魔術師の困惑
東の山脈から浮上したガルドスの空中要塞ヴォルケンに対し、ナイラ女王もまた、自らの動かせる空中軍艦を起動させた。大気を引き裂くような爆音の中、ついに激突する両軍のバトラー機。ヴォルケンのコックピットに狂気に満ちた魔族が乗り込み、禍々しい魔力と思念力を一本化させて襲いかかる。対する防衛軍も必死に応戦するが、魔族の乗る機体の出力は圧倒的だった。
その窮地の最中、戦場の雲を突き破って、一隻の懐かしい聖戦士たちの船が姿を現した。
「――カイ! ライラ! 待たせたな!」
ニエルが駆る空中船セラナだった。転移の混沌を生き延びたセラナの仲間たちが、ついにこの決戦の地へと駆けつけたのだ。その直後、大気圏の遥か上層に、規則正しく並んだ無数の光点が出現した。星ではない。間隔が均等すぎる。それが巨大な鉄の船の群れだと理解した者は、この世界にまだ誰もいなかった。
旗艦アルベリアのブリッジは、静かだった。
艦外のサイレンも、クルーたちの怒声も、分厚い装甲の向こうで別の世界の話になる。シオンは指揮官席に片膝を立てたまま、メインスクリーンに映し出された青い惑星を見ていた。
雲の隙間から、鉄の要塞が浮いている。光の刃が飛び交っている。
(また、戦場だ)
飽き飽きした、という感情ではなかった。もっと単純な確認だった。どこに飛ばされようと、窓の外には戦場がある。そういう星の下に生まれたのかもしれないとさえ、最近は思う。
シオンは、歴史学者になるつもりだった。戦争の記録を正確に残したかった。勝者の言語だけで書かれた歴史書は嘘をつく。なぜ戦争が始まったか、誰が何のために死んだか——それを正しく書ける人間が必要だと、二十歳の自分は信じていた。
軍に入ったのも、最初はそのためだった。内側から見なければ、正確には書けない。
だが実際に戦場に立ってみると、もう一つのことが分かった。正しく書くためには、正しく終わらせる必要がある。誰かが収拾をつけなければ、記録する前に全員死ぬ。気づいたら、自分がその「誰か」になっていた。
以来、退役届を書くたびに、どこかで戦火が上がる。書き終わる前に戦艦が動く。
(歴史学者になりたかった。なぜ退役できないのか。——根っこは同じだよ、まったく)
理由を一言で言うなら、「終わっていないから」だった。それだけだった。
「提督」
背後から声がした。シオンは振り返らなかった。声の主が誰かは足音で分かっている。
「何、エリオ」
副官の少年が、銀のトレーに磁器のカップをのせて立っていた。湯気が細く上がっている。
「紅茶です。アールグレイ。砂糖は入れていません」
「……ブランデーは?」
「入れていません」
間髪入れずに返ってきた。シオンはようやく振り返り、エリオの差し出すカップを受け取った。一口飲む。温かかった。
「エリオ。この戦いが終わったら、私はようやく大学に行けるかもしれないな」
独り言に近い声だった。エリオは答える前に一拍だけ置いた。
「はい」
それだけだった。「そうですね」でも「そうなるといいですね」でもなく、ただ「はい」。
シオンはもう一口飲んで、また窓の外に目を向けた。エリオがトレーを小脇に抱えて、すでに次の仕事に向かっている気配がした。
(あの子は、いつからあんな目をするようになったんだろう)
問いは、答えを出す前に戦場の喧騒に押し流された。
「各艦、最大警戒態勢のまま現状を維持。繰り返す、こちらから先制攻撃は仕掛けるな。……どうせ言葉が通じる相手には見えないからね」
ベレー帽を指先で弄びながら、シオンは冷徹に状況を分析し始めた。
「提督! 前方の異形のバトラー群、我が艦隊を敵と認識! 急速に接近してきます!」
「やれやれ、やっぱりそうなるか。第二分艦隊、左右を引かせろ。中央を開けて、敵を誘い込んでから対空レーザーで網を張る。撃墜が目的じゃない、威嚇だ。彼らの戦意を挫いて、一度この宙域から距離を置く。不条理な戦争に、付き合ってやる義理はないからね」
シオンの的確な、けれどどこか他人事のような指示によって、第13艦隊は驚異的な一糸乱れぬ動きを見せた。突撃してきたガルドス軍のバトラー機は、宇宙戦艦から放たれた精密な光条の網に阻まれ、近づくことすらできずに弾き飛ばされていく。
その神業のような艦隊運動を、下層の大気圏から必死に見つめている瞳があった。セラナの展望デッキで、リラは望遠鏡を握りしめ、カバンの中の本がかすかに共鳴するのを感じ取っていた。
「……信じられない。あんなにたくさんの、星の屑のように巨大な船の群れが、まるでひとつの生き物みたいに、一糸乱れず動いているわ……。ガルドスの凶暴な軍勢を傷つけることなく、けれど完璧に手玉に取っている。」
「ニエルさん! 一番大きな青い紋章のついたアルベリアという船に向かって、セラナの舵を切ってください!」
リラの突然の叫びに、ニエルは飛び上がらんばかりに驚き、振り返った。
「無茶を言うなよ、リラ! あんな巨大な鉄の塊の群れに近づいただけで撃ち落とされる!」
「いいえ、撃ち落とされません! あの船の主は、無益な殺生を一番嫌う人です! あの艦隊の動き方を見れば分かります! 参謀としての判断を信じてください、ニエルさん!」
リラの青灰色の瞳には、恐怖を通り越した確信の光が宿っていた。
「チッ……分かったよ、参謀様! 撃ち落とされたら化けて出てやるからな! 面舵いっぱい! 最大戦速で大気圏上層へ突入する!」
セラナのコンバーターが悲鳴のような爆音を上げ、船体はヴァルトとダーンの護衛を受けながら、シオンの待つ暗黒の宙域へと向かって垂直に突き上がっていった。




