第5章-3
『来タカ……火ノ賢者トナリシ、カツテノ近衛ノ騎士ヨ』
大蛇は少し頭を上げた。それなりに距離はあるのだが、かなりデカい。あの胴に巻きつかれたら、骨を砕かれそうだ。
ていうか、レントは近衛の騎士だったのか。
「ジェドの核を壊さず、ここに封印したのはお前か?」
レントが声を上げた。大蛇は二、三度舌を出し入れすると、ゆっくり口を半分程開いた。
『ジェディード、ハ、ヒト殺シ、デハナイ』
「はぁ?」
『ジェディード、ハ、ヒトヲ殺シテイナイ。ダカラ、私ハ、核ヲ砕カナカッタ』
「どういうことだ?」
レントの心境は、苛立ちというより戸惑いのほうが大きい。大蛇はつまり、ジェド(ジェディード)は無罪のはずなのに処刑されたと言っているのだ。
事件の背景は、ジェドがヒトを殺したこと以外さっぱりわからない。本当に無実だったとして、どうしてそのジンブツが捕われ、裁かれたのか。
「そもそもジェドが自らやったと吐いたんだ。それはお前も知っていたよな?それは虚偽だったと言いたいのか?その証拠は?」
戸惑いから憤りに変わっていく。レントが纏う負の感情の靄が、灰色から黒へと濃くなり、そして増えていく。……この現象は俺しか見えていない。
『私ハ、死刑ガ確定スル前ニ、ジェディード、ガ、無実デアルト訴エタ。シカシ、オ父様、ハ、聞キ入レテクレナカッタ。ジェディード、ガ、白状シタコトガ全テダカラ、ト』
大蛇が少し動いた。レントはメイスを構える。ヘイレンも杖を取り出す。俺はもう少し様子を見てみることにした。
『ジェディード、ハ、ヒト殺シ、デハナイ』
「それはさっき聞いた。お前は何を知っている?ジェドから何を聞いた?」
横で、ヘイレンの杖がぼんやりと光り出した。
『ジェディード、ハ、私ヲ、カバッタノダ』
「……は?」
シャー!と耳につく音と共に、紫色の液体を吐き散らした。が、それはヘイレンの魔法で相殺された。
『殺シタノハ、私ダ!』
……これはめんどくさい展開になってきたな。真はんにんが目の前の大蛇だと?ああなる前はヒトの姿だったにせよ、突然の自白に戸惑いが残る。
レントが飛び出した。ヘイレンが「えっ」と面食らう。後を追わねばならない状況になってしまい、思わず舌打ちをした。
「行くぞ」
棒立ちなヘイレンの背中を軽く叩いてから、レントの後を追った。
「あ、待って!」
ヘイレンが慌ててついてくる。一瞬で追いつかれた。こいつ、足速すぎるだろ……。
大蛇のすぐ近くまで来て、足を止めた。視界には巨大なとぐろ。しかしそこから、わずかに白い靄がかかっていた。
靄じゃない。霧だ!
