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虚空のチェス盤

宇宙の漆黒を往く艦隊は、静まり返った巨大な鋼鉄の墓標の列柱に似ていた。

星の連邦軍第13艦隊。その旗艦アルベリアのブリッジで、シオンはいつものように指揮官席に片膝を立て、あぐらをかくような不格好な姿勢でメインスクリーンを見つめていた。


スクリーンの向こうでは、数千の光条が交錯し、冷徹な物理法則に従って数万の命が秒単位で爆散している。国家と国家の果てしない戦争。正義と正義の不毛な擦り合わせ。シオンは指先でベレー帽の縁を弄びながら、喉の奥に溜まった酸っぱい溜め息を飲み込んだ。


彼が仕える連邦の政治家たちは腐敗し、保身と利権のために兵士の命をチェスの駒のように消費している。一方で、敵国を率いる若き天才皇帝――リオネル卿の統治は、あまりにも鮮やかで、残酷なまでに全うだった。

(優れた専制政治は、愚かな民主政治に勝る。歴史はその事実を、嫌というほど証明している。一人の天才の慈悲に民の命を預ける方が、よほど効率的に人は幸福になれるのかもしれないな……)


それは、連邦の最高指揮官としては決して口にしてはならない、歴史学者崩れの男としてのあまりにも孤独な独り言だった。それでも自分が戦い続けるのはなぜか。その天才が死んだ後、あるいは独裁者へと変貌した後に、人類が再び迷い、歩き出すための「非効率な選択肢」を、歴史の片隅に細々とでも残しておくためだ。その歩みの過酷さを知るがゆえに、シオンの精神は誰よりも深く、激しく疲弊していた。

「提督。少し休まれては」

副官のエリオが、砂糖の入っていないアールグレイのカップを差し出す。シオンはそれを無言で受け取り、一口啜ると、狭い私室の寝台へと身体を横たえた。

それが、すべての始まりだった。



浅い眠りの底で、宇宙の漆黒とは全く異なる何かがシオンの意識に混ざり始めた。

冷徹な金属の匂いが消え、どこか懐かしい、濡れた土と緑の匂いが鼻腔をくすぐる。視界を染めたのは、燃えるような夕焼けだった。


気高い王女の面影と、感情を激しく波立たせる赤茶の少女の影が、交互に揺れた。色よりも輪郭が先に来た。どちらも知らない顔だった。でも知らない顔ではない、とシオンの深層意識の何かが告げた。

シオンの中で、何かが形を取り始めた。

『――賢者様……お会いしとうございます』

声だった。外から来たのか、自分の中から湧いたのか、眠りの底では判別できなかった。ただそこにあった。切迫していた。

「……っ」

ハッと目を覚ました時、シオンの額には冷たい汗が伝っていた。寝台の傍らのカップでは、アールグレイがすっかり冷め切っている。シオンはボサボサの頭をガリガリと掻きむしり、自嘲気味に呟いた。

「疲れているな、私は。脳が防衛本能で別の現実を捏造し始めたか。……こんなこと、エリオに話したら即座に軍医の精神鑑定室に叩き込まれるよ、全く」

シオンは冷めた紅茶を強引に喉へと流し込み、その奇妙な夢を、引き出しの奥へと無理やり押し込んだ。



だが、運命は彼を眠らせてはくれなかった。

艦隊が次なる未踏宙域へと静進する中、二度目の激しい前哨戦を終えた夜、シオンは抗えぬ睡魔によって再びあの深層意識の奈落へと引きずり込まれた。


今度の情景は、より生々しく、より重かった。耳を打つのは、何千もの兵士が泥を舐めて倒れていく戦場の風の音。硝煙の臭い。

あの二つの影が、また来た。

今度は映像より先に、言葉が来た。シオン自身の内側から、誰かの輪郭を借りて形になる言葉が。

『王政を知り、その正しさを認め……なおもその先にある、個の意思という名の苦しみを進む者……』

(なぜ、私の思想を……)

夢の中で、シオンは困惑した。これは自分の思考が作り出した問いかけだ。自分の内側にある言葉が、誰かの声の形を借りて返ってきている。それは分かった。しかし、なぜ今夜この言葉が来るのか、なぜあの二つの影と一緒に来るのか——そこに、シオンには答えがなかった。


夢の中の言葉が続く。

『その歩みの、その選択の過酷さを知る者の知恵が、この世界には要る……』

「要る、か」

シオンは夢の中で呟いた。起きているのか眠っているのか分からない場所で、歴史学者の思考だけが静かに動いていた。

世界のどこかに、そういう場所がある。その感触だけが、目覚めた後も消えなかった。



そして、現実の宇宙が弾けた。

第13艦隊が漆黒の虚空を整然と進んでいた、まさにその瞬間。全艦隊のレーザー信管や超跳躍機関が、一斉に意味不明なエラーコードを吐き出した。ブリッジの照明が怪しく明滅し、オペレーターたちの報告が響き渡る。

「提督! 重力波異常! いえ、これは物理法則そのものが歪んで――」

次の瞬間、宇宙のすべてを覆い尽くすような、まばゆい白銀の光の波が、数万キロに及ぶ艦隊の全艦艇を静かに、そして完全に突き抜けた。

「何だ今のは!?」

エリオが叫び、フレアが端末を押さえる。その喧騒の真ん中で、シオンだけは動かなかった。

光が通り抜けた瞬間、シオンの意識の深いところで、あの感触が戻ってきた。夢の中で感じていた、世界のどこかに引かれていく感触。それが今度は、目を開けたまま来た。


夢と現実の境界が、一瞬だけ溶けた。

『――賢者様、お許しください。あなたを、私たちの泥塗れの戦いへと巻き込む無礼を』

声が来た。自分の中から来たのか、外から来たのか、今度も判別できなかった。判別しようとした瞬間に、答えが意味を失う気がした。


「やれやれ……」

シオンが諦念を込めて呟いた瞬間、メインスクリーンの向こうにあった美しい星の海が、飴細工のようにぐにゃりと歪んだ。

光の波が収まったとき、アルベリアの眼下に広がっていたのは、暗黒の宇宙ではない。見たこともない紫色の不気味な雲海。そしてその雲の隙間から、中世の平原と、天空を傲然と浮遊する巨大な鉄の城の禍々しい姿だった。


見たことがある、とシオンは思った。映像としてではなく、もっと奥の場所で。

「エリオ、敵性反応の分布を出してくれ」

シオンはそれだけ言って、指揮官の顔に戻った。


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