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第3章-3

 ヘイレンはダーラムの大きな門を出てすぐの場所で、シェキルを捕まえることができた。……というか、シェキルの相棒の蒼竜ヘルトがヘイレンの気配を感じて飛ぶことをやめて待っていたらしい。


「先生を追いかけるんだろう?乗って」


 シェキルに言われて面食らった。ヘルトの前脚を借りて背中に登り、蒼竜騎士の後ろに跨った。


「その前に。アルティアの居場所がわかった」

「えっ」

「闇の国ヴィルヘルだ。アルスと一緒に向かったと、先ほどレントから聞いた」


 厩舎に向かうと、レントとフレイが騎士たちと話をしていたらしい。そこで一緒に話を聞いたそうだ。


「闇の国の王がアルティアの保護を要請し、これをアルティアが承諾、天空界へ向かった、ということだ。ひとまずアルティアは無事だとわかってホッとしたよ」

「そうですね。よかった……。でも」

「問題は先生だな。……そこにいるんだよ、彼女」

「えっ?」


 白い霧でヒト影すら見えないのだが、ヘルトがじっと睨んでいるその先に、ミスティアは立っているらしい。同じくこちらを睨んでいる……とヘルトが伝えてきた。


 確かになんとなく、意識するとヒトらしき気配は感じ取れた。が、どうにもひとりではないように思える。


「シェキルさん、ミスティアともうひとり気配を感じたんですが……翡翠の王でしょうか?」

「なんだって?記憶を継承してしまっていたら、『王の気配』は無さそうな印象なんだが……どういうことだ?」


 ヘルトが翼を広げて唸った。


「掴まれ!」


 背中の角を掴んだ瞬間、重力がどっとかかる。スレスレに水のようなものが通り過ぎていく。


「やむを得ん。ヘルト!」


 (あるじ)の号令で、蒼竜は魔力を溜めた。青白い光が口元に集まると、どん!と一発放った。ミスティアはあっさりと回避した。ヘルトの一発は円形に地面を抉った。……霧が晴れた。


 ヘルトは避けるミスティアに何発も魔力の玉を放っていた。ミスティアも、避けては霧の魔法を放ち、を繰り返す。その身のこなしは、いつかどこかで見たような気がしていた。誰と似ているんだろう……?


「先生って、こんなに動けるヒトだったか?」


 医師とは思えぬ立ち回りに、シェキルも唖然としていた。ヘルトはその場で浮遊しながら攻めている為、ミスティアが放つ霧の魔法を受けているわけだが、怯む気配がない。時々ヘイレンたちにもかかってきたが、冷たくて少し湿ったくらいで、痛くない。


「ミスティア……本気でやってなさそう?時間稼ぎしてる?」


 ヘイレンの呟きに、シェキルはううむ、と唸った。そうしているうちに、ヘルトの光がミスティアを捉えた。


「ああっ!」


 ミスティアは感電したようにビリビリと発光し、光が消えたと同時に倒れた。ヘルトはゆっくり降下するが、その間にシェキルが飛び降りた。ヘイレンにそんなことはできないので、蒼竜の背の上で様子を窺う。


 シェキルが駆け寄った直後、ミスティアと取っ組み合いになった。グッ、とヘルトが短く唸る。感電が効いたのかその取っ組み合いは長くは続かず、シェキルがすぐに取り押さえた。ヘルトが着地したのを見て、ヘイレンは素早く降りた。


「翡翠の王よ、ミスティアを解放してもらおうか」

「……違う」


 ミスティアはシェキルをまっすぐに見ていた。


「違う……とは?」

「……わ、たしが……受け入れたの。私の意思で、王の記憶を継承しようとしたの」


 受け答えがしっかりしている。ミスティアは、自我を失ってはいなかったようだが、シェキルを睨む眼は怖い。


「どうしてだ?アルティアを王にさせないためか?でもそれは、アルティアが受け入れるとでも?」

「双子は厄災の種……アルはもう、身を捧げている。私はまだ……だから、捧げないと……厄災が……」

「ミスティア!」


 ヘイレンは叫んだ。彼女の身体が少しびくついた。


「そんな言い伝え、本当だったらもっと前に厄災起きてたんじゃないの?単に贄が欲しかったから、こじつけたんじゃないの?」


 根拠のない適当なことを咄嗟に口にしていた。当然ミスティアは唖然とする。


「翡翠の王……あんたはミスティアを贄じゃなくてヒトジチにしようとしたんじゃないの?アルティアを誘き寄せるために!ミスティアを苦しめないで!さっさと出てこい!」


 ヘイレンはミスティアの肩を掴み、魔力を込めた。眩い光がフラッシュする。彼女の身体から『もうひとつの気配』が抜け出した。翡翠色の光はヘイレンたちと距離を置くと、その姿を露わにした。