「アルス、上!」
ヘイレンの叫びに、ハッと頭上を見ると、紫色の液体が落ちてきていた。右手をかざし、右眼を光らせた。液体はぐにゃりと曲がり、靄となり、右手に吸収されていった。
全身に痛みが走る。こんな使い方をしたら、身体への負担は当然重い。しかし、避けられる時間もスペースも無かった。己の力を増幅させられる点では良いのだが、苦痛が続くのは今はまずい。
……ああ、取り込むのではなく、今受けたものを返せばいいじゃねぇか。右手に魔力を瞬時に溜め込むと、黒と紫が入り混じる塊が生成された。それを波動の如く、ぶっ放した。
それは、大蛇の大きな口にズボリと入った。大蛇は口を閉じて頭を振った。とぐろが緩み、白い霧が流れ出た。短剣の柄を握り魔力を込める。刃の無い鉤爪に変化した。相手を切り裂いたり刺したりはできないが、素手で殴るよりはダメージはある。
地面を蹴って、緩んだとぐろに飛びついた。それに反応して大蛇の胴がむずりと動く。
締め上げられることはないはずだ。
なぜならそこにはミスティアがいたのだから。
目を閉じて大蛇の胴に身体を預けるミスティアを揺さぶろうと触れた腕が、冷たい。
「……ティア!」
叫んだが反応しない。彼女の身体を引き寄せ、抱きしめた瞬間、とぐろが締め上げた。
「んぐぁ!」
ミスティアの冷たい身体ごと、大蛇は容赦なく力を込めてくる。どうにかこうにか左手を動かして胴に触れると、魔力を込めた。赤と紫の入り混じった小さな炎が、胴を這った。とぐろが再び緩んだ。さらに闇の靄で追い討ちをかけると、胴はぐねぐねと動いた。視界が開けた。ミスティアを抱き上げて、とぐろから脱した。
岩肌の洞窟を沿うように大蛇から逃げる。洞窟の裏に、ヒトが隠れられそうなスペースがあった。足元はゴツゴツした岩が重なっていて、転びそうになる。
大蛇の視界に入らなさそうな場所まで着いて、ミスティアをおろす。大きめの岩に寄りかかるようにして、手首で脈を確認する。それはぴくぴくと、彼女が生きていることを知らせていた。
「ティア」
普通に呼んでみて、肩を掴んで軽く揺さぶってみる。反動で首が左に傾いた時、「ん」と小さく声が漏れた。
ゆっくり目が開き、青色の眼が現れる。
「……アルス?」
「大丈夫か?」
しばし見つめられる。次第に覚醒してきて、目が見開いていくと、突然抱きしめられた。あまりのことに硬直してしまったが、冷たかった彼女の身体はすっかり暖まっていた。
「……い、生きてる、よね?私」
「……ああ。ここは現実世界だ」
「アルは?」
一瞬自分のことかと勘違いした。俺じゃねぇよ、アルティアだろ。
「ヴィルヘルで保護してたが、翡翠の王の討伐のためにこっちに向かってきている。まだ姿は見てねぇが」
「そんな……だめよ、来たら記憶を継承させられる!」
立ちあがろうとするミスティアを、腕を掴んでおさえた。
「落ち着け。今はお前の力が必要なんだ」
「私の?」
「翡翠の霧、囚われし者の御魂を消す」
「……何それ?」
「レントの宿している精霊が述べた言葉だ。囚われし者は、お前を包んでいた大蛇、核の守護者だ。その御魂を、霧の魔法が使えるお前が消す」
「……翡翠の霧なんか出せないわよ」
確かに翡翠「色」の霧は見たことがない。少し絶望感を覚えたが、思い至った言葉を吐き出す。
「翡翠の護石」
「え?ああ、あの石……」
ミスティアは腰に手を当て、自分の腰を見た。
「……ない。無くした」
顔が青ざめていくのを宥める。
「レントが持ってる」
「本当!?」
「ああ。だから、あいつから護石を返してもらったら何とかなるか?」
「あれを持って霧を放てばきっと……やってみるわ」
互いにひとつ頷いた。
大蛇の動く音と魔法がぶつかる音、鈍器で殴られるような音が大きくなってくる。岩陰に隠れて様子を窺う。レントがメイスで大蛇の頭を殴っているが、怯んでいる様に見えない。対する大蛇も口を開けて噛みつこうとするが、あっさりかわされている。
