灯りは、夜になっても消えなかった。
シオンは地図を広げたまま、紅茶を啜っていた。アールグレイだった。砂糖は入っていない。
扉が開いた。リラだった。用件を言いかけて、止まった。
「……邪魔でしたか」
「いや」
シオンは地図から目を上げなかった。リラは少し迷ってから、部屋の端に腰を下ろした。
「眠れなくて」
「そうか」
それだけだった。しばらく、二人とも黙っていた。シオンが紙をめくる音がした。リラは自分のカバンを膝に乗せて、背表紙を指でなぞった。
「この世界の地名って」とリラが言った。「本に書いてあることと、実際に行ってみると、少し違うんです。川の位置とか、森の広さとか」
「ほう」
「でも、方角は合ってるんです。だいたい。千年前に書かれた本なのに」
シオンは手を止めた。一瞬だけ、手元の羊皮紙と視線を行き来させた。リラはそれに気づかなかった。
「書いた人が、正確だったんでしょうね」とリラは続けた。「見たことを、見たまま書いた人。そういう人の書いたものは、時間が経っても残るんだと思います」
扉が少し開いた。エリオが顔を覗かせ、シオンとリラを見て、静かに閉めた。
リラはカバンの口を結び直した。立ち上がりかけて、ふと言った。
「あなたも、本が好きなんですね」
シオンは紅茶を一口飲んだ。それから、地図を静かに折った。
「好きかどうかは分からない」と彼は言った。「ただ、本の書いたことが本当だった時、少し安心する」
リラは少し考えてから、頷いた。
「分かります」
それだけ言って、リラは部屋を出た。シオンはしばらく、閉まった扉を見ていた。それから地図を広げ直した。