 それは、骸骨だった。胸元は翡翠色に光っている。


 いつでもバリアを張れるように構えると、骸骨は口を動かした。


『この記憶を、そのものに継承させろ。村が滅びようとも、ヒトビトが死に絶えようとも、我を滅ぼすことはできぬ』


 ヘイレンは少し首を傾げた。なんだろう、この感覚……記憶を継承させることに義務感?を持っている。それは、この骸骨の意思ではなく、『仕方なくやらなければならない』気持ちで動いているような……?


「……誰に命ぜられた?」


 ヘイレンの背後でシェキルが問うた。


「あなたで何代目なのかはわからんが、継承させることは王としての『義務』なのか?あなたの意思で継承させようとしているようには思えない。あなたの後ろに、あなたを操るヒトがいるのではないのか?」


 ヘイレンの感覚は、間違っていなかったようだ。骸骨は黙り込んだ。


「あなたが持つ記憶の継承者は、ここにいるミスティアでないといけないのか?先日まで追いかけていたグリフォリルではなかったのか?彼は継承を拒否しているが、継承することを条件に彼をヒトからグリフォリルに変えたのではないのか?」

『グリ……フォリル……条件……』


 骸骨なので表情は見てもわからないが、明らかに動揺の色が見える。


「もう一度問う。この継承は義務なのか?あなたの意思で、継承させようとしているのか?あなたを操るヒトがいるのではないか?」


 骸骨の胸元が強く光った。が、それも一瞬だった。光が弱まると、黒かった骸骨の目が赤い光を灯していた。戦慄を覚える。何度も相まみえたあの魔導士を思い出す。


『継承は……代々行われてきたもの。途絶えさせてはならぬもの。そこに意思はない。我を操る者もおらぬ。しかし……』


 骸骨は一呼吸置いた。


『……翡翠の王の(めい)で継承者を追い求めている、と言い換えれば、我を操る者は翡翠の王となるか』


 ちょっとわかんなくなってきたな……。ヘイレンは首を傾げる。


 ボクたちの目の前にいる骸骨は『翡翠の王』だよね?それとは別の意識……王の記憶を継承したジンブツの意識も、この骸骨に宿ってるのか……な?


「継承は絶対的なもの、か。しかし、王の命令でというのは……あなたは翡翠の王ですよね?多重ジン格者のようになっているのか?」


 シェキルも困惑していた。『一つの身体に複数のヒトの意識がある』という現象は、普通のヒトでもあることらしいが、まさかこんな骸骨でも起こりうるのか。


「あなたは……何者ですか?」


 ヘイレンがそう問うた途端、空気がきん、と冷えた。雑音が抑えられ、皆の息遣いが鮮明になる。


『我は……』


 骸骨は胸に手を当てて、少し間を置いた。


『……翡翠の王の、核を守るもの。我は……かつて贄として、湖に身を沈めた。核を守る者として。翡翠の王の記憶を継承し、核と共に記憶も守るものとして。

 我の意識はいよいよ滅びようとしている。故に継承者を求めて島を出た。この記憶を継承せねば、核が奪われる。この核を失えば、大厄災が起こる。……贄が必要なのだ。湖に身を沈めることで、この世は大厄災から守られる。贄は途絶えさせてはならぬのだ……かつて起きた大厄災を、再び起こしてはならぬ』


 翡翠の王は、別にいた。核を守るもの……核……。


「王は、コア族ですか?」


 骸骨の眼が光った。赤いそれは、金色の眼をじっと捉えている。ヘイレンも逸らさず見つめ続けた。


「……贄として湖に身を沈めた者が、王の核の守護者となる。その核を失うと大厄災が起こるくらいに、王の核はとても大切なものなのはわかりました。でも、贄を湖に沈めた者でないと核を守れない、というのは、ボクにはわからない。命を捧げなくても核は守れると思うんです。代々行われてきたことかもしれないけど」


 もうアビエル島の村は無い。村ビトも存在しない。だから、贄も得られない。そうなれば、守護者の継承方法を変えなければならないのではないか?