その一方で、ヘイレンが胴体に向けて白い光を放っている。皮膚がピリッと少し痺れる感覚があるので、あれは聖属性だ。大蛇の胴はとぐろが巻けないくらいに短くなっていた。魔力によって切断された片割れが、洞窟の前に転がっている。……あの片割れは使えそうだ。
「アルス、あれ」
背後からミスティアが大蛇に向けて指差した。ちょうどレントが大蛇の後頭部付近をぶん殴ったところだった。傷はつかないものの、叩かれた瞬間、肌が翡翠色に色づいた。それはすぐに消えてしまったが。
「あのあたりに大蛇の石……核があるのかも。あれを使って翡翠の霧を生み出せる気がする」
あの色づくところをぶった斬れば、核が現れるか。レントから護石を取りに行く暇もないし、ミスティアの言葉を信じるか。
「……魔力を貯めてここにいろ。俺の合図であいつの核に魔法を放て」
「アルスは?」
「俺はあれを取りに行く」
ミスティアは片割れに目をやった。
「あれをどうするの?」
「……武器になる」
「尻尾?振り回せばそうかもしれないけど、弱そう」
そりゃあ、あれのままでは使えない。「とにかくあなたの合図を待つわ」と言って、ミスティアは岩陰に引っ込んだ。
足に魔力を少し込めて、地を蹴った。大蛇がこちらに振り向いたような気がした。威嚇するような声をあげている。無視して片割れを拾い上げ、尻尾の先付近を両手で握って魔力を込めた。
片割れは紫を帯びた光を放って変化していく。持った部分が柄に変わる。手を下げたまま大蛇に突進する。牙の折れた口からは血を垂らし、片目も潰れている。随分とボコボコにされたもんだな。
鎌首を振り落としてくるのを難なくかわし、腰を少し落としてから、腕に渾身の力を込めて、変化した片割れを振り上げた。
片割れは鋭く大きな刃に変わり、大蛇の首元を、鈍い音と共にぶった斬った。大蛇の頭が宙を舞う。そこからポロッと出てきた、翡翠色の丸い光……。
「ティア!」
叫んだ。同時に、白い霧が勢いよく翡翠色の光を包み込んだ。霧は翡翠色に変わり、ぱきん、と割れる音がした。霧は大蛇の胴も包み込んだ。頭は浜辺にドサっと落ちて、少し転がったところで霧に捕まった。
手に持っていた大剣から魔力の供給をやめると、尻尾の形に戻っていった。それを軽く白い霧に向かって投げ入れる。霧は瞬く間にそれを喰らっていった。
霧が晴れて、核の守護者の姿は跡形もなくなっていた。岩陰から出てきたミスティアに、ヘイレンが駆け寄ると、互いに何も言わず抱擁し合った。
「……見事なもんだな、尻尾を剣にしちまうとは」
ふたりの和やかな様子を横目にレントが寄ってきた。護身用の短剣を鉤爪に変える力を持っているので、魔物の身体の一部を武器に変えることもできるのだが、短剣以外のものを変化させたのはいつぶりだろうか。
しかし、かなりの魔力を使ってしまった。身体が重いし呼吸が荒い。
「大丈夫か?この後が本番だぞ」
翡翠の王の討伐が本来の目的だ。僕の討伐でヘトヘトになっていては、当たり前だが身が保たない。
「アルス、これ飲んで」
再会の儀を終えたヘイレンがポーチから取り出したのは、エーテルだった。
「俺も持ってるんだが……」
「それじゃああんまり回復しないんじゃない?」
「……なぜそうとわかるんだ?」
と言いながらポーチからエーテルを取り出したが、彼の持っていたそれのほうが良いやつだった。
……なんだこの敗北感は。
「簡易食料をくれた時にチラッと見ちゃった……」
意地を張って断ろうかと思ったが、そんな暇はない。
「……すまねぇな」
ここはありがたくいただいた。甘くとろっとした水分が喉を潤していく。少しずつ飲んでいる間、レントが洞窟に近づいて中の様子を窺おうとしていた。
足元がずどん!と揺れた。エーテルを落としそうになる。ヘイレンは踏ん張って、ミスティアを支えていた。
「待て、レント!」
調べるのはエーテルを飲み切ってからにしてくれ!と続けたかったが、都長はひとり勝手に洞窟へと入って行ってしまった!
「あいつ……!」
翡翠の王……ジェドに囚われたら、レントの役目は誰がやる?誰も代わりにはなれない状況に戦慄する。残ったエーテルを飲み干して、洞窟へと駆け出す。入口を覗くと、やや離れたところでレントが見上げていた。
「レント!」
洞窟に入ろうとして、弾かれた。
「なっ?」
見えない壁がある。手を挙げて少し前へ出すと、低い音と共にベールがここにあると主張した。
「壁はお前か、レント?」
尋ねるも無視される。よく見てみると、どうも取り込み中のようだった。レントの視線の先に、ジェドの核があるのだろう。構えつつも、少し見守ってみる。
「……お前さあ『自分がはんにんだ』なんて言ったのはなぜだ?弟が吐いたぞ、殺したのは自分だって」
あの大蛇が、まさかジェドの弟だったとは。複雑な気分になる。
「……核を砕かず今のように封印してお前を『死』から守った。弟なりの贖罪かわかんねぇけど。それなのにお前は……魔物に変えて自分の守護者にして。どうしてそんなことを?俺たちに話していないことがあるんじゃねえか?」
どぅん、と波動が身体に伝わってきた。レントが少し退がって、胸元を押さえた。
「くっ……」
中に入れない苛立ちと、レントの身によからぬ事が起こりそうな不安。無駄に見えない壁を殴って叫んだ。
「レント!これを解け!壁を!」
……俺の声は届いていないようだ。
「アルス、どいて」
無我夢中でドンドン叩きまくっていて気づかなかった。背中を1回軽く突かれて何だと振り返ると、そこに立っていたのはグリフォリルだった。
「一発かますから、どいて」
「お前……レントがいるんだぞ、ブレスで諸共にやるつもりか?」
「それくらい避けるだろ。いいから早くどいて。一緒にコッパミジンになりたいか?」
耳を絞ったので、これ以上食い下がることをやめた。洞窟の入口から離れ、数歩進んだところにヘイレンとミスティア、そして、シェイドが立っていた。
アルティアは瞬時に口元に魔力を集めると、躊躇なく放った。強固だった見えない壁はあっさり壊れ、ここからは見えないが恐らく核の祠をも破壊したようだった。
翡翠の光が、洞窟から飛び出した。それは玉の形となって俺たちの頭上を抜けていく。小さく何度か旋回して、10馬身程離れて浜辺に着地した。
光は少し大きくなって、それから黒い物体を中央に生み出した。急に強い魔力を感じ、皆一斉に構える。
すっ、とシェイドが横に来て、手元に差し出してきたのは、刃を布袋で保護した短剣だった。用意周到な兄にはかなわねぇな……。
思念でお礼を伝え、新しい短剣を取り出した。丁寧に研磨されたそれを鉤爪に変えた時、翡翠の光玉が形を変えた。
それは、ヒトの姿となった。しかし、顔ははっきりしない。ぼんやりとヒト型の感じだ。紫と黒の靄を纏いだす。
……処刑されることへの覚悟と、処刑されることへの不服。ヒトを殺したという事実を自らが背負うと決める一方で、代わりに処罰されることへの罪悪感。王の側近という立場のままでいてくれと願う兄と、事実を捻じ曲げてまで生きたくないと訴える弟。
兄は職に就けない身にこの先未来はないと絶望していた。弟の大罪を知り、弟にこの件は自分がやったということにしろと言った。当然弟は反発した。過ちを素直に認め、然るべき制裁を受けるのはワタシだ、と。
ジェドは弟の額に触れ、唱えた。
『これは俺の罪。お前は生きろ』
弟が次に目覚めた時には、ジェドは収監され、処刑を宣告されようとしていた。王に兄は冤罪だと訴えようとも、ジェドが自白した事実がすべてだ、と言って首を縦に振らなかった。
処刑当日、ジェドは王に核を抜かれた。それが弟に託された。被害者の故郷で、この核を破壊せよ。それが王令だった。
弟は海の底へ行った。小さな浜辺の、小さな岩肌の洞窟。そこに祠をこしらえて、核を封印した。ジェドの核を壊す資格などない。ワタシの核が壊れるべきなのだから。弟は王に偽りの報告を共鳴(コア族特有の思念会話)で行った。
『核を壊しました』
『……よろしい。では戻ってきたまえ』
弟は戻らなかった。王との共鳴を断つと、ジェドの核に共鳴した。
『ワタシは王に背いた。偽りの報告をした。……ジェディードにワタシの身体を。ワタシの核を壊せ』