「翡翠の王がコア族だったと想定して話しますが、核は王の身体にあるはず。核の守護者であれば、あなたは王のそばにいないといけないんじゃないですか?」


 思ったことが次々と口から飛び出していく。骸骨は表情こそやっぱりわからないが、意見に口を挟むこともなくじっと聞いている様子だった。


「記憶の継承もよくわからない。継承しないと核が奪われるってどういうことでしょうか?王は核の場所なんて誰にも話さないと思うんですが。あなたは先代から継承された記憶を持っているんですよね。そこに、核の場所はここですって記憶があるんですか?」


 コア族にとって、核を失うことは即ち死を意味する。彼らは生き延びるために、自分の核の場所を決して口に出さない。


『……王は、コア族だった』

「……だった?」


 骸骨は少しだけ顎を引いた。


『我は、王の姿を知らぬ。ただ、核の在処は継承されて我が記憶に存在している。王の記憶を継承している故に、それは我のみぞ知る記憶だ』


 守護者だからこそ、共有されたということか。でも、なぜ奪われると恐れているのか?


 まさか、目の前でぼんやりと光っているそれが核だ、なんて言わないよね……。


『……我の姿を見ればわかろう。こうなる前に、継承者を得なければならなかったのだ』


 ……え。本当にそれが……核なの?


『その女子(おなご)……ミスティアは我が継承を受け入れると申した。故に、湖へ連れ帰り、継承の儀を行う。妨げようものなら、厄災を起こす』


 骸骨は臨戦態勢に入った。……ええ!?


「アルティアを追ってたんじゃなかったの!?あのグリフォリル!」

『継承を受け入れる器を得れば、我はそれでよい』


 なんか、急に勝手なことを言い出したぞこの骸骨!呆気に取られた刹那、暖かな暖期の空気が戻ってきた。


 ヘイレンは咄嗟にバリアを張っていた。骸骨が光を溜め込み、放とうとしていた。両手を前にかざし、力を込めてバリアを強化しようとした。が、その手首をスラリと美しい手に掴まれた。


「ミスティア!?」


 掴まれた手首が急激に熱くなった。ヘイレンは振り解こうとした。激痛が走った。


「いっ……」


 力が抜けた。視界が真っ白になった。ミスティア、シェキル、骸骨の気配が消えた。掴まれていた部分を自分の手で掴み、治癒魔法を注いだ。


 熱い。じわじわと溶かされていくような痛み。意識が飛びそうになるのを、必死に耐えた。気配はまだ掴めない。この白い霧を吹っ飛ばす魔法があればいいのに……!そう悔やんだ時、後ろから突風が吹いた。


 びゅおおお、と咆哮のような音が、白い霧を消し飛ばした。見上げると、青白い光が直線を描いた。最近見た、ヘルトのブレスだった。それは、骸骨の胸元に直撃し、肋骨を粉砕した。