ジェドの核はぼんやりと光ると、弟を飲み込んだ。
『生きろと言ったのに。どうしてだ?』
『ワタシの罪をかぶるなど、それこそどうしてだ?』
『言っただろう、俺に未来はないと』
『それはあんたの思い込みだろ!』
『あの身体で、この先どう生きていけと?』
弟は言葉を飲み込んだ。
『……もういい。王に背くなど取り返しのつかないことをしたのなら……望み通りにしよう』
ジェドの光は弟の身体に突っ込み、核を押し出した。がくんと身体がそり返ると、そのまま光に包まれた。聞くに耐えない音がしばらく続き、光が消えた時には、ジェドは弟の姿となって蘇っていた。
押し出した核が浮遊している。ジェドはそれに手をかざす。翡翠色の霧を放ち核を収めると、たちまち大蛇の姿へと変化した。
『お前は俺の核の守護者となれ。この地を離れ、新たな身体で、新たな場所で生きろ。どう生きていくかは、お前に委ねる』
ジェドは大蛇を放った。
大蛇はとある島……アビエル島の湖へ辿り着き、いつか訪れるであろう島の住民を待ち続けた。
ヒトを喰らうために。
この記憶を継承するために。
「……なに、これ」
シェイドがぽつりと呟いた。互いに靄を吸い取り、互いにジェドの『過去』を見た。数年前というものではない、百年単位のものだろうなと、兄弟で意見が一致した。
「あなたたち……どうしたの?」
ミスティアが心配そうに見つめていたが、今見たものを話す時間などなかった。ヒト型の光玉が光を放ってきた。ヘイレンがバリアを張ってそれを跳ね返した。それは洞窟に当たると、岩を少し砕いた。
『……記憶ヲ、喰ラッタ、闇ノ魔族。継承者ニハ、我ガ核ヲ捧ゲヨウ』
「はぁ?ちょっと、あなたたちのことよね?どういうことよ?継承者が変わってるじゃない!」
突然ミスティアが怒り出す。混沌としてきて、俺もシェイドも戸惑うしかなかった。ヘイレンも唖然としている。
そうこうしているうちに、ヒト型……ジェドが自らの核を引っ張り出した。その翡翠はくすんでいて、お世辞にも美しいとは言えなかった。
ジェドは様々な闇をたっぷりと含んだ核を浮かせると、俺に向けて飛ばした。張られていたバリアを突破して、避ける暇もなかったが、胸元まで来て、身体に食い込む前に、白い霧が核を飲み込んだ。
咄嗟に距離を取った。霧は、先ほどのように核を壊すまでには至らなかった。核が霧を消してしまい、再び翡翠の光を煌めかせると、再びこちらに飛んできた。今度は避けられたが、旋回してまた来た。
小さな核を狙って鉤爪で砕うなんて、俺には無理だった。ひたすら逃げ回ることしかできなかった。シェイドやヘイレンが魔法を放ったり、ミスティアが霧で包んだりしてくれたが、どれも効いていない。こちらの体力が尽きる前にどうにかしないと。
しかしついに、翡翠の核に捕えられてしまった。浜辺の小石に足を取られバランスを崩したところへ、それが突っ込んできた。倒れる拍子で避けられたが、起き上がる瞬間に背後から貫かれた。
「アルス!!」
ミスティアの悲痛の叫びがこだました。身体がカッと熱くなる。胸を押さえて闇を吸い出す魔術で核を取り出そうと試みたが、力が入らない。
転がって仰向けになった時、シェイドが手をかざした。同じ魔術で代わりに取り出そうとしたが、心の臓が悲鳴を上げた。
「ぅあ……やめ……」
これは俺が死ぬ。ダメか、と兄は呟くが、手を緩めようとはしない。視界が徐々に狭まっていく。意識が無くなりかける。
突然、右腕に噛みつかれたような痛みが走った。身体が浮き、放り投げられた。宙を舞いながら、白く細い光がこちらに伸びてきて、胸を貫いていくのを、ゆっくりとした時の流れで見ていた。
身体から熱が引いた。核が抜けていったのか、意識が旅立ったのか、もはやわからなかった。
その白く細い光は、アルスの胸元を貫いた。鮮血と共に、翡翠色の光玉が飛び出し、洞窟の壁に激突した。
シェイドが落ちてきたアルスを抱え、ボクが彼の傷に治癒の力を注ぐ。その間に、グリフォリルが光玉を素早く追いかけ、追いつき、パクリと食べた。
「アル!」
ミスティアがアルティアを追った。幻獣は口を閉じたまま、じっと姉を見つめていた。追いついたミスティアは一息ついてから、弟の額に自分の額を当てた。そこからしばらく、姉弟は動かなかった。
ふたりを気にしつつ、アルスの傷を癒す。外傷は塞がったが、意識はまだ戻らない。体温も下がっていた。シェイドが装備していた鉤爪の先を、自分の腕に浅く刺した。流血し始める傷口を押さえると、次第に紫色のオーブが出来上がった。
「自分の血で、オーブを……」
目を丸くするボクに、シェイドは微笑する。
「治癒魔法もあるんだけどね、こっちのほうがアルスには即効性があるから」
手のひらより少し大きめのサイズまで成長したところで、シェイドはボクの手の隣にオーブを置いた。それはするりと一瞬で身体に入り込んでいった。
「……あとは任せて。ヘイレンはミスティアたちを。あの光玉を取り込むことをさせてはいけない」
「わかった」
魔法を止めて立ち上がり、姉弟のもとへ走った。ふたりはまだ互いの額を合わせたままだった。2馬身程の距離を取って様子を窺いながらも、光玉はアルティアの口の中だが、飲み込んでいたらどうしよう、と不安になる。
その時、アルティアの口元を白い霧が覆った。ミスティアが出したもののようだ。幻獣は閉じていた目を開くと、ぐぅ、と唸った。
「アル、核を。あなたは継承者にならなくていい。私もならないから。お互いに、継承を放棄しましょう」
この文明を終わらせる。記憶を継承して終わらせるのではなく、記憶を放棄して終わらせる。
「こんな記憶……継承したところで何になるの?弟の代わりに処刑されるなんて過去、いらないでしょ」
……確かに。ただ、弟はいったい誰を殺したのかがつい気になってしまう。
「ジェドも『この身体でどう生きろと?』と嘆いてるけど、もうどうでもいいじゃない」
ミスティアは呆れ返っている。アルティアも目がじとっとしている。耳もだらんと力を抜いて、姉に同情しているようだった。
「そろそろいいかしら?」
ミスティアは額を離した。アルティアは耳を立て、目つきもキリッとしたそれに変えた。互いに小さく頷くと、ミスティアは数歩退がって、ボクの隣に立った。
「ヘイレン」
突然呼ばれて身体がビクついた。「はい」の返事した声が裏返ってしまったが、彼女は全く気にしていなかった。
「これからアルが核を離す。それを霧で覆って動きを止める。今までの力ではどうにもならなかったけど、私とアルの力を混ぜた霧ならきっと……。残った力を全部使うつもりでやるわ」
彼女の言葉に、黙ってひとつ頷く。
「……でね、そこにあなたの力を加えて欲しいの。聖なる力で、塊を封じて欲しいの」
「あの……封印効果のある魔法を知らないんだけど、ただボクの魔力で更に覆えばいいの?」
シェラの氷魔法には封印効果のものがあるが、ボクにそんな効果のある魔法が出せるのだろうか?呪文も無く自分の「想い」で魔法を出したことは何度かあるけど、もしかしたら「封印しろ!」と念じればできちゃうのかな?
「……ねぇ、あなたのポーチに何か入ってない?強い魔力の塊……魔法石か何かかしら?」
今のミスティアは、いつも以上に魔力を感じやすくなっているらしい(彼女自身も少し驚いていたが)。ポーチに手を突っ込み、シェラから受け取っていた召喚石を取り出した。ほのかに黄色く光っていた。
「フィリアの召喚石。シェラが一緒に行けない代わりにって。ボクの言うことを聞いてくれるんだって」
フィリアは光属性の召喚獣。姿は獣ではなく大鷲だけど。ミスティアは少しの間、召喚石をまじまじと見ていた。
「……封印する力は持っているのかしら?」
「わかんない……。フィリアの力は、封印がうまくいかなかった時の切り札に使う方がいいかもしれない」
「そうね、そうしましょう」
「封印できるかわからないけど、とにかくボクも魔法を放って抑えてみるよ」
「……お願い」
お互いに頷き、そして、アルティアに視線を向けた。
「アル!」
ミスティアの合図で、アルティアは口元を光らせた。放たれたブレスと一緒に、翡翠の光玉が飛んでいく。それをミスティアの白い霧が包み込んだ。霧がどんどん送り込まれていく。翡翠色の光は薄まったり濃くなったりを繰り返す。
ボクは手をかざした。白い光を手元に溜めて、放つ瞬間に念じてみた。
あの光玉を、封じろ!