 骸骨が悲痛の叫びを上げた。灰のようにサラサラと消え、翡翠色の光だけが残った。その光に手を伸ばすミスティアの眼は、さっきと変わらず青色じゃなかった。


「やめろ!」


 シェキルが叫んだ。駆け出そうとしたが、ミスティアは光に向けて霧を放っていた。霧がぼんやりと緑色になり、だんだんと薄緑に変わる。


 伸ばした手を素早く握った瞬間、ぱきん、と石が砕かれたような音がした。薄緑の霧が粒状になり、パラパラと四方八方に飛び散り、そして消えた。






 霧が晴れた。握り拳を胸に当て、目を閉じてやや俯くミスティアの立ち姿があった。


「……みす……てぃあ?何を……」


 ヘイレンは立ち上がることをすっかり忘れていた。シェキルがゆっくりミスティアに歩み寄る。


「先生……?」


 シェキルの声に、ミスティアは目を閉じたまま、はぁ、とため息をついた。


「……やっちゃった」


 医師は口角を上げた。目を開け、蒼竜騎士と目を合わせた。


「……時期に翡翠の王は目覚める。厄災のハジマリ」

「先生!」


 蒼竜騎士はミスティアの両肩を強く掴んだ。ハッとして、瞬きをして、高らかに笑った。


 ……壊れてる。ヘイレンは戦慄を覚えた。


「これからアビエル島の湖へ行くわ。だから、その手を離してくださる?」

「……なら私が護衛しましょう。あなたひとりで行ける場所ではないことを知っていますから」


 島は海に囲まれた場所にある。ミスティアだけで向かうとしても、船かグリフォリルは必須だ。ヘルトに乗っていけば、すんなりと湖まで行けそうだが、その後はどうなるのか。


 ヘイレンはようやく立ち上がることができた。おぼつかない足に力を入れ直し、シェキルの横に並ぼうとした。


「護衛は結構よ。私には(すべ)があるもの」

「術……?」

「やがて来るわ。私のもとに。そろそろ離してちょうだい。でないと……」


 シェキルは片手だけ離してミスティアの霧魔法を受け止めた。互いの魔法が、シェキルの手のひらでバチンと相殺する。


 離さなかった手に力を込めると、光の糸が飛び退ろうとしたミスティアを縛った。手足の自由を奪われた医師は倒れかけたが、それをひょいと抱き上げた。


「離して!!」

「断る」


 暴れるミスティアに、シェキルは追い討ちをかけた。抱き上げたままの格好で、今度は上半身に力を込めた。ビリビリと青白い光が彼女を痺れさせ、気絶させてしまった。


「……ふう。ちょっと強引だけど、ひとまずは落ち着いたかな」


 光の糸はそのままに、シェキルはヘルトを呼んだ。蒼竜はゆっくり歩み寄ると、主が乗りやすいように体勢を整えた。ヘルトの前脚に足をかけると、そのままヒョイっと飛び乗った。……すごい。


 ミスティアを飛竜の背のトゲとトゲの間に収めると、ヘイレンに声をかけた。


「一緒に行くかい?アビエル島へ」


 ヘイレンは自然と頷き、蒼竜に近寄っていた。ヘルトの前脚に足をかけ、よじ登る。シェキルが手を伸ばしてヘイレンを引っ張り上げた。座って視線を落とすと、拘束されたままのミスティアが挟まっている。


「飛ぶよ」


 トゲをしっかり握る。ヘルトはひとつ羽ばたいた。一気にダーラムの壁より高い場所まで行くと、アビエル島が浮かんでいる方向へ、迷いなく飛んだ。


 道中、ヘイレンは考え込んでいた。ミスティアが壊した翡翠色の光。王の核だったら、彼女は王を屠ってしまったことになる。でも、彼女は『王は目覚める』と言っていた。これはどういうことなのか。あれは核じゃなかったのかな?


「……んん」


 ミスティアの意識が戻った。ヘイレンと目が合うと、起きようとした。が、挟まっている上拘束されていて、それは叶わなかった。


「なに……どうなってるの、これ?」


 いつものミスティアに戻ったのかどうかわからない。もがき続けていると、背中からずり落ちてしまいそうだ。


 と、シェキルが振り返った。右手をかざすと、もがくミスティアの動きが止まった。何をしたのだろう?


「正気か、先生?」


 どんな聞き方なんだ……と思ったが、ミスティアは目を見開いて少しビクついた。


「……あ……の……正気……ですけど?」

「翡翠の王の記憶が、先生の記憶を消していないですか?あなたはミスティア先生ですか?」

「……ああ、そういうことなら、大丈夫。私は……ミスティア。王の核を守る贄。……私自身の記憶は失っていないわ」

「……ん……そうか」


 シェキルはため息をついた。自分が贄になる気になっている……。ヘイレンは急に虚しさ、寂しさ、悲しさが込み上げてきて、思わずミスティアの袖を掴んだ。


「本当に、身を捧げるつもりなの?湖に沈むつもりなの?」


 ミスティアは視線をヘイレンに移した。ややあって、小さく頷かれてしまった。


「だって、そうしないといけないもの。今の今まで逃げてきたけど、守護者が魔物を連れて大陸に来てしまった以上は、覚悟しなくちゃいけない」

「どうして?ミスティアなの?」

「言ったでしょう、双子は厄災の種って。アルだけが身を捧げたところでダメなのよ。中途半端な捧げ方をしたから村は滅び、大陸に魔物の群れと守護者がやってきてしまったの。私が……生き延びてきたからなのよ」