白い光は霧を、翡翠を包み込むと、黄色い糸状の光が毛糸玉を作るようにぐるぐると包んでいった。まさか本当に封じようとしている!?
刹那、両手に抵抗する力を感じた。グッ、と引っ張られる感覚。身体が少し引き寄せられた。足に力を入れて踏ん張る。糸状の光の速度が落ちていく。
「封じようなんてムリだ!力が奪われてる!」
アルティアが叫ぶ。糸がほつれ始めた。凝縮されていた霧が広がり始めた。それでも必死に魔力を注ぐ。
使い過ぎると魔漏症になる。
ふと思い出した。このままいけば、あの時のようなとんでもない魔力を放てるかもしれない。けれども、初期症状は魔力のムラ……出し続けているのに力に強弱が生じる……が出ているかわからない。身体が痛痒いこともない。発症するまでに、翡翠に負ける気がする。
そういえば、ヒト型のジェドはどこだろうか。核に夢中になっていて見失っていた。相手の力に耐えながら周りを確認する。それらしき姿は見えなかったが、アルティアが口元に光を溜め込んでブレスを放とうとする姿は見えた。
「破壊する!オレが……オレが全てを終わらせる!」
すごい魔力だ、と感心してしまった瞬間、翡翠が強く光り、ボクたちの魔法を跳ね飛ばした。波動でミスティアが吹っ飛ぶのを、咄嗟にかばった。彼女を抱きしめ、自分が地面に強く叩きつけられ、滑っていった。
波打ち際のすぐそばで止まったが、喉の奥から鉄の味のするものが登ってきた。
「かはっ!」
鮮血が飛び出したが、かろうじてミスティアを避けられた。全身が痛み、動けない。片手を天に掲げ、バリアを張るまではできた。
「ん……へい……れん?」
目覚めたミスティアは、そばの血飛沫を見て、飛び上がった。
「あなた……その血……」
口元を、ミスティアの指がなぞっていった。痛みがどこかへ行った。……と思ったけど、帰ってきた。
「うっ……」
「……動けない?」
「うん……痛い。折れちゃった……かな?」
自己治癒に集中すればすぐに治るはずなのだが、魔力が……ない。あのバリアで尽きたかもしれない。
と、ミスティアが霧を出した。それに包み込まれると、痛みが少し引いて心地良くなった。彼女の魔力も、もう限界だろうに、使わせるなんてと罪悪感が募る。
「……アルに託すしかないけど、ああ……アル……」
アルティアのブレスならきっと、と一瞬期待したが、その希望も消えかけている。ミスティアが見る限り、幻獣のブレスは光玉の動きを止めるまでで、破壊にまでは至っていない。
ポーチに手をやり、フィリアの召喚石を取り出そうとしたが、それらしきものに触れられない。叩きつけられたあたりに転がっているのが見える。ジェドがあの存在に気づき破壊してしまったら終わりだ……。
『継承者……アルティア、我ガ全テヲ、其方へ!』
姿の見えないジェドの声だけが脳内に響く。幻獣の駆け回る足音、羽ばたく音、ブレスを放つ音。波が引いていく音……。
「えっ……?」
ミスティアも思わず手を止めていた。ボクたちが見た光景は、この空間を囲んでいた水が引いて、さらに広い空間へと変わっていく様子だった。水(海)がかなり遠くまで枯れていった時、ぼんっ、と小さく音がした。
その方向は、ボクたちが城から出てきたあの扉だった。フレイが武器の先に火を宿している。水が引いたことで、使えないはずの火属性が使えるようになっていたのだ。
洞窟から物音がした。今度はそちらに目をやると、赤く光ったメイスを持ったレントがゆっくり出てきたところだった。
火の賢者に宿る殺気だった力に、思わず身震いした。