「でもさっき、壊してたよね?翡翠色のあれ。あれは核じゃないの?王は死んだんじゃないの?」

「あれは……カギ」

「カギ?」


 ミスティアは微笑した。


「あれを壊したことで、翡翠の王は()()()終焉を迎える。王の代わりに彷徨っていた守護者が死んだんだもの。自分で継承者を求めにいかないとでしょう?王が島を出る前に私が身を捧げて守護者になる。そうすれば大厄災は起こらずにすむ」


 なんてこと……。ますます虚しくなった。


「贄になる最後の機会なのよ。これを逃したら世界は終わるわ」

「そんなの……」


 ミスティアが背負うことなのか?絶対に?


「これまでもたくさん厄災を起こしてきた。大干魃(だいかんばつ)に邪神竜の復活、あちこちで起きた虐殺事件……」


 半笑いで語るミスティアに身震いした。一方で、黙って聞いていた蒼竜騎士が口を開いた。


「……ミスティア、誰もが予想だにしなかった出来事までもを、自分が生きていて贄にならなかったからだ、と責任を負うような言い方はやめろ」


 シェキルがピシャリと言った。初めて『先生』と呼ばなかった。しかも、いつもの穏和な声ではない。これは結構お怒りだぞ……となぜかヘイレンが尻込みする。ミスティアも目を見開いている。


「……まもなく島に着く。着地するまでそのままでいろ」


 静かにそう告げて元の位置に戻った。






 海を越え、気がつけば小さな島がすぐそこに見えていた。立ち枯れた木が中央に円を描くように並んでいて、その中央に湖があった。ヘルトは徐々に高度を下げていった。


 そして、湖の近くに着地した。シェキルが拘束を解くと、ミスティアはゆっくり起き上がって、それからゆっくりヘルトから降りていった。後に続いてヘイレンも降りると、飛竜は翼をたたんでその場で待機の姿勢をとった。


 荒野を歩き、立ち枯れた木の間を通り抜ける。さらりと時折り吹く風が大地を撫で、砂を舞わせる。


 湖は半分以上干上がっていた。ここに核の守護者として贄を沈ませてきたのか。なんにんくらい犠牲になったのだろうか……。アルティアの身体もここに……?


「……静か過ぎる。やはり守護者がいないとこうなるのか」


 シェキルの声もどこか控えめだ。ミスティアはじっと湖を注視していた。コポッ、と小さく音を立てていたが、徐々に水が増え始めた。


「え、増えてる!?」


 ヘイレンが驚いている間に、干上がっていた湖が満たされた。中央の泡の数が増え、ゴポゴポと煮えるような音に変わる。そして、水柱を立てて、翡翠色に光る物体が現れた。


 シェキルが素早く槍を出してミスティアの前に立つ。自然と医師は2、3歩退がる。ヘイレンも杖を構えた。


 なぜ、戻ってきた。


 頭の中で声がした。酷い頭痛がヘイレンを、シェキルを襲った。ミスティアは変わらず見据えたままだった。


「なぜって……()()()()を終わらせにきたの。もう贄を捧げられるヒトは私で最後よ」


 ミスティアはシェキルの、行く手を塞ぐ腕に触れた。


「ダメだ、これ以上は」


 シェキルは体勢を変えてミスティアと向かい合った。翡翠色の物体が万が一何か放ってきたら、それは蒼竜騎士を貫いてしまう。そんな最悪な事態が起きるかもしれない!ヘイレンは杖をかざした。


 瞬時にバリアが張られた直後、本当に翡翠色の物体は光線放った。壁に跳ね返された光線は、あさっての方向へと走っていった。シェキルはミスティアの腕を掴んだ。


「どいて!死ぬわよ!」

「あなたを贄に捧げたくはない!」

「そんなの、もう遅いわよ!」


 刹那、再び酷い頭痛が襲ってきた。さっきのよりも強くて、ヘイレンは頭を抱えて少し前屈みになった。シェキルの一瞬の怯みを、ミスティアは逃さなかった。掴まれた腕はそのままに、反対の手でシェキルの顔に向けて霧をかけた。


「うっ!」


 視界を消されて掴んでいた手が緩んだ。するりと避けたミスティアは、バリアの干渉もなく湖に飛び込もうとした。


「だめー!」


 ヘイレンはミスティアに追いつき、腕を掴み、思い切り引っ張ろうとしたが、彼女の身体は宙を舞った。


「えっ!?」


 虚空を掴み、呆気に取られて見上げると、巨大な魚が飛んでいた。ミスティアを飲み込み、そのまま湖へ飛び込んだ。激しい水飛沫が虹を一瞬映し出し、ヘイレンをずぶ濡れにした。湖はやがて、静かになってしまった。


「み……うそでしょ。こんなことって……」


 ミスティアは、贄として湖に魚と共に沈んでしまった。あまりにもショックで頭が真っ白になっていたが、背中に何かが当たって我に返った。


 振り返ると、ヘルトの顔が視界一杯に映った。なんとなく、そっと鼻先を撫でると、思念を受け取った。


『シェキルを、助けて』


 槍を落とし、両膝をついてうずくまるシェキルのそばに駆け寄った。


「シェキルさん、顔を上げられますか?」


 顔を覆っていた両手がゆっくり下ろされた。目を強く閉じ、眉間に皺を寄せて辛そうだ。杖を腰に差して、片手を目元にかざして治癒魔法を出した。


 ガーデンでミスティアにやられたやつなら、眼を火傷している状態だろう。応急処置の間、ヘルトは湖の様子を警戒して見てくれていた。


「……どう、ですか?効いてます?」

「んん……」


 微妙な反応。冷やすことを優先すべきかと考えていると、シェキルの手のひらから青白い光が現れた。それは四角い塊になり、氷のようなものになった。


「これを持って、持ったままでヘイレンの治癒魔法をかけてくれないか。手のひら凍傷させてしまうかもしれないけど」


 それでシェキルの眼が治るなら凍傷なんて気にしない。ヘイレンはそっと氷の塊を持って再び目元に手を持っていった。とても冷たかったけど、これで自身の魔法が温かい光だと気づかされた。


 それからしばし。氷の塊が小さくなり、無くなってしまった頃には、シェキルの眉間の皺も消えていた。手を下ろして様子を窺うと、蒼竜騎士は袖で目元を軽く拭いた。ゆっくり瞼を開けて、瞬きを繰り返す。


「見えてますか?」

「……参ったな、ぼやけてる」

「ボクかミスティアにやられた時と同じですね……。ルーシェ先生に治療してもらったほうがいいかも」

「……先生は?」

「えっと……大きな魚が、連れ去っていって……湖に」

「魚……」


 ぼやけて見えないせいか視点は真っ直ぐのままだが、何か思い当たる節があるような呟き方をした。


「……魚、だったか?蛇ではなくて?」

「ヘビ?……えっと、ポルテニエの市場で売られていた魚っぽく見えました」

「そうか……。翡翠の王は大蛇……巨大な蛇の姿なんだ」

「……そういえば、ミスティアもそう言ってました。あの……蛇ってどんな姿なんでしょうか?」


 見たことない生き物だと知ったシェキルは、そうだなぁ、と苦笑した。……ていうか、今はそんなこと知ろうとしてる場合じゃない!


「あ……蛇の話は後でいいです!とにかく戻りましょう。シェキルさんの治療が先です!」


 はは、と蒼竜騎士は笑いながら槍を手で探していた。その手をそっと掴み、槍に持っていく。


「ありがとう。……しかし、ここで退くと先生はどうするんだ?」

「あっ……」

「……少し落ち着こうか。それくらいの時間はある」


 パニックになっていた。ごめん、ミスティア。放ったらかしにするところだった……。


「ヘルト」


 蒼竜騎士の合図で飛竜は飛び立ち、あっという間に見えなくなった。


「他の竜騎士を呼びに行ってもらった。この間に、もう少しヘイレンの治癒の力をもらってもいいかな?」

「……あ、はい!」


 その時、三度酷い頭痛が来た。


 水の底、波の壁。祠の核を、いずみへ。


 頭痛が治まった。今の声……。


「ミスティア?」

「え?」

「頭の中で声がして。ミスティアの声っぽかったんです」

「……私には聞こえてこなかったな。ヘイレンだけに送った感じか」

「そうなんですね……。たぶん、核の場所を教えてくれた気がします」

「それは……後で共有してくれ。応援が来てからで」


 はい、とヘイレンは強く頷き、シェキルの治療を再開した。ヘルトが戻ってくるまで、そう長く待つことはなかった。

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